世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自由ということをもう少し考えてみてください」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自由というをもう少し考えてみてください」

読者から「自由への介入について・・・」

「自由への介入」について・・・

さくやさんは「それは自由への介入になるから、できない」と仰る時がありますが、

絶対無限の存在は「なんでも自由にしていいよ」という態度のようなので、

出来ない理由を教えてください。

してもいいけど波動が下がるから出来ない、とかでしょうか…?

よろしくお願いします。

・・というご質問をいただきました。

では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「自由ということをもう少し考えてみてください」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
私も自由への介入になりますのでそれはお伝え出来ませんと
 
お伝えすることがあります。
 
 
自由への介入ということがあなた達には理解しにくいと思います。
 
なぜなら、あなた達は自由ということがよくわかって
 
いないからです。
 
 
あなた達が自由だと思っている自由は制限された中で
 
許された範囲の自由だからです。
 
 
ここまではしてもいいけど、ここからはダメですと
 
最初から何から何まで自由への介入をされているので
 
自由へ介入しないということが理解しにくくなって
 
しまっているのです。
 
 
自由を束縛されていると、自分以外の存在に対しても
 
束縛することが当然だと思っています。
 
我慢をしている人が他の人に対しても我慢を強要して
 
しまうのと同じです。
 
それも意識せずにしてしまっているということです。
 
 
自由とは本当に何をしてもいいということです。
 
その自由を制限する権利は自分以外誰にもないと
 
いうことなのです。
 
 
人のことにはまったく干渉しないということです。
 
それが理解できれば、丸い社会にすることも簡単に
 
出来るのです。
 
 
いまのあなた達の社会は干渉しあい、束縛し合い、
 
管理し合い、制限しあう社会です。
 
ですからとても息苦しく感じるのです。
 
 
なんでも自由にしていいよ・・それを何をしてもいいなら
 
人を束縛したり、人の人生に口出ししたりしてもいいと
 
いうことですね・・と解釈してしまうのも、それと同じ
 
ことをされているからなのです。
 
 
難しいですか?
 
自由とは何をしてもいいということです・・
 
しかし、そこには相手に対する尊敬と感謝の気持ちが
 
あるからこそできることなのです。
 
 
誰が何をしようとそれは自分とは関係ないということを
 
理解してください。
 
ならば自分をイジメる人に対しても、それはあなたの自由
 
なのですからどうぞイジメてくださいと言わなければ
 
いけないのですか?・・という思考が飛んできますが、
 
それは違いますね。
 
 
イジメられてイヤだと思えばその人から離れる自由が
 
あるということです。
 
分かりますか?
 
 
イジメられて仕返しをするという自由もあります。
 
どんなことをしてもいいのです。
 
 
ただ、イジメる人に対して仕返しをしたらどうなる
 
でしょうか?
 
