破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ふつうの人???」
今日の破・常識!
ふつうという言葉に振り回されないでください。
ふつうの人はいません。
みんなそれぞれに個性があって、とてもユニークな存在なのです。
作られた幻の”ふつうの人”を探して
自分を見失わないでくださいね。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「ふつうの人???」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
ふつうの人・・という人はいません。
みんな個性があって、それぞれなのです。
ふつうの人・・そんなカテゴリーに収まる人はいないのです。
お分かりだと思いますが・・
どこからどこまでがふつうで、どこからどこまでが普通じゃない
・・などの明確なものはないのです。
Aさんから見たらCさんはふつうの人だけど
Bさんから見たらCさんはふつうじゃない人・・
ということもあり得るのです。
それは、見た人の価値観やものの見方
考え方によって大きく変わるからです。
ちゃんとした?会社に勤めて
朝から晩まで働いている人をふつうの人
それがふつうの生活だと思っている人は、
会社に勤めず何か(自分には)わからない
仕事をしているような人はふつうの人とは思わないのです。
反対に、会社に勤めず自由な生活をしている人から見れば、
その人はふつうの人なのです。
人数が多いカテゴリーがふつうで、少数派はふつうじゃない
・・という判断もおかしいのです。
人数が多い方が正しい、少数派は間違っているということはありません。
ふつうが正しくて、ふつうじゃないことが
間違ったことということもないのは分かりますね?
何がふつうで、何がふつうではない
・・などという規準はないのです。
なんとなく・・ふつう?という感じじゃないでしょうか?
そのようなあいまいな判断によるふつうを大切にし
ふつうにならなければいけないと思ってしまうと
蜃気楼を見て砂漠を彷徨うようなことになってしまいます。
ふつう・・それは、ある意味ワンサイズの洋服のようなものです。
ワンサイズの洋服を着なさいと言われているようなものです。
人の身体の個性を無視して、洋服に合うような身体になりなさい
・・と言われているのです。
ふつうは着られますよ・・と言われて
着れない自分が悪いと思い込み、何とか洋服が
着られるように頑張っているようなものなのです。
みんなが着られているのに、どうして自分は苦しいのだろう
違和感を感じるのだろう・・と、みんなが思っているのです。
自分以外はみんなぴったり来ていると
思い込んでしまっているだけなのです。
だから、みんなそのことを口にしません
(この服は着にくい、ツライ、苦しいなど)
でも実は、みんな苦しいのです。
みんな違和感を感じているのです。
丈が長かったり、袖が短かったり
胸回りが窮屈だったり、肩幅が大きすぎたり・・
いろいろなところに不具合が起きているのです。
違和感を感じているのです。
でも、それが当たり前だからと思って
洋服に合わせようとしているだけなのです。
この服は窮屈で着られない・・と言う人がいても
その人は変わり者だから、自分とは違うから、と思って
ふつうに着ているふりをしてしまうのです。
みんな違和感を感じています。
それを知ってください。
そして、違和感があると口にしてください。
洋服はワンサイズでは無理なのです。
それぞれの身体の個性を無視しては
苦しくて仕方がなくなるのです。
着られないのは自分が悪いからだ、努力が足りないからだ
と思ってしまうと身体をこわし
こころのバランスも崩してしまいます。
着られない服を無理して着ようとしないでください。
着られないものは着られないのです。
自分の身体にあった着心地の良い服を探して着てください。
あなた達を支配・コントロールしている人たちは、
人々を没個性にしようとしているのです。
教育などでひとつの答えだけを求めるようにするのも
みんなが同じ考え方をするように仕向けているのです。
なぜならば、みんなが同じような考え方、価値観を持てば
楽に支配・コントロール出来るからです。
ワンサイズの服だけを作っていればいいので、楽だからです。
個性はいらないのです。
没個性で、何も考えず、何も文句を言わず
自分達にしたがってくれる人たちを育てることが目的なのです。
そして、何かあれば、自分が悪かったから
努力が足りなかったから・・と自分を責める人を作りたいのです。
そうすれば、いつまでも彼らの支配・コントロールに
気がつかないからです。
話が逸れてしまいましたので戻しますね。
ふつうという言葉に振り回されないでください。
ふつうの人はいません。
みんなそれぞれに個性があって、とてもユニークな存在なのです。
作られた幻の”ふつうの人”を探して
自分を見失わないでくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
「あなたはいたってふつうの人だよね」などと言われると、どことなく安心感を覚える人は
すでに「ふつうの人」です(笑)。
笑い事ではありませんが、それがいたってふつうのことなのです。
そして、みんな一生懸命「ふつうの人」になろうと努力しているのが今の社会です。
もし、あなたが「ふつうのひとじゃないですね」などと言われてしまうと心がざわざわとして
落ち着かない不安を覚えるのではないでしょうか?
