世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:パチンコ?競馬?競輪?競艇?カジノ? 」
ミナミさん:パチンコが叩かれているようだけど・・・
ここのところにわかにパチンコ屋さんが注目されて?
叩かれて?いますが、なんで?って思うミナミです。
ウイルス云々のことはちょっと横に置いておいて・・・
ギャンブルというくくりの中でなぜかしらパチンコだけが
悪者?になってる・・気がする・・
(あ、別にパチンコ屋さんを擁護しているとかそんなんじゃない
ですよ・・ただ単純にどうしてかなって思うだけで・・)
競馬とか競輪とか競艇、それにいまずいぶん政治家さんたちが
躍起になってるカジノ・・これも立派なギャンブルですよね。
公営ギャンブルだからいい・・という理屈はどうも納得できない。
パチンコはグレーだからダメだというのも理解できない。
いろいろ競馬とかのギャンブルとパチンコのギャンブルの
法律的な違いとかを調べてみたんだけど、どうも最終的には
感情的に好きか嫌いかという理由だけでパチンコだけを
叩いている気がするんですよ。
ギャンブルってどうなの?
この世界には必要のないものなの?
悪いだけのものなの?
教えてアシュタールぅ~~^0^
「快楽ホルモンが出ることを理解して納得でやることは悪いことではありません」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
ギャンブルというのは興奮出来るものです。
ハラハラドキドキ、あるいはヒリヒリする感覚です。
これは悪いものではありません。
3次元的な世界ではその感覚も楽しい遊びなのです。
その感覚を楽しみたくて3次元的な物質世界に生まれた方も
いらっしゃるのです。
いわゆる弱肉強食の刺激です。
それは直接的に脳に伝わり快楽ホルモンを出すことが出来るのです。
生きるか死ぬかのぎりぎりのところで出るホルモンです。
ジェットコースターに乗りたいと思うのも同じです。
ものすごく怖いジェットコースターに乗ると安全だとわかって
いても少しだけ生命の危機を感じます。
その時に少しだけですが快楽ホルモンが放出されるのです。
だから、その快感を忘れることが出来ずまた乗りたいと思うのです。
そして、そのような刺激はなれますのでもっと刺激的なものに
乗らないと快楽ホルモンが出なくなりますのでもっと怖いもの
もっと刺激的なものを求めるようになります。
ギャンブルも同じように快楽ホルモンを放出することが
出来るのです。
これは悪いことではありません。
あなた達の中にはそのような刺激を求める要素があります。
それはいままで生きてきた社会において必要だったからです。
あなた達を創った宇宙人であるレプティリアン達が持っていた
性質もあります。
彼らは戦いが好きなのです。
弱肉強食の世界を好む存在なのです。
その宇宙人たちが作ったピラミッド社会では戦うということが
大切になります。
戦い、その戦いに勝ったものが生き残れるという社会です。
その性質をあなた達も受け継いでいるということです。
そのスイッチを押すためにギャンブルがあるのです。
スポーツも同じです。
勝つか負けるかがスポーツのだいご味ですね。
特に血が流れるようなスポーツでは大きな興奮を得ることが
出来ます。
血を見ることで快楽ホルモンが出る方もいらっしゃるのです。
そのことを知ったうえでギャンブルをなさるには問題ないと
思います。
ただ、その快楽ホルモンにはクセ?常習性?になるという
問題もあります。
その快楽に依存してしまうということもあるのです。
それは我慢ばかりしてエネルギーが枯渇しているときに
起こります。
好きなことをしてご機嫌さんでいればギャンブルをしても依存
することはありません。
でも、我慢してばかりで苦しい生活をしていたらエネルギーが
不足しますのでその快楽によってエネルギーをチャージしようと
思うのでどんどんもっともっととなってしまうのです。
ギャンブルのハラハラドキドキはあなた達にとっては楽しい
感情だと思います。
ですから、その感情、その感覚を映画や遊園地やお化け屋敷
などと同じように楽しむには問題はありません。
ハラハラドキドキも楽しい感情なのです。
ムリに止める必要はないのです。
ただ、エネルギーが不足しているときになさるのはお勧め
いたしません・・ということです。
楽しい遊びということを理解したうえで遊んでください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール!感謝します。
マイコメント
えっ!、それってやっていいということなのでしょうか?
ギャンブルとは一か八かの勝負で、当たればものすごい快楽ホルモンが出る
ので、天にも昇るような感覚になります。
反対に負ければ・・・。地獄に一気に落とされたような失望感を味わいます。
今、世間で問題になっているのはギャンブル依存症です。
ギャンブルと言うのはそもそもお金を賭けてやるものなのでお金がないと
ギャンブル自体やることは不可能です。
お金を賭けずにやるトランプゲームとか花札などもありますが、それでは
大きな興奮は得られないのでお金を賭けるんですね。
なぜ、お金を賭けると興奮度が増すのか?
というところがポイントでしょう。
ギャンブル自体興奮をもたらすことで脳内の快楽ホルモンが出て気分が
高揚し幸せ感に似た感情を呼び起こします。
しかし、お金を賭けないとその興奮度は下がり、脳内ホルモンがたくさん
出てこないでしょう。
お金がキーポイントになっているのはお金で願望が叶えられるという期待感が
大きいからで、それ以外でもそれ以下でもありません。
そこにしか私たちが求める本来の価値観がないものです。
だから、ある意味お金を手にしたいからやるのがギャンブルです。
したがって、問題となるのはお金を使い果たし、さらには借金をしてまで
快楽を得るためにギャンブルにのめり込むことです。
この部分をアシュタールがエネルギーが不足している時にやることは
おすすめしませんとやんわり語っているのですが、生活を犠牲にしてまで
やることはお勧めしませんということです。
つまり、エネルギーそのものががお金だということです。
そのエネルギーが不足している時にはやってはいけないということです。
ならば、十分にあるならば・・・。
そういう人は本来ギャンブルはやりません。
お金が満ち足りているので、やる必要性を感じないからです。
お金のある人は別のことをします。
それは株とかFX、あるいは事業などでお金を増やそうとします。
これもある意味形を変えたギャンブルと言えるかもしれません。
そう考えていくと、この世は多かれ少なかれそのようなことで
成り立っているということになります。
仕事も事業ならば上手く行けばものすごく幸せ感を感じるでしょう。
反対に失敗すれば、とてつもない失望感と大金を失います。
それって、形を変えたギャンブルみたいなものです。
と言うならば、今、世間で話題になっているパチンコ店を閉める
閉めないという議論は別の問題だということです。
ある意味、閉めないからと言って批判される筋合いはないということです。
なぜなら、競馬、競輪、オートなんかやっているでしょう。
それなのに、誰も非難しません。
ただ、パチンコ自体在日勢力の支配下にあるのでこの機会に責められている
と言う一面もあります。
そういうことでギャンブルは自己責任の負える範囲内で楽しむ分には
快楽を得る一つの手段なのでいいでしょうということになります。
でも、そこの自己責任で負える範囲内と言うところがいちばん問題で
厄介なところでしょう。
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