破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:宗教的な概念で考えないで」
今日の破・常識!
波動が軽い=天国、重い=地獄・・
のような宗教的な概念で考えないでください・・ということです。
善悪で考えないでください。
波動を軽くするために、何をしてはいけない
何をしなければいけない・・
そんな考えはナンセンスだということです。
宗教ではありません。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「宗教的な概念で考えないで」by アシュタール
波動エネルギーのことを宗教のように考えないでくださいね。
波動エネルギーと宗教的な概念はまったく違うものです。
いつも言いますが、エネルギーに良い悪いはありません。
ただ、重い軽いがあるだけです。
重いエネルギーが悪くて(悪、闇)で
軽いエネルギーが良い(善、光)などという判断は手放してください。
そして、基準も何もありません。
数字で表せるものでもありません。
比較するものでもありません。
軽いエネルギーにならなければいけないなどと
考えることは一切いりません。
軽いエネルギー・・・どこと比較してのことでしょうか?
そして、軽いエネルギーになる目的はなんでしょうか?
どうして軽いエネルギーになりたいと思うのですか?
軽いエネルギーになれば、どこに行けるのですか?
どうなれるのですか?
軽いエネルギーの人がいい人ではないのです。
素晴らしい人でもありません。
ただ、軽い状態にいるだけということです。
ご機嫌さんでいるだけのことです。
そこに軽いエネルギーの人はいい人という価値観を持ってしまうと
宗教のような概念になってしまいます。
宗教的な概念になると、良し悪しの判断になります。
そして、比較するようになってしまいます。
良し悪し、比較・・これがはじまると、セルフイメージが低くなってしまい
自分はまだまだダメだと自分を責めることになり
波動エネルギーは重くなります。
言っていることが伝わっていますでしょうか?
波動エネルギーが軽い人は天国のようなところに行って
現実も何もかも思い通りになる・・
だから波動を軽くしたい、波動を軽くしなければいけない
・・などと思わないでくださいね。
言葉の壁ですね・・言葉でお伝えするのはとても難しいです。
頭ではなく、感覚で受け取っていただければと思います。
幻の自分を探さないでください。
今の自分はダメな人間だ・・
だから、もっといい人間にならなけばいけない。
そのためには波動を軽くしなければいけない・・と思わないでください。
世間で言われているいい人
素晴らしい人間である自分を探さないでください。
あなたはそのままでいいのです。
感情も豊かに表現してください。
怒りも、悲しみも、悔しさも、うれしさも
楽しさも、すべて素直に表現してください。
それが、あなたなのです。
怒り、悲しみ、いら立ち、悔しさを感じず
ただよろこびの感情だけを持つ人間などいません。
そんな人を探さないでください・・
そんなひとである幻に自分を探さないでください。
それは幻です・・
砂漠の蜃気楼を追い求めて疲れはててしまうだけです。
波動が軽いのは、状態です。
楽しいことをして、ご機嫌さんでいるという状態なだけです。
そして、波動に基準はありませんので
ここからが軽い波動で、ここからが重い波動という
ことも判断することが出来ません。
いろいろお話ししましたが、今日お伝えしたいのは、
波動が軽い=天国、重い=地獄・・
のような宗教的な概念で考えないでください・・ということです。
善悪で考えないでください。
波動を軽くするために、何をしてはいけない
何をしなければいけない・・
そんな考えはナンセンスだということです。
宗教ではありません。
そこだけは強くお伝えしたいと思います」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
この世を生きているためにはある程度善悪の概念が必要ですが、それに縛られてしまうと
自分を見失います。
なぜなら、その善悪の基準は自分が決めているからです。
つまり、善悪を突き詰めていくとひとりよがりになってしまうということです。
もしかしたら、自分で悪いと判断していることが他人から見た善かもしれないからです。
善だと判断している人から見たら、あなたはなんて身勝手な考え方をしているんでしょう
と、たしなめられるか非難されるでしょう。
その善悪の判断の多くは宗教的な概念から来ています。
親からそのように教えられたと言っても、それは親が宗教的概念をもとに判断している
ことを子供に伝えているだけなので変わりません。
波動は軽い方がいいと私も思います。
しかし、軽い波動を求めているとついつい「これをしてはいけない」「こうしては
いけない」などと自分を制限し自分の考えに縛り付けて自らの自由を奪ってしまい
身動きが取れなくなってしまいます。
変な話ですが、誰かの考えをもとに考えて・・・。
と、言っても最終的には自分で決めた判断なので自分に責任があります。
しかし、その考えを自分に求めているのは他ならない自分です。
この世はそうした考え方で充満していてすべての物事の判断がそうなっています。
だから、波動が重い=悪いこと、波動が軽い=善いこと
という二元的な考え方になりやすく、いろいろな本を読んでもそのように書かれて
いるので、どうしてもそうなってしまいます。
そのため、私たちはこの世界の善悪の判断とは違った価値基準を身に着けていかないと
いけないのです。
すべては起きている事実であり、それに判断を加えているのは自分自身であり、自分が
その判断基準を持っていて、善悪の基準と波動の軽い重いを結び付けているということを。
宇宙は善悪の判断をすることはありません。
私たちの持つ善悪の基準は支配者が宗教によって持ち込んだ概念だということを過去に
アシュタールが語っていたと思います。
その善悪の概念を手放すためには物事を裏表、あるいは善悪の両面から見ておくことが
必要だということですね。そのうえで自分はこちらの判断を選ぶと納得していればいいと
いうことです。
話があちこち飛んでしまいましたが、波動の軽い重いは善と悪のの判断ではなく、あくまでも
その人の心の状態を表しているものだということです。
また、事実心の状態の悪い人は波動が重く、楽しい人は波動が軽いということはあり得る
ことでありますが、波動の軽いを求めて善だけ行うということもナンセンスだということです。
なぜなら、善の行為だけ行っても苦しくなるだけですので気が付いてみれば波動が重くなって
いたということもあるからですね。
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