世間一般から外れた異端な人と言う意味にとらえ、一気に仲間外れにされた気分に陥り
「そうじゃない」と否定する心とがっくりする自分を発見するはずです。
それほどにこの世の中はふつうであることが求められ、ふつうであろうとする世界です。
支配者から見ればふつうの人というカテゴリーに分類される範囲に入る人が多くなる
方が望ましいからです。何も言わなくても自らそのカテゴリーに入ろうと努力してくれる
わけですから、支配者の方から「この籠の中に入りなさい」と命令する手が省けるからです。
これほど楽なことはありません。
修学旅行で先生が学年全員を引率しますが、中には規則を守らず時間までに宿に戻って
来ない生徒も出てくるでしょうし、何らかの騒ぎを起こす生徒も出てくるでしょう。
先生からすれば生徒同士で見張り「悪さをする生徒はいないか」と互いに監視し合う
ことで不祥事が起きないことの方がホントに楽です。
だから支配する人から見れば仲間から外れた行動を起こさずおとなしくしてもらった
方が良いわけです。
ふつうの人というカテゴリーを作って全員でそういう人を求めてもらうのがいいわけです。
では、その「ふつうの人」というのはどんな人なのか?
考え方は人それぞれですが、私が持っていた「ふつうの人」というのは普通の学校を出て
普通の会社に入り、一般的な昇進コースを経て退職する人です。普通の人と結婚して
順風万端な人生を送り、事件にも巻き込まれず、子供も数人程度いて、できれば男女の
人数が同じで子供も普通の育ち、普通の人と結婚し普通の仕事をしてくれるという具合
でしょうか?
普通という言葉ばかり並んでしまいましたが、それがふつうの人です(笑)。
今、歌舞伎町界隈の風俗業やバー、キャバレーなどがコロナ騒ぎで仕事が立ち行かない
状況に追い込まれていますが、ほとんどの人が負けるな頑張れとエールを送るどころか
いい気味だと冷えた目で見ている人が多いだろうと思います。
これも職業で見ればふつうの仕事とみていないからですね。
もちろんぼったくりとか過激な営業で問題になることはありますが、それでもひとつの
仕事として成り立っています。
営業の人で絶対利用しないという人はいないでしょう。
接待では必要な業態です。
この世の中は実に多彩です。仕事だけでなく、人でもバリエーションに富み、それぞれ
個性豊かで自分をそれなりに表現して生きています。
そう考えると、どこからどこまでがふつうの人なのかと思わざるを得ません。
その「ふつうの人」という範囲を決めているのは自分自身です。
その「ふつうの人」という内容を自分で考え直してみるとわかります。
ふつうの体重、ふつうの顔、ふつうの身体、ふつうの会社、ふつうの考え方
ふつうのやり方、ふつうの人生、ふつうのサラリー、ふつうの学校などなど
数え上げるときりがありません。
そして、いつの間にか「ふつうの人」を求め、「ふつうの人」になろうとしている
事に気付くのではないのでしょうか?
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