破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:どうしたらいいかさえわからない?」
今日の破・常識!
自分が何を欲し、どうしたいかを知りたいならば
自分に相談してください。
日常の小さなことから、すべて自分と
相談する習慣を身につけてください。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「どうしたらいいかさえわからない?」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
それは私にはどうしようもありません。
あなた自身についてあなたがわからないことは、
私にもわからないのです。
思考停止にならないでください。
あなたが決めてください。
あなたにしかわからないのです。
もし、ならば私が決めて差し上げましょう・・と言って
私があなたのことをすべて決めてしまったらどうでしょうか?
今晩あなたはラーメンを食べなさい・・
と私が言ったらあなたは、どうでしょうか?
いえ、なんかラーメンの気分ではありません・・と答えませんか?
そして、自分で違う物を食べるかもしれませんね。
ラーメンの気分だったら、ラーメンを食べるかもしれませんが
でもそれは結局あなたがラーメンを食べたいからであって
私が決めたからではないですね。
・・ということは、自分で決めているということです。
私は何がしたいか分かりません、どうしたいか分かりません
・・と言いながら結局は自分で決めているのです。
どうしたいか分かっているということです。
自分で決めていることを意識していないだけなのです。
自分で意識して決めていないから
決めていないと思っているのです。
その場その場ではしっかりと自分がしたいことが分かっているのです。
先に決めることがちょっと苦手になっているだけなのです。
先に、こうしたいとしっかりと決める習慣がないから
自分が何をしたいのかがわからないと思ってしまうのです。
伝わっていますでしょうか?
そんな小さなことなら、何がしたいかは分かります・・
そんなことではないのです・・もっと大きな(人生にとって重要な)
ことで、何がしたいのかがわからないのです・・
ということなのかもしれませんが、
小さなことで何がしたいのかがわかるということは
大きなことでも分かっているということです。
小さなこと(晩ご飯に何を食べたいかとか、何の本を読みたいかとか
どんなドラマを見たいとか、日常のこと)で
何がしたいのかがわかるのであれば、
これからの人生どうやって生きていきたいかもわかるはずです。
人生と言う言葉をあまりにも壮大なことのように考えてしまうから
訳がわからなくなってしまうのです。
晩ご飯に何が食べたいかもわからない・・ということもわからない。
ということならば、あなたは食べるということに興味がないだけです。
興味がないから、何が食べたいのかわからないということになるのです。
興味があることならば、こうしたい、とはっきりとわかります。
そのときには、必ず自分と相談しているはずです。
たとえば、飛行機のプラモデルを作ることが好きならば
今度はどの飛行機を作りましょうか?と自分と話をしているはずです。
B777-200かな?A380かな?それとももう少し古い型にしようかな?
と選ぶことを楽しみ、そして、これにしようと決めています。
もし、小さなことでも迷うことや
どうしたらいいかわからないと思うときは、自分に聞いてください。
自分に相談してください。
そうすれば、自分が何を望み、何がしたいか
何をすれば楽しいかが分かってきます。
わからないと思えば、わかりません。
決めると決めなければ、何も決められないのです。
人をあてにしないでください。
誰かに決めてもらおうとしないでください。
誰かをあてにして、誰かに決めてもらおうとしても
結局は気に入らないことが多く
最終的には自分で決めるのですから。
自分が何を望み、どんな生活をしたいのかがわからなければ、
何も出来ません。何もはじまりません。
私は自分がどうしたいか分かりません・・ということは
わからないということを決めているだけです。
わからないと言って、何も決めなければ楽だ
と思っているからかもしれません。
何も決めなければその時は楽かもしれませんが
あなたはずっと望む物を手に入れることが出来ないのです。
それでいいと決めるならば、それでいいと思いますが
それがイヤだと、欲しいものを手に入れたい
気にいる生活をしたいと思うならば
自分でどうしたいかを決めることを決めてください。
分かりません・・といったまま、放り出さないでください。
自分が何を欲し、どうしたいかを知りたいならば
自分に相談してください。
日常の小さなことから、すべて自分と
相談する習慣を身につけてください。
そうすれば、常に自分がどうしたいかというところに
フォーカスすることが出来ます。
それができれば、あなたの手にあなたの人生が戻ってきます。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
「どうしたらいいかさえわからない」
というのはどういうことかと言うと、自分の頭の中に何も思い浮かばない
ということです。
例えば、リンゴを目の前にした時にそのリンゴをどうしたいか?
と言うことですが、その場合考えられるのは・・・
・食べる
・見るだけにする
・水彩画、油絵などにして描く
・ミキサーにかけてジュースにして飲む
・焼きリンゴにする
・サラダの材料にする
・がぶッと丸かじりする
・切って塩水につけてから食べる
・リンゴパイを作る
・すりおろしてカレーの材料にする
などいろんなことが思い浮かびます。
どうしていいかさえわからない人と言うのは今列記したいろんなことが
思い浮かばないのです。
それはなぜなんでしょうか?
リンゴの調理の仕方を知らないからでしょうか?
リンゴの調理だけではなくりんごがどのように使われているかを知らないからです。
丸かじりするのは誰でも知っています。
でも、それ以外に料理に使える方法がありますが、それを知らないのでしょう。
もし、知っていたとしても思い浮かばないとしたら自分自身の欲求を抑えてしまい
考えないようにしているからです。
あるいは学校教育のせいでひとつしか考えが浮かばないかです。
これを解決する方法はひとつしかありません。
それは考えることです。
仮に今の政治をどう思うかと言うテーマで二階氏の行動の是非を考えたとします。
そうすると、まずは二階氏について知らないといけません。
それには調べることです。
そこから始まります。
何も情報がないと考えることはできません。
従って、どうしたらいいかさえわからない人と言うのは
普段から情報を自分の手で自ら集めていない人です。
テレビの情報は情報とは言えません。
あれは他人が集めた情報で自分が集めたものではありません。
自分が集めたものでないということは自分の頭で考えて集めた
ものではないということです。
そしてその情報が正しいかどうかさえわかならいものだからです。
あくまでも参考程度のものです。
自分で集めるためにはある程度の情報の取捨選択と選別が必要に
なりますが、それには自分の考えを持たないとできません。
そして、集めた情報を今度は自分で分析し、それについて自分の
考えを紙に書きだすことです。
本当は紙に書くのがいちばん思考の訓練になるのですが、今の時代は
ブログがありますので、そこに自分の意見としてまとめて書くことです。
これを数か月続けられれば、どうしたらいいかさえわからないと
言うことはなくなります。
その時には自分の思考力が育っているからです。
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