破・常識 あつしの歴史ブログ「読者の質問:レプティリアンも同じ絶対無限の存在なの?」
今日の破・常識!
あなたも私も、隣の人も、他の宇宙人たちも
みんな絶対無限の存在そのものだということです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「すべてが絶対無限の意識の分身なのです」by アシュタール
宇宙はあるひとつの意識からはじまりました。
その意識を私たちは絶対無限の存在と呼んでいます。
そして、すべてはその意識の分身なのです。
あなたも私も、宇宙に存在するすべては
絶対無限の存在の分身(小さな絶対無限の存在)なのです。
だから、あなたも私も、隣の人も、他の宇宙人たちも
みんな絶対無限の存在そのものだということです。
ならば、どうしてこんなにいろんな存在がいるの?・・・
アシュタールはレプティリアンたちが
私たち人間を支配・コントロールしているっていうけど
そんな悪いことをしている宇宙人も絶対無限の存在なの?
絶対無限の存在って何?どういうことなの?・・・
という疑問についてちょっとお話ししたいと思います。
宇宙は意識です。
意識はエネルギーです。
絶対無限の存在は意識エネルギーです。
ですから、もちろん私たち分身も意識エネルギーです。
そして、エネルギーは判断しません。
この意識はいい意識で、この意識は悪い意識だ
・・という判断はないのです。
良い悪い、善悪、という規準もありません。
すべては在る・・それだけなのです。
絶対無限の存在は、自分が何者なのかを知りたくて
自分の意識をたくさんに分けました。
そして、その分身たちに何をしてもいいから
自由に体験してほしいと思ったのです。
だから、たくさんの個性が生まれました。
あなた自身を見ていただければわかると思います。
あなたの中にもたくさんのあなたがいますね。
優しいあなた、素直なあなた、意地っ張りなあなた
意地悪なあなた、こずるいあなた、理性的なあなた
感情的なあなた、頼もしいあなた
・・・数え上げれば切りがありません。
そのなかで、いまどのあなたが大きな表現をしているか
・・ということです。
それは、状況やときによってまた変わってきます。
同じあなたでも、交流する人によって
またあなたの表現も変わります。
ずっと何があっても優しいあなたしか
表現しないということはありませんね。
ずっと意地悪な表現ばかりでもないでしょう。
人には笑顔を出さなくても
犬には笑顔で接するということもあります。
絶対無限の存在も同じなのです。
絶対無限の存在にもたくさんの表現があります。
愛にあふれた表現をする存在もいれば、
愛とは離れた表現をする存在もいます。
でも、愛から離れた表現をあなたにみせたとしても
他の存在には愛にあふれた表現をするかも知れません。
あなたの中にたくさんのあなたがいるように
絶対無限の存在の中にもたくさんの表現があるということです。
あなたの中に意地悪なあなたがいるからと言って
あなたが悪の存在だということはありませんね。
たまたま、状況や交流する相手とのやり取りによって
あなたの中の意地悪なあなたが
ちょっと顔を出した・・ということなのです。
どうして私の中にそんな意地悪な部分があるの?
・・って思うときがあるかもしれませんが、
それは絶対無限の存在の中にもあるからです。
いろんな個性があるから、いろんな体験が出来
自分が何者かがわかるヒントが増えるのではないかと思い
絶対無限の存在はたくさんの相反するような
個性の分身を創ったのです。
だから、そこには判断はないのです。
この個性は良い、これはダメ(悪い)という判断は
ナンセンスなのです。
すべては、貴重な体験をしてくれる分身だということです。
そして、分身同士、お互いの経験をしているのです。
ある分身が優しさの経験をしたいと思えば、
優しさを感じさせてくれる分身と交流するのです。
ある分身が、私は優しいという感情を体験したいので
優しさを体験させてくれる分身はいませんか?
・・とエネルギー場(宇宙)にたずねるのです
(優しさを体験させてくれる存在をオーダーするのです)
そして、私がその経験を手伝いましょう・・
とオーダーに答えてくれる存在が現れるということです。
何度も言いますが、体験に良い悪いはありません。
すべては絶対無限の存在にとって素晴らしい貴重な体験なのです。
楽しい、軽い体験ばかりでは、偏ってしまうのです。
同じ経験ばかりの物語では、どうですか?
つまらないと思いませんか?
ですから、その反対の物語も必要になってくるのです。
分身同士、いろんな相談をして、たくさんの経験、体験をして、
本体の絶対無限の存在の情報の海にいれているのです。
一方的にある分身が、違う分身にムリヤリ
体験させているのではないということです。
そして、絶対無限の存在はその情報を受け取っているのです。
あなたは(私も、隣の人も)絶対無限の存在の分身なのです。
小さな絶対無限の存在なのです。
だから、あなたの中にもたくさんの個性のあなたがいるのです。
あなたの中のたくさんの個性を楽しんでください。
この個性は良くて、この個性は悪い
・・という判断はナンセンスだとお伝えしたいと思います。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
私たちを支配して不安や恐怖のエネルギーを搾取しているレプティリアンも無限の存在の
意識の分身だと言われて、「そんなこと許されるの?」と思う人もいるかもしれません。
あれだけ嫌な思いをして生きているというのに、そんなの絶対許せない!
なんと不条理なことでしょう。
そう思うかもしれません。
このブログを読まれている方なら旧知の事実なので驚くことはないと思います。
でも、初めて聞かれる方には耐えがたいことでしょう。
それはこの世界の善悪の基準で考えるからです。
支配する方が悪い人物で支配される人は被害者であるという認識です。
宇宙は何の判断もしません。
というのは何度もアシュタールから聞かされていることばです。
その意味するところはそこに善悪の基準はないということです。
どちらも対等でありどれが良いか悪いかというものではないということです。
しかし、私たちは善悪という概念を基準にする世界に住んでいて常に
その価値判断を基準にして判断し生きています。
それはそうした二元性の世界だからです。
善悪を分けることによって体験できる世界もあるということです。
宇宙全体を見ればそのような善悪の二元性の世界ではなく、善だけ(善だけ100%
というのは存在すること自体難しいとは思いますが)の世界もあり、逆に悪だけの
世界も存在するということです。
それぞれに体験の内容が異なるだけです。
今、私たちはそうした二元性で分離の概念が強い世界に住んでいますが、やっと
そうした世界から波動を上げることで善の割合の多い世界へ移行しようとしています。
これまでは善悪の極端な世界に生きていたのがどちらかの割合の強い世界に移行する
機会が訪れています。
これは選択の自由です。
自分の希望の沿う世界を選ぶ機会が今与えられています。
レプティシランの支配の強い世界から弱い、あるいはない世界に移動するチャンスを
迎えています。
そう考えるならば、宇宙というのはある意味平等にできていると思います。
私たちが生まれて来た目的も二元性の強い世界から脱するための体験をしてみたいと
いまこの時期、この時代に生まれて来たのではないのかと思います。
コメント