世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:形だけ追いかけると難しくなるわ・・・」

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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:形だけ追いかけると難しくなるわ・・・」

記事検索のツールを作っていただきました

読者の方が検索サイトを作ってくださいました^0^
キーワードを入力するとそれにヒットした
記事が出てきます。

記事も多くなりあの記事どこだっけって
思うときも(アメブロにある検索機能では)
なかなか出てこなかったんですけど
これで探すのが楽になります。
ありがとうございます^0^
みなさまも記事の検索の際にはこちらで
お探しくださいね^^
ミナミAアシュタールのブログ記事を検索!!
いつも記事の下に張っておきますね^0^


今日はさくやさんからのメッセージです。
お伝えしますね^^

「形だけ追いかけると難しくなるわ・・・」by さくやさん

「波動領域の違いは愛の割合の違いなの。
 
愛の割合が多くなれば波動は軽くなって
 
共振する波動領域も軽い領域になる。
 
(軽いから良い、重いから悪いってことじゃないからね。)                                                                                                             
 
 
愛って言ってもね、特定の人に対する特別な
 
感情じゃなくて、自分も含めてすべての存在に
 
対する尊敬、尊重、感謝の気持ちなの。
 
 
感謝の気持ちって言ってもね、特別に何かして
 
もらったことから出てくる感情じゃなくて、
 
その存在がそこにいることへ感謝なの。
 
だから感謝って言っても結局はその存在に
 
対する尊敬かしら。
 
 
ここで大切なのは、自分も含めてってこと。
 
自分を尊重、尊敬していないのに他の存在を
 
尊重、尊敬できるわけがないからね。
 
まず自分を尊重、尊敬すること。
 
それが出来れば、誰かを尊重、尊敬しようとか
 
感謝しなければなんて考えることはないわ。
 
 
本当に自然に相手を尊重し、尊敬し、存在して
 
いることに感謝できるの。
 
 
よく、感謝しなさい、感謝するべきだ・・なんて
 
いう言葉を聞くけど、
 
感謝なんていわれてするものじゃないし、
 
ましてや強制されるものじゃない。
 
 
ふっとこころから湧いてくるものなの。
 
頭でこねくり回して何を感謝すればいいかなんて
 
思っても感情は沸いてこない。
 
感謝の気持ちは胸のあたりがあったかくなる感覚。
 
 
その感覚を感じる頻度が多くなれば波動も軽く
 
なるの。
 
だからと言って軽くなりたいから、あたたかくなれ、
 
あたたかくなれ、って思ってもムリよ。
 
胸のあたりの感覚は頭ではどうにもならないものだし、
 
そんなことを考えていたら反対に重くなってしまう。
 
 
感謝の気持ちが感覚的に理解できるようになれば
 
尊敬と尊重の気持ちも大きくなってくる。
 
そうでしょ、相手に対して感謝の気持ちがあれば
 
尊敬の気持ちも出てくるし、尊敬していたら尊重する
 
気持ちも多くなるわよね。
 
 
それと同時に尊敬の気持ちがあれば感謝の気持ちも
 
出てくる。
 
なんか同じことばかり言ってるようだけど、
 
尊敬と尊重と感謝の気持ちはつながっているから
 
相乗効果で全部の気持ちが大きくなっていくって
 
ことなの。
 
 
だから、どこかで一つでも止めてしまうとあとの
 
二つの感情も止まってしまうの。
 
感謝はしているけど、でも言ってることが私と
 
違うからあの人の意見は尊重出来ないわって
 
思うということは出来ないってこと。
 
その人のすべてを尊重することが感謝であり、
 
尊敬なんだから。
 
 
伝わってるかしら?
 
自分にとって違う意見を言う人であっても
 
それはその人の意見として尊重し、その人を尊敬し
 
その人の存在に感謝することが出来れば、自由への
 
介入をすることがなくなるの。
 
 
自分の意見を認めさせようとか
 
自分の意見に賛同させようとか、
 
自分について来なさい、
 
などという考えは自由への介入ってこと。
 
 
自由への介入をしないのが軽い波動領域ってこと。
 
お互い違って当たり前、ここは違うけど、ここは
 
似ている・・ならば似ているところは一緒にやって
 
違うところは離れていましょう・・と考えることが
 
出来れば、コントロールゲームはなくなるわね。
 
 
ケンカはお互いの意見を主張し合ってるだけ。
 
自分の意見の方が正しいと認めさせようと
 
言い合ってるだけのこと。
 
パワーゲーム、コントロールゲームに過ぎないの。
 
どちらが有利か、どちらのいうことをきかせるか、
 
どちらがマウントをとるかを競っているだけ。
 
だから重くなってしまう。
 
 
良い悪いじゃなけど、重い波動領域で争いやケンカが
 
絶えないのはこういう理由からだってこと。
 
あなた達のピラミッド社会はパワーゲーム、
 
コントロールゲーム、マウントの取り合いを楽しんで
 
いる社会なの。
 
それが楽しい人たちはそのゲームを楽しんでいれば
 
良いと思う。
 
それも楽しい経験だから。
 
 
でも、もうパワーゲームやコントロールゲーム、
 
マウントの取り合いは良いわ、ケンカ、争い、競争、
 
いさかいには飽きたって思うならば、自由への介入を
 
やめればいい。
 
 
相手との違いは違いとしてその違いを尊重することを
 
はじめればいい。
 
これは慣れればできるようになるわ。
 
最初はムッとしたり、イライラするかもしれないけど、
 
でも、それはその人の考えであって自分を否定、非難
 
しているわけじゃないって考えることが習慣になって
 
来れば相手と意見が違っても感情的に動かなくなる。
 
あなたはそう思っているのね、私はそこはあなたの
 
考えとはちょっと違うわね・・って冷静に思うことが
 
出来る。
 
 
お互いそれが出来ればケンカなんかにはならない。
 
とても気持ちの良い関係が築けるようになる。
 
そういう考えの人たちが周りに増えてくれば
 
とても気持ちのいい環境になってくるわ。
 
それが少しずつ大きくなってくれば、丸い社会が
 
出来るの。
 
丸い社会を創るというのが目的地ならば、丸い社会
 
という形だけを考えるんじゃなく、相手に対する
 
尊敬と感謝の気持ちを理解するようにしてね。
 
頭で理解するんじゃなく、感覚で理解できるように
 
なれば、自然とできるようになるから。
 
 
形だけ追いかけると難しくなるわ。
 
形はあと、先に(自分を含めて)すべてに対しての
 
尊重と尊敬と感謝というのはどういうことかを
 
理解すると意図してね。
 
形はあとからついてくるから大丈夫!
 
 
あなた達をこころから愛してるわ~~」
 

ありがとう、さくやさん!  

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^  

マイコメント

アシュタールやさくやさんの語る愛の定義は私たちの考えている愛とは違うという

ことを認識しておかないといけませんね。

よく言われる男女間の愛とは違ったものです。

普遍的な愛であり、誰に対してでも向けられる感情です。

男女、人種、種族の壁を越えて存在するものです。

それがわかると男女間の奪い合いの愛は愛に入らないということですね。

男女間の愛というには結局は互いを縛り付け拘束する愛であって

そこには自由がありません。

母性愛とか父性愛とかともまた少し違うようです。

言葉で表現するのは難しいのですが、それは善悪の概念を超えています。

そして、その前提として自分をいたわり慈しみ愛することが出来ることです。

それが第一であり、第二でも第三でもありません。

それがこれから5次元に浸透していくときに必要な愛です。

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