世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自分 vs 自分」

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対立 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自分 vs 自分」

アシュタールは自分のどこが好きですか?

アシュタールさんはご自分のどこが好きですか?
どういうところが好きですか?

・・・というご質問をいただきました^0^

では、よろしくお願いします、アシュタールぅ~

「自分 vs 自分」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
そのようなことは考えたこともありませんので
 
どうお答えしたらいいか・・難しいですね。
 
 
好きなところ・・・ということは嫌いなところもあると
 
いうことでしょうか?
 
 
私は自分の好きなところも嫌いなところもありません。
 
すべてが私だからです。
 
 
好きなところ、嫌いなところという概念は分離です。
 
自分を分離させても仕方ないですね。
 
何も良いことはありません。
 
 
自分を分離させるということは、自分の中に争いを
 
起こさせる原因となります。
 
好きな自分 VS 嫌いな自分。
 
良い自分 VS 悪い自分。
 
素晴らしい自分 VS ダメな自分。
 
 
対立させる基準・・それが常識、宗教観、道徳観
 
倫理観などと言われるものです。
 
誰かが作り出した善悪の概念によって刷り込まれたもので
 
自分をジャッジしているのです。
 
 
自分を対立させてもツラいだけです。
 
対立させている限り自分の中が平和になりません。
 
自分の中が平和で穏やかにならない限り、あなたの現実は
 
平和で穏やかにならないのです。
 
 
自分を許すという言葉(概念?)があるようですが、
 
それも違いますね。
 
許すという言葉もジャッジです。
 
ダメなところも愛してあげましょう・・というのも
 
ダメな自分というところがあるということです。
 
キライな自分も愛して許してあげ、すべてを融合しましょうと
 
いうのは前提に分離した自分がいるということです。
 
 
自分を分離させてしまうと混乱が起きます。
 
したいこと、と、してはいけないこと・・という問題が
 
起きてきて、どちらがいいのかわからなくなります。
 
頭とハートが乖離してどうしていいかわからなくなって
 
しまい混乱してしまうのです。
 
 
すべてはあなたです。
 
だから、良いことと悪いことを分けるのではなく、
 
自分が素直にやりたいと思うことをしてください。
 
そうすればとてもシンプルになります。
 
そして、見ている現実が平和で穏やかなものとなります。
 
 
ここでいつも道徳的な概念がなければ、
 
なんでもありになって社会的に大変なことになります・・
 
というエネルギーが飛んできます。
 
 
自分の中に自分VS自分の闘い、争いなどがなく、
 
自分の中が平和で穏やかな人は誰かを傷つけようとか
 
思いません。
 
自分の中に闘いや争いがあるからエネルギーが不足して
 
エネルギーバンパイアになってしまうので人に意地悪したり
 
八つ当たりしたりして(人を傷つけたりして)
 
人からエネルギーを奪おうとするのです。
 
エネルギーバンパイアがたくさんいると社会は混乱するのです。
 
 
反対に平和で穏やかな人がたくさんになると社会も平和で
 
穏やかになるのです。
 
 
あなた達は好き放題するなんてとんでもない、みんながすき放題
 
しはじめると悪いことばかりするようになる・・
 
だからルールが必要なのですと教えられていますが、
 
それはまったく反対なのです。
 
 
自分の中が平和で穏やかになるとルールなど必要ないのです。
 
反対にルールなど作って管理されたりして不自由になる
 
(自由に個性を表現出来なくなる)からエネルギーが不足
 
してしまうのです。
 
常識や宗教観、倫理観などからルールを作ってしまうから
 
自分の中でジャッジが起き、分離が起き、自分 VS 自分 
 
などと言うナンセンスなことが起きてしまうのです。
 
 
自分と闘わないでください。
 
自分と闘う必要などみじんもないのです。
 
 
すべてがあなたなのです。
 
良い自分も悪い自分もありません。
 
それらを融合する必要もないのです。
 
だってもともと融合するべき分離したあなたなど
 
いないのですから。
 
 
ですので、私は自分の好きなところ・・という考えを
 
持ったことはありませんとお答えしたいと思います。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

アシュタールさんはご自分のどこが好きですか?
どういうところが好きですか?

という質問をした方の気持ちよくわかります。

それはおそらくアシュタールと言う高次元の存在であれば、自分が好きなところだけしか

ないからと思っていたからかもしれませんね。

それで、どうのような部分が好きですか?という質問の回答を引き出し、自分もアシュタール

のような好きな部分を持てる自分になりたいと思っていたのかもしれません。


私たちはいつも必ずどこかで心の葛藤を抱えています。

自分と言う人間が持ってはならない嫌だと思う部分もあるはずです。

その嫌な部分と言うのはこの世の善悪や常識などと照らし合わせてのものです。

あの人はいい人だとか悪い人だという判断基準がそうさせているのですが、

世間一般的な常識から判断すればなんと自分は愚かで悪い人間なんでしょう!

と思う部分との葛藤との戦いを繰り広げて悩んでいます。


だから、好きなところだけの自分でありたいと思ったのでしょう。

それに対してアシュタールは「すべてがあなたです」と答えています。

その意味は世館的な常識や善悪の基準で悩まずに素直に自分を表現することを

楽しみなさいと言っているのだと思います。

そうすれば、どこが好きですか?という質問も野暮な質問になります。

なぜなら好きとか嫌いという自分がいないからです。

どちらも自分であって愛すべき自分だからです。

自分をいつもいつもそうした目で責め立てても意味がないということですね。




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