破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:みんなで何かをするのは大切なの?」
今日の破・常識!
意見の違う人同士がムリヤリ何かを一緒にしても
そこには不満が残るだけで
連帯感や親しさは出てこないのです。
楽しいからこそ連帯感や親しさを感じるのですから
ムリヤリ参加しても不満しか残りません。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「みんなで何かをするのは大切なの?」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
右へならえ、みんなで同じことをいっせいにしましょう
・・という社会的な流れは、教育の弊害なのです。
それぞれの考え方があります。
個性はそれぞれです。
ですから、同じ考えの方だけですればいいのではないですか?
違う考えの方は、私は考え方が違いますから参加しません
・・それだけでいいと思います。
私の考え方と違うから、そのイベントをするのはダメです
・・と主張する必要もありません。
参加しなければいいだけのことです。
考え方が違うならば、離れればいいのです。
イヤなことを我慢してする必要はありません。
そして、やりたいことを、イヤな人がいるからといって
我慢してやらないということもないのです。
自分の意見を言うのは必要なことです。
でも、相手の意見と違うからと言って
自分の意見を通そうとするのは、自由への介入になります。
人をコントロールしようとしていることになるのです。
お互いの意見を素直に伝えあって、合うところは合わせて、
合わないところは離れる・・それでいいのです。
ケンカというのは、自分の意見を主張しあっているだけです。
自分の意見の方が正しいのだから、自分に合わせるべきだと
お互いがそれぞれに主張し、意見を通そうとしているだけです。
意見が違うのは仕方がありません。
100人いれば、100の意見があるのですから。
100の意見を尊重してください。
ひとつの意見にすべての人を合わせようとするから
問題が起きて来るのです。
でも、みんなで何かをするのは大切なことではありませんか?
一緒にすることで連帯感や親しさが生まれて来て
仲良くなれるのですから・・というご意見もあるかとは思いますが
意見の違う人同士がムリヤリ何かを一緒にしても
そこには不満が残るだけで連帯感や親しさは出てこないのです。
楽しいからこそ連帯感や親しさを感じるのですから
ムリヤリ参加しても不満しか残りません。
学校教育で、決められたことを決められたように
同じことをいっせいに同じように出来ることが
素晴らしいことだと教えられてしまっているので
誰かが決めたことに自分の意見を素直に言うことが
出来なくなってしまっているのです。
みんなの意見(誰かが決めたこと)に反対をすることが
いけないことだと思っていますので
反対の意見を言いたくなる時は罪悪感などが出てしまい、
それを感じることで攻撃的なエネルギーが乗ってしまいます。
ですから、それを感じた相手の人も攻撃的な反応を返してしまい
ケンカの状態になってしまうのです。
自分の意見を素直に伝えてください。
私はこう思います、あなたはそう思っているのですね。
では、この件に関しては意見が合わないようですので
別々に行動しましょう・・
それだけで気持ちの良い関係を築くことが出来るのです。
どちらが正しいということはありません。
どちらも正しいのです。
ただ方向が違うだけなのです。
みんながそのように考えられるようになれば
いっせいに何かをしようとは思わなくなります。
意見の合う人だけで何かすればいいだけのことなのです。
学校で刷り込まれた、みんながいっせいに
何かをしなければいけない・・という思考を手放してください。
そして、それぞれに意見は違ってもいい・・
ということを思い出してください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
私もそういう経験がありましたが、今は意見がどうしても合わなければそれはそれで
仕方がないと割り切るようにしています。
意見が合わない人同士いても楽しくないからです。
その場合はそこから離れるか一緒に行動していたのを止めるかです。
そうすれば問題は残りますが、それは個々に解決すべきことになります。
どうしても日本人は和を大切にしたいと思い、何とか一緒の行動を取るように
図らいますが、最初は良くても時間が経つにつれてそのほころびが再び大きな
破れとなって表面化してきます。
だから、場合によっては荒療治が必要な場合も出てきますが、やはり一番いいのは
そこから離れることです。
それが最も効果的なやり方です。
しかし、その前に一度は話し合いの場を持つことも必要です。
それでもだめならあきらめましょう。
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