破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:勉強する意味、目的」

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教育 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:勉強する意味、目的」

今日の破・常識!

どうして学校に行かなきゃいけないの?

どうして勉強しなきゃいけないの?と聞かれたときに

学校に行って勉強するのが当たり前だから・・・と答える前に

もう一度、どうしてなのかを

あなた自身も考えてみてください。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「勉強する意味、目的」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

勉強する意味、目的・・それは人によって違います。

意味、目的が分かっている人にとっては、

知識を得ることは勉強ではなく遊びになります。

勉強しなければいけない・・と思っている時点で

それは意味も目的もわからないことを

やらされているという思考になるのです。

ですから、どうして勉強しなければいけないの??

・・という疑問が出てくるのです。

そういう疑問をもったまま、いくら勉強しなさい

と言われてもしたくなくなります。

試験があるから勉強しなさい・・などと言われると

もっとイヤになります。


目的が大切なのです。

目的さえしっかりと定まれば、楽しい遊びとして

たくさんの知識を得ることが出来るのです。

いくら教科書をまる覚えしても、それは知識にはなりません。

情報は知ってるけど、それの使い方がわからない

・・それは知識ではないのです。

そして、知識がたくさんあっても

それを実際に生活に使えなければ叡智にはならないのです。

そして、叡智にまで昇華することができる情報は、

好きな分野でしかありえない・・ということを理解してください。

好きだからこそ、実践します。

実践するからこそ、知識を使いこなすことが出来るのです。

数学を習っても、試験のための勉強ではすぐに忘れてしまいます。

でも、建築をしたい、建物を建てたい・・と思うなら

数学は必要となります。

ならば、その数学は忘れることはありません。

使い続けるから、どんどん知識が増えていき

それを応用することが出来

実際に建物を建てることが出来るのです。

建物を建てたいから、数学を勉強する・・という目的がある人は、

どうして勉強しなければいけないの?・・という疑問は持ちません。

そうですね。

ならば、どうして子ども達、大人も

どうして勉強しなければいけないの?・・

という疑問を持つのでしょうか?

そして、それに明確な答えを出せないのでしょうか?

それは、目的がなくやっているからです。


また学校制度の話になりますが・・

学校は知識を教えることが目的ではありません。

学校の目的は、子ども達を型にはめること

没個性にすることです。

ですから、真実の知識は教えません。

ただ、暗記させるという単純な作業をさせることで

子ども達から知識を得る楽しさや

それを使うことで何が出来るのか?という

想像力(創造力)を奪おうとしているのです。

支配者たちにとって、自分の頭で考える子どもはいらないのです。

何故、勉強しなければいけないのですか??というのは

ハートの素直な声です。

学校教育の矛盾を感じているから出て来る疑問なのです。

学校で勉強しなくても、なにか好きなこと

やりたいことがあれば、いくらでも知識を得ることが出来ます。

むしろ、学校に行かない方が実践的に使える知識を

身に着けることが出来ます。

頭を使う練習になるから・・というのも

学校の勉強よりも好きなことをしている方が

頭をフルに使いますので、その理由は成り立たないのです。

試験のために勉強することで忍耐強くはなりません。

我慢することを覚えてしまうだけです。

学校で基礎知識を得なければ、好きなことが出来ない

・・というのもムリがあります。

好きなことがわかっていれば、

いくらでも基礎知識は得ることが出来ます。

そして、学校にいる間に好きな職業を選ぶ?

好きな方向を見つける?・・というのもムリがありますね。

たくさんの制約を受け、自分で考えることをさせない

学校教育という環境のなかで

好きなことをみつけること自体がムリなのです。

没個性の同じような考え方になってしまったら

好きな方向がどちらなのかさえわからなくなってしまいます。

どうして学校に行かなきゃいけないの?

どうして勉強しなきゃいけないの?と聞かれたときに

学校に行って勉強するのが当たり前だから・・・と答える前に

もう一度、どうしてなのかをあなた自身も考えてみてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

学校で習った知識は卒業すれば時とともに忘れてしまいます。

それに数学でいくら良い成績を取ったからと言っても役に立つ場面が少ないはずです。

基本的な掛け算と割り算、それと足し算と引き算が出来れば大体が用が足ります。

本当に必要なのはアシュタールが語るように建築、経済、物理学、天文学などの

数学を主に使う分野になります。

いくら微積分を解ける力があったとしても一般社会ではほぼ使われません。

方程式までは何かの場面で使うことがあると思いますが、三角関数や確率、因数分解

2次元以上の方程式などは知っていても活用分野が少ないことはわかるはずです。

だからと言ってずべて学ぶ必要はないと否定はしません。

ある程度演算問題や幾何学問題を解くために思考を要するのでそれを解くという

思考を育てる面は役に立ちます。

ただ、その場合でも回答が複数あるという考え方の学習が望ましいだろうと思います。

今の教科書はほとんんどが正解が一つとなっていて応用力に欠ける考え方を

身につけてしまいます。

マークシートなんかその典型ですね。

私が学んだ時にはこういうやり方もあるよという正解例も学びました。

そのため先生も解答に近い似たような解き方だと何点かくれました。

それが今はないみたいですね。

世の中一つしか回答のないものはありません。

必ず何かの代案が存在します。

それを考えられる力が知恵です。

そんなのは毎日教科書とにらめっこしていても身に付きません。

しかし中には頭の良い子供いて、その応用力をちゃっかり身につけっる

子もいます。

そういう子供は親の育て方が違うみたいです。

親がすぐに回答を与えず自分の力で解くことを教えるからです。

そのため、応用が利くやりかたを覚えるのですが、ある意味ずる賢い

子供にもなります。

しかし、学校ではそういう子供は排除されるので学校なんか面白くも

なんともないでしょう。

結局、そういう子供は自分で勉強するかひねくれるかのどちらかです。

学校というのは記憶力中心の教育なので、それに秀でた人が秀才と言われ

優れた秀才は東大を目指し卒業し官僚になりますが、官僚の考えることほど

世の中の時流に合わないものはありません。

いたずらに世の中を引っ掻き回すだけです。

それでも昭和の時代の官僚は優秀でした。

それは日本の発展のために尽くすという気概があったからでしょう。

残念ながら今の官僚にはそれがありません。

そういう気概を持つ官僚は左遷されて淘汰されてしまうからです。

したがって、本当に日本の未来を考えられる優秀な官僚はいません。

むしろそのような優秀な官僚は在野して世に真を問うているでしょう。

在野して官僚や政治家の矛盾を鋭く指摘しているはずです。

話はそれましたが、本当に自分の思考力を育てないならば学校の勉強だけに

頼らず疑問を持って物事を調べ自分で回答を見出す努力をする方がはるかに

学校の勉強に勝ります。






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