世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:これからは感覚で生きていく時代」
ミナミさん:西欧人からすれば極めて自由で、また性に奔放で、かつ放任的な性格を持つ民族であった。
なんかすごいタイトルがついていますが・・
本来の日本人のことについて書いてあって
面白かったです。
ある時期まで日本人とは、西欧人からすれば極めて自由で、
また性に奔放で、かつ放任的な性格を持つ民族であった。
その日本人がどうして今のような感じ(自粛を強要して
回ったり、病気になった人を非難し謝罪を要求したり、
県外の車を排除しようとしたり)になったのかを独特の
視点で書かれています。
この件に関してさくやさんからの言いたいことがあるそう
ですのでお伝えしますね~^^
「これからは感覚で生きていく時代」by さくやさん
子たちなの。
ムーからじょうもん・・その感覚、感性がずっと受け継がれてきたの。
アトランティスの文化を受け継ぐ子たちとは違うのよ。
アトランティスの文化はピラミッド型で支配・コントロールが
基礎となって出来ている社会。
だからたくさんの制約があった。
でも、じょうもんの社会は丸くて階級などもなくみんな平等で
自由な社会だったの。
もちろん男尊女卑などという考え方なんてみじんもなかったから
男の子も女の子もすごく仲良しだったわ。
弥生から戦国時代までは他国からの文明が入ってきて大きく違う
社会(ピラミッド型)になってしまったからアトランティスの
ような身分差別が出来てしまった。
そこで信長君たちがじょうもんのような社会を創りたいと思い
創ったのが江戸時代。
江戸時代はじょうもんの頃ほどではないけど平等で自由で
おおらかな社会だった。
それがまた大きく変わったのが明治維新。
日本の中からドアを開け西洋文明を入れ
いままでの自由で平等なおおらかな社会を潰し
アトランティスの文化に変えてしまった人たちが起こした
クーデターが明治維新。
少数の人たちの権力欲のために起こされたクーデターなの。
その人たちの子孫がいまも政権の中枢にいるってことよ。
そして、もっと権力を欲して今回の騒ぎを起こしている。
でもね、大丈夫!
あなた達の中にはずっと受け継いできたムーとじょうもんの
流れがあるから。
江戸時代が終わって明治になってからまだそんなに経っていない。
まだ150年やそこらでしょ。
教育でずいぶんと刷り込まれてしまっているけど、でも感覚は
忘れていない。
何となく覚えている・・それを意識していけばすぐに江戸の頃の
ような自由で平等でおおらかな社会をまた作ることが出来るわ。
今までも今回の騒動でも外国の人たちが日本の人たちを
理解できないって思っているでしょ。
なんか日本人だけが違う動きをするって思っているでしょ。
それは、日本列島に住む人たちの中に彼らにはない感覚を
持っているからなの。
ね、明治維新から向こうの(西洋の)文化をずいぶんと学校教育で
刷り込まれたにも関わらず、まだ彼らに理解できない感覚を
持っているってこと。
明治からの教育で刷り込まれたものは表面的なこと。
奥の方で持っている感覚は変わっていないの。
いま自粛を叫んで強要している子たちは我を忘れるくらいひどい
エネルギーバンパイアになってしまっているだけ・・
それか、あなた達を対立させるために意図的に支配者たちが
やっているか・・ね。
自粛の強要などはじょうもんや江戸の子たちの流れを
受け継ぐ子たちの感性ではない。
じょうもんや江戸の子たちの感性を持っている子は対立の
エネルギーをあまり出さないから表面上はおとなしくて操作
しやすく思えるけど、奥の方ではそうではないの。
すごく誇り高い(プライドじゃないわよ)。
誇り高いというのは自分を大切にするということ。
自分を大切にする子は人のことも大切に出来る。
だから、人の自由に干渉はしない。
だから、感覚を信じてちょうだい。
感覚で生きていく(右脳で生きていく、感情で生きていく)ことを
ダメなことだと教え込まれてしまっているのは、あなた達の
感覚が怖いからなのよ。
感覚は言葉などではごまかせないから。
感覚は頭の外から来る情報なの。
頭(マインド)では理解できないことも理解できる。
何となくこう思う・・ということがあなたにとって真実なの。
誰かに教えられたのではなく、何の根拠もないけど・・
でも、そう思う・・というのがあなたにとっての真実だということ。
これからは感覚で生きていく時代。
感覚で生きることが出来れば、またじょうもんや江戸のころの
ような平等で自由でおおらかな丸い社会を創ることが出来るから。
あなたたちをこころから愛してるわ~~」
ありがとう、さくやさん!
私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^
マイコメント
確かに、今、コロナウイルスに感染しながら県を超えてきて感染者を増やして
しまった人や閉店しないパチンコ店、コロナ感染した芸能人などに対するパッシ
ングがものすごいです。
それは実際に自分が直接相手と対峙してものを言うのではなく、SNSという文字
だけのツールを使っていることが一つの原因です。
争いについて、こんな話がありました。
1対一のやり合いだと相手を殴る、蹴るなど自分の身体を使いますが、それが
剣や銃になると相手の痛みを理解する度合いが減るそうです。ましてや戦車や
ロケットなどを使うとその爆発力も大きくなり被害も大きくなりますが、比例
して痛みの心理的影響度は減ります。
同じように、現代の批判は直接相手とやり合うのではなく、ツイッターならば
リツイートという便利なツールがあるので、最初は当事者だったのが最後には
見も知らない他人が数万人という規模になることさえあります。しかし、その
数万人の人はおそらく大きな痛痒を感じてないはずです。
ちょっとした軽い気持ちとみんなやっているからという同調圧力がそこに介在
していることは否定できないだろうと思います。
やはり、そこには相手を思いやる気持ちの欠如があるだろうと思います。
もし、自分が同じことをされたらどう思うだろうかと言う観点に立てない
思考力の幼稚さがあるのだろうと思います。
かっての日本人が持っていた「他人への思いやり」という視点が重要になる
のではないかと思います。
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