世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:あなたは自由に生きていますか?」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:あなたは自由に生きていますか?」

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「あなたは自由に生きていますか?」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。


あなたは自由ですか?


突然アシュタールは何を言っているのでしょうか?

あなたは自由ですか?


私は自由ですとはっきりということが出来ますか?


そしてそもそも自由とはどういうことでしょうか?


自由というのはあなたに関することすべてにおいて自分で決める

ことが出来るということです。


あなたは自由ですか?


あなたの生活においてあなたはすべて自分で決めていますか?

朝起きる時間も、ご飯を食べる時間も、何を食べるかも、

何を着るかも、どこに行くかも、誰と過ごすかも、すべて何もかも

自分で決めていますという方はいらっしゃいますか?


すべて自分で決めることが出来る方はとても幸せなのです。

なぜならば、何も我慢することがないからです。

そうですね。


あなたは自由にいろいろ決めていると思うかもしれません。

どの家に住むか、どこの会社に勤めるか、どこの学校に通うか、

どんな服を着るか、毎日何を食べるか、すべて自分で決めています・・

と思っているかもしれませんが、そこには見えない制約があるのは

お分かりでしょうか?


好きな会社で働いています、希望した学校に行っています・・と

いうことでさえ、働かなければいけない、毎日会社に行かなければ

いけない、学校に行かなければいけないからその中で行きたい学校に

行っています・・ということです。

分かりますか?

どこに住むかを決めるときも、自分の収入や会社からの距離など

いろいろな条件の中でよいと思ったもので決めたということです。

そして、家を買えば(借りれば)そこにずっと住むことになります。

それは当たり前です・・と思うことがもう制約の中にいると

いうことなのです。

今日住む?いる?ところと、一週間後に住む?いる?ところが

違ってもいいのです。

今日の気分は海の近くだから海の近くにいましょう・・明日は

分かりません・・その日の気分で行くところを考えます・・と

言ってもいいのです。

それはちゃんとした大人?社会人としては無理です・・と

思うこと自体がもう常識と呼ばれる刷り込みの制約の中にいる、

不自由なところにいるということなのです。


自分で決めているようで、決めていないのです。

与えられた範囲の中だけで、少しだけど自分で決めていいよと

言われた中だけで自分で決めているだけなのです。


あなたには自分ですべて何でも決めるという権利があります。

でも、その権利を手放してしまっているのです。

たとえば会社で働くのが当たり前だと思っているから、朝決まった

(決められた)時間に起きて決まった(決められた)時間から

働き、決まった(決められた)時間にご飯を食べ、休憩を取り

決まった(きめられた)時間に帰る。(面白いことに帰る時間は

決まっていないのです。決められていてももっと長い時間会社に

いる方が良いと思わされ、もっと遅くまでいようとします)


朝起きなくてもいいのです・・その人の個性によって朝早くから

活動出来る人と出来ない人がいるのですから、その人の個性、

そのときの気分でいつ起きてもいいのです。

目が覚めたら起きる、眠くなったら寝る、お腹がすいたら食べたい

物を食べる、行きたいところに行く、やりたいことをする、

したくないことはしない、毎日同じところで寝る必要もないのです。


とにかく、すべてその時にあなたがしたいことをする権利・・・

これが自由なのです。


あなたは自由に生きていますか?

誰からも、何からも制約されることなく、すべて何もかも

自分で決めて生きていますか?

それが出来ればとても満足できます。

そして、とても幸せな状態でいることが出来ます。

とてもご機嫌さんでいることが出来ます。

そして、波動も軽く楽しくなります。


あなたが自由だと思っていることは、誰かに制限された中での

小さな自由だということを分かってください。

あなたの自由を取り戻してください。


そのためには、あなたが信じている常識、道徳感、宗教観、善悪の判断

価値観などの疑問を持ってください。

毎日同じ生活することが健康的で素晴らしい生活なのです・・という

常識を手放してください。

規則正しい生活ということ自体がもう自由ではないということです。

毎日同じ時間に同じことをする・・それはまったく自由な生活では

ありません。

それは管理された不自由な生活なのです。


数え上げれば切りがないので今日はこのくらいにしたいと思いますが、

あなたの生活をもう一度見直してみてください。

あなたは本当に自由ですか?


決められた(制限された)中で、少しだけ許されたことを自由だと

思ってしまっていませんか?

それだけで満足していませんか?

そして、その制限もどんどん厳しくなって、許された自由も小さく

なっていることを感じませんか?


