破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ルールに従うのかどうか?」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ルールに従うのかどうか?」

今日の破・常識!

ルールに従うのかどうかを自分で判断してください。

ルールだから、決められていることだから・・

という理由でそれに従わないでください。

自分で判断する勇気を持ってください。

それがあなた自身を守る一番の方法です。byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「ルールにしたがうのかどうか?」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

自分で自分を守ってください。

自分を守れるのは、自分だけなのです。

分かりますね?


あなたを守れるのは、あなただけなのです。

そのためには、自分で判断するクセをつけてください。

人の意見ではなく、自分の考えで判断するようにしてください。

自分の判断で判断することを常にしていると

自分の判断を信じることが出来るようになります。

常に自分で判断することが出来るようになると

瞬時に自分で判断することが出来るようになります。

臨機応変に考えることが出来るようになるのです。

いつも人の指図を受け、その人の言うとおりにしていると

自分で判断することが出来なくなってしまいます。

それが思考停止です。


誰か(特に目上の人、権力者といわれる人)が

ここで待ちなさいと言ったとき、

ここで待つことが最上になってしまうのです。

ここで待つことだけが正しいことになってしまうのです。

何か大きな事件が起きたとしても

自分で判断してそこから立ち去るということが

出来なくなってしまうのです。

ここで待ちなさい・・と言われたから

ここから去ることをしては罪悪と感じて

動くことが出来なくなるのです。

人の判断に従うクセをつけてしまうと

臨機応変に自分で判断することが出来なくなり

自分を守ることが出来なくなるのです。

学校はそういうところです。

学校は、自分で判断することを教えず

権力者の命令(判断)に従う子どもをつくるのが

一番の目的なのです。

自分で判断する子どもはいらないのです。

自分で判断されると、権力者のいうことを聞かなくなるからです。

ルールというのは、権力者の都合の良いように作られています。

権力者の都合よくあなた達を支配するために作られたものなのです。

そして、そのルールに何も疑問を持つことなく従う人たちをつくるのです。

自分で判断することなく、ただ権力者の命令に従う人をつくるのです。

ルールは権力者のためのものです。

ルールは権力者が人々を掌握するためのものです。

そこを分かってください。

だから、おかしなルールであってもなかなか変わらないのです。

おかしいと思う人が出て来たら、有無を言わさず罰を加えるのです。

ルールを変えることが出来るのは、権力者だけなのです。

自分達にとって都合が悪くなってきたときだけ

自分たちのためにルールを変えるのです。

庶民のためにルールを変えることはありません。

それは、最近の法律の改正を見てもお分かりいただけると思います。

法律も、彼らにとって都合の良いルールだということです。


話が逸れましたので元に戻したいと思います。

ルールをちょっと違う角度からみてください。

そのルールにどういう意味があるのか

納得できるまで聞いてみるか、考えてみてください。

そして、そのルールに従うのかどうかを自分で判断してください。

ルールだから、決められていることだから・・

と言う理由でそれに従わないでください。

自分で判断する勇気を持ってください。

それがあなた自身を守る一番の方法です。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

 

マイコメント

ルールというのは誰が作っているかですね。

学校であれば入学した時からありますが、まあ大体が守られることは少ないと

いうのが、私の学生時代の感想です。

当時の生徒は平気で破ってましたからね。

でも、今は違うようです。

ほとんどの生徒が何も言わず無条件に従うようです。

学校によっては生徒の自主性を重んじ、生徒から疑問が出た場合にはそれを

生徒同士で話合わせ、それに教諭が参加して最後の落としどころを決めて

少し不満は残るけれど、まあそれでいいじゃないかという結論になります。

私の高校時代の時も新設校であったため、新進気鋭の溢れた先生が集まった

のかどうかわかりませんが、自分たちで疑問を持ち自分たちで考えるという

ことを教えてくれました。

校則で帽子を何故被らないといけないのかということが議題になり、授業が

終わった後や道徳の時間を利用して生徒同士で議論を戦わせてくれました。

最後は全校生徒集会を開き、そこで先生はオブザーバーとして参加しながら

議論を見守る形で行われ、最後は「帽子は高校生であるという証明と同時に

どこの高校かを明確にするために必要」という結論になり生徒も先生も納得

することになりました。

考えてみればいい高校に入れたものだと思います。

「鉄は熱いうちに鍛えよ」という言葉に在るように、若いうちにそうした経験を

することはのちの人生に大きな影響を与えるものと思います。

今の時代、そうした学校は数少ないと思いますが、それでも、その環境の中で

自分で考えるという習慣を身に着けることはとても大切なことです。

 

話変わりますが、今回のコロナウイルスの後、いわゆるアフターコロナですが

政府から様々な対策を示され、国民はそれを守るように要請されています。

今日もスーパーに行って来ましたが、以前と比べてマスク姿の人が圧倒的に

多くなっているのには驚かされました。おそらくノーマスクだったのは私だけ?

というような感じです。

もう、ほとんどの人が素直に疑問を持たず従っているということですね。

カラオケで集まる場所ではみなさんほとんどマスクしてません。

だから、波動的に棲み分けが発生しているような印象を受けました。

三密なんかまったくおかまいなしに隣り合わせで座って談笑したりしているん

ですから、政府の規制何のそのという感じです。

ところ変わればここまで違うというのも奇妙な世界に迷い込んだような

気持ちになりますね。

しかし、こうした問題も結局は自分で考えてみない限りわからないものであり

誰かがああだこうだと言っても、おそらく聞く耳を持たないことでしょう。

だから、疑問を持てる人はまずは調べてみて自分で結論を出していくように

していかないといけないと思うのでした。


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