破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:おかしいと思う感性」
今日の破・常識!
おかしいと思う感性・・それがこれからとても大切になります。
ただ何も考えずに受け入れるということをやめ
どうして?どうして?と考えてください。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「おかしいと思う感性」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
もっとやってもらってください。
そうすれば、おかしいと思える人が増えてきます。
いまはまだ、あなた達の思考エネルギーは
どうすれば我慢してここを乗り切れるか?という方向にいますが
このままの方向で行くことに我慢が出来なくなってきます。
もうムリ、あまりのひどさに我慢の限界を超えている・・
と思うことが出来れば、自分達は搾取されているんだということが
本当にハートで理解できるようになれば、思考が変わります。
我慢するのではなく、離れようと思うことが出来るようになります。
我慢することに慣れ過ぎてしまって
自分達が我慢していることに気がつかない状況なのです。
でも、もう限界に来ています。
この社会はおかしい、と思えるところにやっと来ているのです。
おかしいと疑問を持つことが出来れば、
次のことを考えることが出来るようになります。
このおかしな社会でいくら我慢して
頑張って生きようとしても幸せにはなれない・・
と気がつけば次に行けるのです。
疑問を持つことが出来れば、
どうしたらそれを解決することが出来るかと
考えることが出来るようになります。
停止していた思考が動きはじめるからです。
ですから、言い方は良くないですが・・
もっとやってもらってくださいとお伝えしたいと思います。
どんどん生活が厳しくなって、苦しくなって
何のために働くのか、何のための、誰のために人生なのか?
・・というところに視点が行けば思考が動きはじめます。
自分のこととして、自分の人生に起きていることとして
自分の頭で考えることが出来るようになるのです。
そうなれば、自分の手に自分の権利を取り戻すことが出来ます。
どうして?・・という疑問を大切にしてください。
それが次へと行くためのカギなのです。
仕方ないから我慢する・・それは思考停止です。
仕方ないということは何もありません。
我慢しなければいけないことも何もありません。
我慢すればするほど
あなたはもっと我慢しなければいけなくなるのです。
それを忘れないでください。
そして、あなたはいまも十分に我慢している
ということをお伝えしたいと思います。
我慢していることさえ気がつかないほど
我慢に慣れてしまっているのです。
自分は我慢している・・と自覚してください。
そこからです。
我慢していることがわかれば、我慢をやめることも出来ます。
我慢していることがわかれば、社会に対しての疑問も出てきます。
疑問が出てくれば、自分はどうしたいのか
考えることが出来るようになるのです。
選択肢が出来るのです。
あなたが我慢することをやめ、自由に生きはじめれば
まわりの人も自分が我慢していることに気がつきます。
あなたから始めてください。
あなたから我慢を手放してください。
自由に好きに生きていいんです。
それはあなたの権利なのです。
誰もあなたの生き方にとやかく言う権利はないのです。
反対にあなたも他の人の生き方にとやかく言う権利はないのです。
おかしいと思う感性・・それがこれからとても大切になります。
ただ何も考えずに受け入れるということをやめ
どうして?どうして?と考えてください。
そして、それをすることが自分にとって
ご機嫌さんになることかどうか?
自分が望んでいるからすることなのかどうか?
という視点から考えるようになってください。
小さな日常のことから
そのような視点で見ることが出来るようになれば、
社会全体のこともそのような視点で
見ることが出来るようになります。
庶民がそのような視点で見ることが出来るようになれば
いまのピラミッド型の社会システムは何もしなくても自壊していきます。
思考ひとつなのです。
思考が変われば、あなたの見ている現実、社会は変わります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
先日のマスクを強要され飛行機を降ろされた乗客の事件が注目を浴びていますが、あの事件も
私たちに「おかしいのでは?」という疑問を起こさせるきっかけになっています。
どちらが正しいかではなく、何がおかしいのか?と考えることです。
飛行機に乗る前に「マスクをしてください」との確認表示がなかったと問題の乗客が記者の
質問に答える形で述べていますが、そうではないでしょうと言いたいところです。
もし、すべての飛行機でマスク着用を義務付けられ、しない乗客は乗車拒否されるとしたら
そちらの方が大きな問題です。
問題の根源はマスクが本当に必要なのか?
というところです。
もし、公的機関でも企業でもマスクが絶対必要なものではないという意識が広がれば今回の
ような問題は生じません。マスクをするしないは個人の裁量に任されるからです。
今回の事件はマスクをするしないの自由さえ私たちは奪われようとしているということです。
そしてその自由は誰が決めているのでしょうか?
政府でしょうか?
そうではないはずです。私たち自身が私たちに求めているのです。
その基準は?
と問われるならば、以前なら「風邪気味の方や風邪をひいている方」という明確な定義が
ありました。それが今やありません。ただ単にマスクをするかしないかだけです。
これほど恐ろしいことはないでしょう。
ただ周りでそう決めているから従いなさいということになります。
東京都では感染者が他人に感染を広げたらその人を罰する法律が制定されようとして
いますが、果たしてそこまでして必要なものなのでしょうか?
そして感染者が自治体の求める行動基準に従わなかった場合と言う条件付きですが
これが許されると、次にさらに厳しい法律が作られるきっかけになります。
それが問題なのです。
国民は為政者の好き勝手にされてしまいます。
ある意味、中国化に等しい状況を東京にもたらします。
それがどれほどのものか私たちは自分で情報を集めて知らなければなりません。
知れば、反対するでしょう。
疑問を持つ感性と言うのはただ漠然と考えていても生まれません。
それにはあるひとつのおかしいという事実を突き止め、そこから多くの現実の
不合理さを知ることから始まります。
ただ疑問を持つだけでなく、その原因や理由を探り自分でその情報を見つけることです。
その情報が足掛かりとなり、いろいろなことに疑問を持てるようになります。
それが疑問という感性を育てていきます。
だから、少しでもおかしいと思うなら知らべてみることですが、その疑問のきっかっけを
アシュタールやさくやさんも提供してくれています。
ただ、すべての情報を最初からアシュタールは示してくれませんから、そこは自分で調べる
以外ありませんので誤解なきようお願いします。
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