破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:学校の目的」

スポンサーリンク
学校 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:学校の目的」

今日の破・常識!

学校は鋳型工場です。

子ども達を管理しやすいように、思考停止にさせ

同じ思考、同じ行動をとるように

没個性にすることが一番の目的です。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。



「学校の目的」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

まずは学校の目的をお伝えいたします。

学校は鋳型工場です。

子ども達を管理しやすいように、思考停止にさせ

同じ思考、同じ行動をとるように

没個性にすることが一番の目的です。

ですから、自由な発想を持つ子ども達は苦しくて仕方がありません。

ムリヤリ自分とは違う形にはめられるのですから。

楽しいわけがないのです。


授業中に立ち歩く子が多くて困る・・

それは授業が楽しくないからです。

それが原因です。

子ども達に問題があるのではなく

つまらない授業をしている学校に問題があるのです。

つまらない授業・・つまらないのは当たり前です。

自分で体験することなく、ただ頭、理屈だけで教えられ

そしてそれをただただ暗記するように言われるのですから

楽しいわけがありません。

子ども達は(子どもだけではありませんが)

体験することが楽しいのです。

体験することで、いろんなことを自分のこととして

考えることが出来るのです。

そして、次にどうしたらいいかを考えることが

出来るようになるのです。

何かが起きたときに上手く対処する

臨機応変な発想を身に着けることが出来るのです。

体験することなく、ただ机の上の理屈だけでは

自分のこととして考えることが出来なくなって

臨機応変に対処する力を持てなくなります。


そして、もう一つ、学校に行く意味が分からないからです。

何故学校に行って一日中勉強をしなければいけないのか?

・・自分が行く意味がはっきりとわからないから

行きたくなくなるのです。

どうして学校に行かなきゃいけないの?

と大人に質問すると

将来のためだとか

みんなが行くのだから行くのが当たり前なの

などの何の回答にもなっていない答えが返ってくるだけです。

それではまったく納得出来ません。

子ども達(大人もそうです)は、目的がはっきりとし

それをしたいと思えば素晴らしい力を発揮します。

たとえば、飛行機を飛ばしてみたいと思ったとします。

そのためには、学校に行って数学や理科

理解する語学力などの知識を持つことが必要だと思えば

学校に行って知識を得ることを楽しむことが出来ます。

何も目的を持つことがなく

ただ教えられたことを暗記していくのでは、

何も楽しくないし、頭にも入りませんが

この目的のために知識を持ちたいと思えば

自分から進んで勉強しどんどん知識を吸収することが出来るのです。


人は目的がなければ、動くことは出来ないのです。

それも、自分が納得した、自分が見つけた

自分が選んだ目的です。

自分がやりたいと思えることです。

それがあれば、すべての人は素晴らしい能力を発揮します。

素晴らしい集中力を持って目的に向かうことが出来るのです。


子どもが学校に行きたくないと言ったら

学校に行かせる必要はありません。

その子が自分のしたいことを見つけることが

出来るようにしてあげてください。

自由に好きなことをさせてあげれば、

自分で好きなこと、得意なこと、やりたいと思うことを見つけます。

もし、そのやりたいことが学校に行った方がやりやすいと思えば

自分で学校に行くようになります。

もし、そのやりたいことが学校では出来ない

別の道の方がいいと思えば、

自分ですすんでそちらに行きます。

子どもだけでなく、大人も同じだということをもう一度お伝えします。

人は目的がないと力を発揮することが出来ません。

反対に目的があると素晴らしいパワー

能力を発揮することが出来るのです。

目的を持ってください。

したいことをするようにしてください。

好きなことをどんどんしてください。

なんのために学校(仕事)に行くのですか?と問われたときに

好きだから、やりたいからです・・

と答えられるあなたでいてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

なぜ、学校に行かないといけないのか?

法律で決まっているから・・・。

でも、その法律っていつできたの?と思うでしょう。調べてみると・・・。
 

4.我が国の義務教育制度の変遷

年代 法令 就学義務に関する規定

明治5年
(1872) 学制 ・ 教育年限を下等小学校4年、上等小学校4年の計8年としたが、強制力は弱かった。

明治12年
(1879) 教育令 ・ 教育年限は基本的に8年であるものの、最短で16ヶ月通学すればよいと規定された。 ・ 第17条において、「学校に入らすと雖も別に普通教育を受くるの途あるものは就学と做すへし」と規定されていた。

明治13年
(1880) 改正教育令 ・ 教育年限は8年のまま、最短規定を3年(毎年32週通学の場合)とし、その後も相当の理由のない限り毎年16週以上通学させることとした。 ・ 学校又は巡回授業以外で学齢児童に普通教育を受けさせようとする者は、郡区長による認可及び児童に学業成果の確認のための試験を受けさせることを必要とした。