やった、やられた、またやり返す、そしてまたやられる・・
 
というループになることは容易に分かりますね。
 
それが同じ土俵になるということなのです。
 
それをするのか、しないで離れるか・・それも自由なのです。
 
 
どんなことをしてもいい・・そうです。
 
どんな人たちと付き合いたいかも自由なのです。
 
どんな人生を歩みたいかも自由なのです。
 
 
イヤな人なら離れればいいし、好きな人とだけ一緒に
 
いるというのも自由なのです。
 
 
話がそれてしまいましたので最初のご質問に戻りたいと
 
思います。
 
 
さくやさんが、自由への介入になるのでそれは答えられない
 
というのは、さくやさんがあなたに対して言ってしまうと
 
それがあなたの思考の中に入ってしまってあなたの人生に
 
介入してしまうと思うときなのです。
 
 
私の未来はどうなりますか?・・と聞かれたら何も答えられません。
 
そうですね、もしあなたの人生はこれからこうなりますと
 
答えてしまったら、そのタイムラインをあなたが素直に
 
受け入れてしまったら、あなたの未来をさくやさんが決めてしまう
 
ことになってしまうからです。
 
あなたが自由に選ぶべきタイムラインをさくやさんのひと言で
 
決めてしまうことになってしまうからです。
 
だから、それは出来ないと答えるのです。
 
未来は自分で決めるものだからです。
 
 
絶対無限の存在は自分の分身である私たちに何でも自由に
 
体験してくださいと思っています。
 
ただ、それぞれの自由に対して他の存在が介入することは
 
自由に体験するという考えに反しているのでやめて
 
くださいと思っているのです。
 
 
私たちは何をしてもいいのです。
 
それはそれぞれの自由なのです。
 
ただ自分以外の存在に対して何かを強要したり、
 
どちらかの方向へ誘導したりすることは自由への介入に
 
なるので出来ないのです。
 
私たちはあなた達に情報をお伝えしていますが、
 
それはこういう情報がありますと提示しているだけで
 
どちらかの方向へ誘導しようという意思はありません。
 
情報を知ることであなたが選ぶ選択肢を増やせればと
 
思っているだけのことです。
 
 
今日のお話はとても難しいと思います。
 
あなた達にとって本当の何の制限もない自由という
 
というものがどういうことかわからないのです。
 
まったく教えられていないばかりか、その反対ばかりを
 
教えられてしまっているのです。
 
 
自由ということをもう少し考えてみてください。
 
制限の中の自由ではありません。
 
何をしてもいいのです。
 
簡単なところからお話するといつ寝てもいいし、
 
いつ食べてもいいし、仕事もしてもいいししなくてもいいし
 
誰を愛してもいいし、誰から離れてもいいのです。
 
 
その基本的な自由さえあなた達は制限されているという
 
ことを理解してください。
 
その基本的な自由だけでも理解し、自由を手にすることが
 
出来れば自由の概念がすこしお分かりになると思います。
 
 
自由がどのようなものか理解できれば、いまのあなた達の
 
社会はグルンとひっくり返ります。
 
いまの三角の社会は自壊していくのです。
 
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

先日、こんなことがありました。

私の友人が自分の住む家を探していました。

それがひとつ良い物件が見つかって、私に「買うことにした」と

連絡してきました。

その物件は先日新聞にも掲載されていて、これなら良さそうだと思って

いたもので、もしかしたらその友人が買うかもしれないと思っていたものです。

それが電話してきて買うことにしたというのですから、その即断に驚きました。

それで、私もその物件を一回見てみたいとお願いして昨日見に行ってきました。

あいにくの雨模様でしたが、不動産の担当者が待っていてくれてました。

友人は用事が重なって来られないようでした。

そこで私と一緒に行った3人で中を拝見させてもらいました。

当地は寒冷地なので暖房が特に重要ですが、その物件は床暖房がついていて

築20年とかなり新しいもので価格も相場より3割ほど安いものでした。

初めはこの価格と建物の新しさや床暖完備という条件に惹かれ、これなら

大丈夫だろうと思っていました。

そこで購入した友人には「良い物件でよかったね」と伝え購入することを

お勧めしましたが、気になる点があったので、それについての注意はして

おきました。

それはその物件が森林を切り開いた場所の高台にあって、建物の裏側が

高さ10mほどの切り立った崖になっていたことでした。

敷地も建物の幅くらいしかなく、車は崖に垂直に駐車させる必要があった

ため、場合によっては車の運転を誤れば崖から落ちる危険性があったからです。

友人にはそのことを伝え、購入した後車が飛び出さないように鉄柵をつけないと

いけないと話しました。

また、もう一点は家の前が坂道になっているので冬季にはアイスバーンになる

可能性があって滑って転ぶ可能性があることも伝えました。

それ以外にももう一人の友人からは購入後、残った自宅を更地にしないと売れない

可能性があるのと、売れずに所持していると固定資産税が6倍に跳ね上がり

維持していくのが大変になると伝えられたようです。

私もそのことを聞き、一晩いろいろと考えて、翌朝早い時間に電話をかけ、

今回の物件はあきらめた方がいいとアドバイスしました。

あくまでもアドバイスなので購入の決断は本人に任せました。

いろいろやり取りがあってその友人は最終的には購入をあきらめました。

まだ契約書を交わしていない段階だったので違約金の発生はないと思って

いますが、不動産にしてみればせっかく購入する予定で決まったのを

私たちが介入してキャンセルさせたも同然なのでどう出て来るかは不明です。

しかし、立地条件が悪いことを指摘すれば不動産も折れるしかないと思います。


この話の中で問題となったのは残された自分の家屋を処分できない固定資産税の

存在です。

今住んでいる家が不要になり更地にすると固定資産税が6倍になることです。

なぜそうなるのかというと、宅地にしたり駐車場にしたりと土地活用を促進する

ためのようです。おそらくはバブル期に土地を多く持っている方が資産価値が多く

生れ、それを高値で転売できたからです。そのため、無用の土地の所有を減らす

ために取られた措置だろうと思いますが、今のように土地ころがしがない場合には

全く意味をなさないものです。

特に田舎は辺鄙なところだと更地にしても売れません。これでは新しい家を購入

しようとしても二の足を踏むばかりで土地の有効活用にならないでしょう。

利便性の低い田舎の土地を再活用せよと言っても無理な話です。

税制度の不備です。私なら不動産評価額の低い土地なら6倍にせず、税率を宅地並みに

するでしょう。そして都会のように土地評価額の高いところは6倍にすればいいのです。


考えてみれば、土地や住宅は固定資産税を持っている限り死ぬまで払わないといけないので

本当の所有者は個人(国民)でなく国ということになるでしょう。

固定資産税を滞納すれば必ず競売にかけられ失います。

そして、これはすべてのものに当てはまります。

テレビとか冷蔵庫、家具などの消費財は購入時に税金を納めれば問題はないのですが

車は自動車税を課せられ滞納すると車輪がロックされ、それでも払わないと家屋と

同じように競売にかけられ失います。競売の利益で賄えない場合には税金が残ります。

税金というのはいったい何なのか?人々を幸福にするためではなく、不幸のどん底に

落とすためにあるものと思ってしまいます。


今日はアシュタールのメッセージと関連が低い話になってしまいましたが、あまりの

不条理に憤りを感じさせられました。


要するに私たちは自由と思わされながら本当は国家に鎖でつながれている存在だと

いうことです。



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