管理された社会(ピラミッド型の搾取の社会)からそっと離れるには

自由を知る必要があります。

本当の自由を知ってください。


何もかもすべて自分で決めることが出来ることが自由なのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

この世界、本当の自由を得ている人は誰一人としていないだろうと思います。

みんなそれぞれ「私は自由だ」と思いながら、アシュタールの語るように制約された

世界の中で限定された自由を味わっているだけです。

否、味わされていると言った方がいいかもしれません。

 

真の自由jに目覚めると、すべてに疑問符が付くようになります。

これは本当に自由な姿なのかという疑問です。

そして、当然のことながら、この世界には居たいとは思わなくなります。

なぜなら、そこには真の自由がないからです。

 

哲学的な問答のように見えますが、実のところ私たちはそうした疑問を

持たないこと自体が問題だということです。

あまりにも飼いならされ過ぎていて、疑問を感じることすらない状態にまで

されてしまっています。

 

人は満7歳になったら学校に行かなければならないと決められています。

でも、なぜ?

学校に行く当の子供はそうした疑問を持つでしょうが、大人たちは持ちません。

なぜなら、それが当たり前だと理解しているからです。

それでは、その当たり前って何?

それはそうしなさいと法律で決まっているからです。

ならば、その法律は誰が決めたの?

それは日本のお偉いさんたちです。

そのお偉いさんって誰なの?

それは日本を預かる政府のお役人さんです。

そのお役人さんってそんなに偉い人なの?

そりゃそうでしょう。日本をリードする人たちだから、決められたことには

従わないといけないのよ。

ふ~ん。それじゃ従わないとどうなるの?

牢屋に入れられますよ!

それは困るね。そこまで言うなら守らないといけないんだと子どもは

それ以上の疑問を持つことを諦めます。

ハイ、メデタシメデタシと終わるのですが、こうした疑問を子供の頃から

持たないように教育されてしまっているのが問題なのです。

 

でも、ネットでいろいろと検索してみると面白いことが書かれていました。

 

実は、義務教育の義務は、大人の義務なんだ。

今の憲法になってから、教育は、
子どもにとっての権利であって、義務ではなくなった。
子どもが健やかに学び育つ権利を保障する義務を、
大人に負わしたんだ。

1945年、太平洋戦争が終わり、
日本は、民主国家に生まれかわるわけだけど、
戦争前は、教育は、
天皇の臣民(優秀なしもべ)になるために、
教育を義務として受けさせられた。

しかし、戦後は、教育は一人一人の子どものために、
国が国民の税金を使って、
子どもの成長を助けるために行うことになった。
行政は、学ぶ権利を保障するための学校を設置する義務と、
親は就学の義務といって、学校に行くよう整える義務をもった。

「働いてこい」と奉公(おつとめ)先に出してしまうと、
子どもは学校へ行けないことになる。
そんな親は、子どもの学ぶ権利を保障するんじゃなくて、
じゃましていることになるから義務違反、ということになる。

ところが、今の不登校は、
親は学校へ行けるように手続きもし、条件も整えている。
だから、親の義務違反にはならない。

つまり、子も、親も、違反していないんだ。
堂々と、学校休んでいいんだよ。
行かないからといって罰せられることはない。
悪いこと、間違ったことをしていない。
これはよく知っておくといいね。

出典元 不登校の広場

 本当にそうなのか?と学校教育法について調べてみると

(学校教育法第16条)

保護者は、子に9年の普通教育を受けさせる義務を負う

(学校教育法第17条)

保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。

保護者は、子が小学校の課程、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを中学校、義務教育学校の後期課程、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中等部に就学させる義務を負う。

なるほど、親が子どもに学校へ行かせる義務を負っているけど、いったん学校への

入学手続きを踏んでいるから義務を果たしていることになり、休んでも大丈夫という

ことらしい。

ということは親が届け出さえしておけば、行くのは自由ということなんだね。

これは良いことを知りました。罰せられないしね(笑)。

では、なぜ不登校、不登校とマスコミが騒ぐのかというと、例外を作るとみんなに

真似されて為政者が困るからということのようですね。

つまり、教育に関しては自由にして良いということを知られたくないし、ましてや

それで為政者に逆らえるような優秀な子供が育つと困るからね~。

これって、私の逆読み?

まあ、いずれにしても、真の自由とはこうした疑問の先にあるということです。

疑問を持たない限り真の自由人にはなれないということですね。

コメント

  1. ねこ より:

    入学手続きと親の届け出の件が、かなり笑えました。

    なんだかゲームの裏技みたいじゃないですか ! ←うははははは !!

    学校というものが岐路に差し掛かってるよな。

    もう、仕事に直結した学校を作ってそっちに行ったほうが
    早いと思いますが。

    自動車メーカーはそういう学校があるしドイツのVWも中学出て
    すぐに入れる学校があったかと。

    仕事なんて現場で覚えるものだし、机に座ってるだけじゃ
    わかりません。

    幼いころから、実践と座学を同時に覚えていったほうがいいと
    思うのですが ?

    • hide229406 より:

      ねこ 様

      学校も自分で考える力を養う教育をすれば
      随分と世の中も変わると思います。

      仕事は結局生活するためと言うのが今の
      考えです。そうではなく、自分が本当に
      好きで出来る仕事を選び、そのうえで
      教えてくれる学校を選ぶのがいちばん
      だおt思いますね。

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