明治19年
(1886) 小学校令 ・ 「義務教育」の文言が初めて登場した。 ・ 義務教育3~4年(尋常小学校を卒業するまで)と規定された(ただし、地方の学校設置義務が規定されなかったため、論者により、義務教育の開始年を明治23年とする者もいる)。

明治23年
(1890) 第2次小学校令 ・ 義務教育3~4年(尋常小学校を卒業するまで)と規定された ・ 地方の学校設置義務も規定された。 ・ 学校に通学しなくとも、家庭学習により就学義務が果たされるとの規定が登場した(市町村長の許可を必要とする)。

明治33年
(1900) 第3次小学校令 ・ 義務教育4年(尋常小学校を卒業するまで)と規定された。 明治40年
(1907) 第5次小学校令 ・ 義務教育6年(尋常小学校を卒業するまで)と規定された。 昭和16年
(1941) 国民学校令 ・ 義務教育8年(国民学校初等科6年、高等科2年を卒業するまで)と規定された。 ・ 戦時下の特例により、高等科2年は終戦まで実現されなかった。 ・ 第2次小学校令以来規定されていた、学校に通学しなくとも、家庭学習により就学義務が果たされるとの規定はなくなった。

昭和22年
(1947) 教育基本法、学校教育法 ・ 義務教育9年(小学校6年、中学校3年)と規定された。 (出典)   「学制120年史」(文部省)

「明治以降教育制度発達史」(教育史編纂会(文部省内))
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/04053101/007/004.htm

どうやら、今の小学校6年、中学校3年と定められたのは昭和22年ですから、戦争が終わって

すぐのようです。

つかり、戦後敗戦国となり、アメリカの植民地支配の中でGHQによって現在の教育制度の

骨格が出来たようです。

それ以前の明治12年なんかは学校に入らずとも別の制度で教育を受けたものはそれなりの

教育を受けたものとみなすとなっているようにかなりゆるやかだったことがわかります。

その後義務教育らしきものが出てきたのが明治19年です。このころになって国民を全員

学校に入れるという考えが出て来たようです。

おそらく明治政府の骨格が定まりある程度政権が安定してきたからでしょう。より欧米化を

目指したとものと思います。

ついで世界の義務教育の年数を見てみると

義務教育の年数

世界の義務教育の年数について表にまとめます。ヨーロッパの国の多くは9~13年と比較的長く設けられていることがわかります。一方、義務教育が少ない国についてはアジア、アフリカなどの国が多いようです。

義務教育年数主な国
13年(7カ国)ドイツ(定時型義務制度を含む)、ベルギー、オランダ、(アメリカ)、(カナダ)
12年(7カ国)ニュージーランド、ブルネイ、トルコ、(アメリカ)、(ドイツ)
11年(19カ国)イギリス、ノルウェー、ロシア、(アメリカ)
10年(34カ国)フランス、イタリア、デンマーク、豪州、(ドイツ)、(アメリカ)、(カナダ)
9年(38カ国)日本、フィンランド、タイ、トルコ、中国、韓国、(アメリカ)、(ドイツ)
8年(17カ国)モンゴル、インド、ガーナ、ブラジル
7年(15カ国)タンザニア、ジンバブエ、ザンビア
6年(27カ国)エチオピア、カタール、カンボジア、シンガポール
5年(6カ国)パキスタン、ネパール、ベトナム
4年(1カ国)アンゴラ

(出典:文部科学省「諸外国の教育統計平成29年(2017年版)」)

日本は世界の中でも中間にあるようです。中には義務教育が13年と言う国もあります。

こうした国は義務教育を終えてからさらに高等教育、大学と続くのでかなりの年数になり

すべて卒業するころには25歳くらいでしょう。


いろいろありますが、共通しているのは子供を厳格に籠の中に入れているというところです。

例外はなく必ず通過しないと卒業したとみなされず社会的にも不利を受けます。

しかし、ヨーロッパではギルドの名残からかかなり厳格に子供の自由が制限されますが

アメリカでは個人の能力を重視しその特性を伸ばす教育が行われます。

一方、日本は完全な金太郎あめ教育です。要するにどこで切っても同じ金太郎の絵柄が

出る均等な子供を育てるところに重点が置かれています。

これほど均一な子供を作ろうとしているのは戦後日本人の能力の高さを恐れた欧米列強が

日本人を個性豊かに育てると第二次世界大戦で完膚なまでに叩き潰すの苦労した日本人の

優れた能力を恐れたゆえにその根を小さいころからつむぐ没個性的な教育制度を押し付けた

のだろうと思われます。

なぜ?そう思うのかと言うと、アメリカが個人の能力を重視しているのですから、支配国の

制度をそのまま導入すべきなのにそうしてないからです。

要するに私たちはかなり没個性的な教育を受けているということです。





コメント

タイトルとURLをコピーしました