世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ちょっとずつ手を貸しあう生活・・・」
じょうもんのような生活ってすぐには出来そうもない
教えてアシュタールぅ~~
「ちょっとずつ手を貸しあう生活・・・」by アシュタール
ありがとう、アシュタール!感謝します。
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少しだけじょうもんの時代が求める社会の在り方がわかったのでは
ないのでしょうか?
竪穴式の住居を作り、そこで少人数で生活し、火を起こして(????)
なんて生活ではないということです。
まさか、いきなり縄文時代にタイムスリップしたような生活に戻る
なんてことは今の私たちには無理な話です。
中には自然に帰ろうという思想のもとに山間のふもとに土地を借り
志を同じくする人たちが集まり、農業を中心とした自給自足の生活を
始めた人たちもいたことはいます。
しかし、それもまた方向性が違うのでは・・・。
と、アシュタールやさくやさんが語っていたこともありました。
人が集まると、何が起こるのか?
それは規則です。
少人数とはいえ、一緒の生活をしていくのに次々とルールが生まれ
それが私たちの自由を奪っていきます。
朝7時に全員が起き、柔軟体操をした後で、食事やいろいろな雑務の
分担を行い、それが終わったころにまとまって食事を摂る。
これって今の生活をそのまま移行しただけで場所が変わっただけと
いうのがアシュタールやさくやさんが語っていたことです。
そういう規則づくめの生活をするならば、別にどこかに集まって
共同生活する必要はないんじゃないの・・・ということです。
別に規則なんか決めなくとも、互いに自由に好きなことをして互いに
干渉することがなければ規則は要らないということです。
互いに干渉しあう、つまり、あの人の行動が悪いとかいやとか
私はこれだけしているのにあの人は何もしていないという不満が
出てくるから、規則を作ろうという話になります。
それを互いに干渉せず、農作業をしたい人は農作業をし、何かの雑務が
特異な人はそれをやり、料理の上手い人が自ら食事登板をやるということです。
もし、そんなこともせずにただぶらぶらしていてもいいということです。
人はそもそも何もせずぶらぶらし続けることはできないので、必ず何か
やろうとします。それまで放っておけばいいことです。
それを「あの人が」ということになるので問題が生じます。
互いに自由でありながら干渉はしないけど助け合うというのが
じょうもん社会の考え方です。
それを現代に生かしていけばいいだけのことです。
じょうもん社会のようだったという江戸時代にしたって、江戸時代の
生活を止めてじょうもんのような洞穴生活になったわけではないと
いうことはわかると思います。
少し考え方が飛躍しすぎなのかもしれません。
じょうもん社会のような生活スタイルに戻らないとじょうもんの
ような生活になれないと思い込んでしまっているのかもしれません。
そこをよ~く考えてみてくださいということだと思います。
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