破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:家族を解体してください」
今日の破・常識!
所有という概念が出来てから
家族はピラミッド型になってしまい
家族を構成する人たちも所有される存在
とされてしまったのです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「家族を解体してください」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
いまのあなた達は孤立してしまっているので
ひとりで何でもしなければいけなくなって
とてもツラい環境になってしまっています。
夫婦だけ、ひとりだけで子どもを育てなければいけない
というのは、とても大変なことです。
その上で仕事もしなければいけない
家事もしなければいけないなどというのはムリなことなのです。
すべてを完璧に出来るスーパーマンみたいな人はいないのです。
だから、たくさんの人と一緒に暮らしてください。
そうすれば、みんなで手を差し伸べあえるので、とても楽になります。
ひとりで出来ないことも、みんなで手を差し伸べあえば出来るのです。
子どもをみんなで育てればいいのです。
怪我をしたり、病気をしたりしても、みんなで手を差し伸べあえば
不安なことはなくなります。
じょうもんの頃の人たちや江戸の人たちはそうしていました。
みんなで手を差し伸べあって暮らしていました。
いまのあなた達は、分断されてしまったのです。
孤立するようにミスリードされてしまったのです。
大家族は大変なことばかりです・・
人間関係が煩わしく、気苦労の連続で気が休まる暇もありません
・・と、ドラマや映画などで刷り込まれ
夫婦二人で都会で暮らすことがオシャレでステキな生活です
・・と、トレンディードラマでさんざん見せられてきたのです。
そのミスリードで出来た社会が、いまの孤立して
疲弊してしまった社会なのです。
何から何まで一人でやらなければいけなくなり
ものすごくたくさんの労働をしなければいけなくなり
夫婦で労働の押し付け合いがはじまり、
夫婦(パートナー)は、お互い敵対しあうような関係に
なってしまっているのです。
お互い忙しすぎて、ゆっくり話をする暇もなく
疲弊しきっているので、いい関係を築くことが出来なくなっています。
たくさんの手があれば、子どもを育てることも楽しくなります。
いま、あなた達が持っている不安(病気になったら
働けなくなったら、年をとったら)もなくなります。
でも、大家族はやっぱり人間関係が・・って思うと思いますが、
家族という枠を取り除いてしまえばいいのです。
家族という枠は、ピラミッドです。
家族という概念の中に、ヒエラルキー(階層、上下関係)が
出来ているので、息苦しくて仕方がなくなるのです。
トップのいうことを従順に聞かなければいけないという掟の中で
生活するのはとても苦しいことです。
そして、そのヒエラルキーはずっと伝承されて行きます。
祖父がなくなれば今度はその長男・・姑がいなくなれば
お嫁さんが今度は姑になる・・・といった具合に
トップの権力が伝承され、その家族での掟も伝承され
新しくピラミッドの下に所属する人たちもそれにならって
行くことになり、いつまでも息苦しい家族が続いていくのです。
家族は本来は組織ではありません。
家族は好きな人と一緒にいたいと思うことからはじまりました。
でも、所有という概念が出来てから
家族はピラミッド型になってしまい
家族を構成する人たちも所有される存在とされてしまったのです。
ですから、家族を解体してください。
大家族で暮らすのではなく、血のつながりや
利害とはまったく関係のないただ同じ感性を持つ
一緒にいて楽しいと思える人たちと暮らしてください。
お互い手を貸し合い、力を貸し合って暮らしていけば
いまのように疲弊することはありません。
楽に、楽しく生きていくことが出来ます。
リーダーも権力を持った人もいない
横並びで手を取り合う関係をつくってください。
そうすれば、またじょうもんや江戸の頃のように
自由に楽しく暮らして行くことが出来ます。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
「家族を解体してください」というタイトルが飛び込んできたときに一瞬、思ったのは?
「えっ!何かの間違いでは?」
「いったい何を言いたいの?」
家族を解体ってどういうこと?
でも、メッセージを読んで納得できました。
いつだったかテレビのドキュメンタリーで大きな古い家を購入して3家族で共同生活を
始めたことが放送されていましたがあんな感じでしょうね。
家族それぞれの部屋は別々ですが、台所やトイレなどが共同で使用し、大きな一部屋には
3家族が集まれるようになっていました。
そして、子供もいて学校から帰った子供の宿題を別の親が見てあげると何かの用事を代わ
りにしてあげるとか共同生活ではならの良さがありました。
昔で言えば長屋の家族が寄り集まった共同生活のようなものです。
私が子供のころには近所にはそのようなところがありました。
同じ工場に勤める家族とかですね。
だから、長屋ならではの協力体制がありました。
もちろん子供はどの家にも行ったり来たりで自由に行き来してます。
お互いが親戚みたいなものです。
鍵は当然かけていません。夜間はさすがに危ないのでかけます。
そういえば我が家も長屋ではありませんでしたが同じ職場の寄り合い住宅なので
昼は鍵はかけていません。留守中に誰かが来ても知人や友人・戦績なので特に
心配はなく、むしろ彼らや周りの人が防犯の役割をしてくれていました。
見知らない人が入っていくと後で「○○のような人が来ていたけど」とか
その人に声掛けして確認して見たりとかです。
だから防犯のために鍵をかけておくということはなかったです。
それは全体が家族共同体という意識があったからですね。
何か困りごとがあれば隣の家に頼むとかというのは当たり前で誰もが気軽に
引き受けてくれました。今のようにお金を払うとかということはなかったです。
誰も代価を要求することはありませんでした。
しかし、人手は多くかかり時間がかかるようなものは別です。
その場合には何らかのお礼をします。
昭和のころはまだそうした考え方が残っていた時代でした。
今は本当に核家族化が急速に進みすぎ何もかもが一人でこなさなければならない
時代です。核家族化の最大の弊害ですね。
まだ、今なら昭和のころのような大家族で住み協力し合うという体制に戻して
行くことは考え方を変えていけば可能なときです。
チャレンジしてみましょう。
コメント