破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:民主主義というのは・・・」
今日の破・常識!
民主主義というのは、多数決で決めるということで
個々は大切にされないシステムです。
少数の人の意見は聞かない
と言っているのと同じなのです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「民主主義というのは」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
先ず、民主主義ということについてですが・・・
これは個を大切にしていないものです。
民主主義というのは、多数決で決めるということですね。
庶民(国民)が代表を選び、その人達が国を運営して行くという
形になっていますが、いまの社会は名前だけ
形だけになっています。
多数決で決めるということは、
数の多い方に従いなさいということです。
数が多い方が正しいということになり
少数派と言われる人は我慢しなければいけなくなります。
そして、声の大きい人の方が有利になります。
権力をもともともっている人の方が有利だということです。
そして、権力を持っている人のまわりにいる人たちは
その権力によって有利な条件をいただこうとしますので
その人を支持します。
伝わっていますでしょうか?
このように力の強い人たちが代表となって
政治にかかわるということになるのです。
そうなると、力の強い人たちが有利になる政治になって行きます。
そうですね。
権力を持ちたいと思うから
たくさんの力のある人たちの支持が欲しい。
そして、支持していただいたお礼に、力を貸してくれた人に
有利になるように操作していくということです。
声の小さな人たちの声は、大きな声の人たちの声に
かき消されてしまいます。
そして、大きな声の人たちが決めた政策を
押し付けられることになります。
あとから抗議しても、それは選挙で選ばれたのですから
仕方がありません。
選挙に負けた?多数決で負けたのだから
我慢しなさいと言われてお終いになってしまいます。
ただ、我慢するしか方法はなくなってしまいます。
これが、いまのあなた達の社会での民主主義です。
いまの民主主義は、力の強い人たち
(財力、権力を持った支配層)にとって
都合の良いシステムになっているということです。
では、どうすればいいのでしょうか?
極端な話しですが、みんなが行かなければいいのです。
なんてことをアシュタールは言うのでしょうか?
選挙に行かなければ、それこそ好き放題されてしまいます
・・思いますか?
そう言われていますね。
でも、それはあとから文句を言われないように言っているのです。
数字は操作することが出来ます。
都合よく操作できます。
そして、都合よく当選するのです。
そして、みんなが選んだ代表です。
多数決で決まった代表です。
だから、その代表が決めたことに従ってください・・というために
みんなで選挙に行きましょうとアナウンスするのです。
もし、極端な話し、誰も選挙に行かなければ
そういう操作も出来ないということです。
これは極端な話しだということを理解してくださいね。
あなたの社会はピラミッド型をしています。
ということは、トップがすべてを決めているのです。
トップが決めたことを、その下の人たちが行動しているのです。
国のトップも、一番大きなピラミッドの
トップが決めてるということです。
国のトップは、その大きなピラミッドの中にある
小さなピラミッドのトップだということです。
でも、それは人々に知られてはいけないことなのです。
だから、民主主義という形を作り、選挙でトップを決めている
と思わせ、庶民が政治にも関われる、政治をすることが出来る
政策を決めることが出来ると思わせているのです。
民主主義というのは、多数決で決めるということで
個々は大切にされないシステムです。
少数の人の意見は聞かないと言っているのと同じなのです。
そして、選挙に立候補できる人は、力のある人だけです。
その時点でも、もうすでに平等ではありません。
そして、その中から決めなければいけないというシステムです。
分かりますか?
何人かの中で選ぶことが出来るというように
選択肢があるかのように見えますが
実際は提示された人の中からしか選ぶことは出来ない。
実は選択する余地はないということなのです。
あなたは、シブシブその中から、まだ良いと思われる人を
選ぶという自由しかないということです。
高次元の社会には、民主主義という概念はありません。
横並びの個の時代は、リーダーは必要ありません。
ですから、もちろん選挙もありません。
みんなで分けるのではなく、共有するからです。
所有の概念がありませんので、みんなで集めた物を
誰かが代表となって分けるという考えはないのです。
みんなが共有するので、取り合いも、不平等もありません。
大きな声の人に従うということもないのです。
選挙に行かなければいけないというのも
提示された選択肢の中から選ぶことを
受け入れたということになります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
民主主義の幻想というのでしょうか?
平等に選択権を与え、その中の多数の意見を採用して物事を進めていくというのが
民主主義の根幹です。
そのようなことは当然ながら知っていることと思います。
でも、それが曲者なのです。
知っているということはそれが当然だと教育されていることに等しいものです。
よく民主主義社会の対比として共産主義や社会主義が取り上げられますが
そのように対比した方が民主主義は素晴らしいものだろ言う印象付けができます。
今ミャンマーでクーデターが発生し多くの国民がデモ活動が行われていますが
すでに国民が50人以上軍の実弾発砲によって死亡しています。
軍はアウンサン・スー・チー氏の民主的な選挙を違法だと弾劾し、彼らを拘束し
政治の実権を握りました。
これが一党独裁による共産主義社会に近いものです。
実質的には背後に中国が存在します。
果たしてそのような政治を誰が喜ぶでしょうか?
そして、それと対比させれば当然のごとく民主主義の機会の平等が自由で国民の権利も
保障され素晴らしいものだと思うことでしょう。
しかし、大きな問題はそれ以外の選択肢が現代社会の中にないということです。
アシュタールの語る共有社会の概念が教えられないし提示もされないからです。
そのために民主主義が最高のものだという意識付けが行われ支配者の示す選択肢に
従わなければならなくなっています。
そのことにまず気付くべきでしょう。
その上で個の自由と権利を尊重する共有社会を考えてみれば自ずと答えが見つかる
のではないかと思います。
つまり第3の選択肢ですね。
それはアシュタールの語るように
高次元の社会には、民主主義という概念はありません。
横並びの個の時代は、リーダーは必要ありません。
ですから、もちろん選挙もありません。
みんなで分けるのではなく、共有するからです。
所有の概念がありませんので、みんなで集めた物を
誰かが代表となって分けるという考えはないのです。
みんなが共有するので、取り合いも、不平等もありません。
大きな声の人に従うということもないのです。
民主義という概念そのものがないということです。
つまり、民主主義は所有の概念を根幹としているので誰が所有するのかということを
多数決で決めあたかも選択の自由を持っているように思わされ、それが自由で民主的な
社会だと教育されてしまっているということです。
これを崩すにはまず民主主義そのものの根幹となっているものを認識しないと
いけません。
その上でそれ以上の選択肢として個の自由を尊重する共有社会があるのです。
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