破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:思考の牢獄、思考の檻」
今日の破・常識!
もうこんなに過酷な環境はイヤだ・・と思うならば、
そこから出る決心をしてください。
覚悟をしてください。
怖いことはありません。
だって、そこ程過酷な環境はないのですから・・byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「思考の牢獄、思考の檻」by アシュタール
はっきりお伝えさせていただくと・・
あなた達はとても過酷な環境にいるのです。
とても不自由なところに閉じ込められてしまっています。
牢獄のようなところにいるのです。
でも、あなた達は生まれたときからそこにいるので
その環境が当たり前だと思ってしまっています。
牢獄で生まれた子どもは、
そこが世界のすべてだと思ってしまうのです。
アシュタールはイヤなことを言いますね・・
でも、それがわからなければそこから出ることが出来ないのです。
いえ、そこが良い、ここから出たくない、この環境を楽しみたい
・・と思う方は、それでいいと思います。
それもまた貴重な体験なのですから。
でも、私はイヤだ、ここから出たい・・と思う方にお伝えしています。
先ず、あなたがいる現実を知ることです。
あなたがいる現実、ホログラムがどれほど過酷なものであるかを
知ることからはじまります。
そんなに過酷ですか?ちゃんと生きていけていますよ
・・そう思うかもしれませんが、
生きていくために生きているのが現状ではありませんか?
食べるために、住むために、着るために
一日中あなたの時間を削って働く・・・
それはもうすでに過酷な現状なのです。
お金のために働く・・それが当たり前になってしまっている
環境は異常なのです。
お金のためにやりたいことも我慢して
時間を切り売りしなければいけない・・・
それはとても異常なことなのです。
それを分かってください。
いろんなことで脅され、いつも不安と心配と
怖れとともにいなければいけないことは
自由からはかけ離れたものなのです。
でも、アシュタールは牢獄の中にいると言いますが
何も拘束されているわけじゃないし
好きなところに行くことが出来ます。
そして、牢獄のように常に監視され
命令されているわけじゃないですよ・・と思っているようですが
あなた達を閉じ込めているのは物理的なものではありません。
あなたを閉じ込めているのは思考の牢獄なのです。
思考を操作されてしまっているので
自分では牢獄にいるとは思っていないのです。
閉じ込められているとは気がつかないのです。
誰も監視していないしと言いますが・・
あなた達はお互い監視しあうようにされています。
常識というルールを与えられ
それに従うように教育されているので
そこから誰も離れないようにお互い見張り合っているのです。
親が子どもに、それをしてはいけません
これはしなければいけません
・・などと教えるのも常識という
暗黙のルールに閉じ込めているのです。
常識という不安定なルール(わざとはっきりとさせないのです。
あなた達を混乱させ、対立させるために、不明確にしているのです)
から出る人を、みんなで非難するということは
お互い監視しあっているということなのです。
みんなから非難されるのが怖いので、仕方なくその常識に従う
そして従わない人を今度は自分が非難する側になる・・
こうしてお互い監視のもとあなた達は
その狭い牢獄にしばり合っているのです。
誰もいちいち命令しませんと言いますが・・
表だっていちいち命令はしませんが、先ほどの話と同じで
思考が操作されてしまっていますので
命令されなくても命令に従っているのです。
常識、道徳観、倫理観・・等によって
これはしてはいけない、これはしなくてはいけない・・
と見えない、聞こえない命令に従っているのです。
思考を操作することで、自発的に命令通りに
動くようにされてしまっているのです。
税金は払わなければいけない、労働と納税は国民の義務です・・
というのも完全なる思考の操作によるものです。
生きるためには労働しなければいけない
お金を儲けなくては何も出来ない
国は国民が支え守らなくてはいけない・・
そう思わされてしまっているだけなのです。
過酷な牢獄から出たければ、まず自分がそこにいることを認識し
牢獄である思考の操作から抜けなければ無理なのです。
思考を変えることなく、そこから出ることは出来ません。
あなた達が入れられているのは、思考の檻だからです。
あたりまえ・・を疑ってください。
常識、道徳、倫理、宗教を違う角度から見てください。
そうすれば、見えなかった檻が見えてきます。
見えてくれば、そこから出ることが出来ます。
あたりまえではない思考をすればいいのです。
常識を破り、まったく反対の考え方
価値観を持てるようになれば、
閉じ込められている檻から出ることができます。
いままで慣れ親しんだ檻から出るのは怖いかもしれません。
どんなに過酷なところでも、慣れ親しんだところの方が
安心していられますので。でも、その安心感にひたっていたら
ずっとそこから出ることが出来ないのです。
もうこんなに過酷な環境はイヤだ・・と思うならば、
そこから出る決心をしてください。
覚悟をしてください。
怖いことはありません。
だって、そこ程過酷な環境はないのですから・・
そこから出てもそれ以上ツライことは起きません。
いま、もっとその牢獄は小さく狭くなってきています。
もっと過酷になって来ています・・
それはあなたも気がついていると思います。
それ以上我慢してそこにいることはないと思うのですが
いかがでしょうか?
広くて、楽しくて、気持ちの良い環境が外には広がっています。
ツライ監獄から出て、ご機嫌さんの環境に行く選択肢は
あなたにあるのです。
あなたはどうしたいですか?
誰かに反抗して、戦って、痛い思いをすることもありません。
出るためには、思考、価値観、考え方を
まるっと反対にするだけでいいのです。
先ずは現実をしっかりとみて
その環境に疑問を持つことからはじめてくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
思考の監獄、思考の檻と言われてもピンと来ないかもしれません。
多くの人は今生活するだけで精一杯なのでそんなことを考える余裕すら出てこない
だろうと思います。
思考の監獄と織?
そんなことより今のコロナで生活が破綻しそうなのに何とかしてほしい!
という声の方が切実な現実だろうと思います。
しかし、コロナによって起きている様々な現実が実は思考の監獄の結果だと
考えられるでしょうか?
もし、考えられないならばすでに思考の監獄の中にとらわれている証拠です。
毎日テレビの報道にくぎ付けにされている人も同じです。
テレビ自体が思考操作するための最大のツールだからです。
ある実験でテレビを見る前はこの内容はどうとかこうとか考えていたものが
数時間もすれば思考が停止し、ただ無条件に流される情報を受け入れる方向に
変わってしまうという実験結果がありました。
それがテレビです。
ながらテレビなんかもっともその条件に当てはまります。
見ていないようで耳では聴いていて脳裏に残っています。
旅行番組とか教育番組などはいいのですが、報道番組や報道バラエティは確実に
思考を停止させ、それ以外のことは考えられないように誘導していきます。
これが思考の監獄に等しいものです。
出来れば一日テレビを見ない日を作って頭をリフレッシュしてみると思考の監獄に
とらわれていることが見えてくるようになります。
たまにはテレビを見ない日を作ってみましょう。
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