破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:江戸時代の人々の生活」

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江戸時代の趣を残す風景 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:江戸時代の人々の生活」

今日の破・常識!

江戸の人たちはとても豊かでした。

 
だから文化も豊かに育ったのです。

 
豊かでなければ文化は生まれないのです。

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「江戸自裁の人々の生活」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 
江戸の人たちはとても豊かでした。

 
だから文化も豊かに育ったのです。

 
豊かでなければ文化は生まれないのです。

 
ですので、江戸の頃は幕府の悪政、身分制度などによって

苦しい生活を余儀なくされていたということはありません。

 
江戸の人たちはとても自由でした。

 
住むところも、職業も、起きる時間も寝る時間も働く時間も

 
自由に自分で決めていました。

 
そして、彼らはとても受け取ることが上手だったのです。

 
だから提供しあう社会を創造することが出来たのです。

 
誰かが何かをくれるということに

何も思わず素直に受け取ることが出来ました。

 
そして、必要ないと思うものは素直に必要ないです

と言うことが出来たのです。

 
これはとても重要なことです。

 
素直に受け取ることが出来るからこそ

 
素直に提供することが出来るのです。

 
素直に受け取ることができ、素直に提供することが出来るから

 
エネルギーは回るのです。

 
だからみんなが豊かでいられるのです。

 
分かりますか?

 

受け取ること、いただくことに、何か悪いなとか

お返ししなきゃいけないとか思うと

素直に受け取ることが出来なくなります。

 
そして、いただいた人にだけお返ししようと思ってしまうのです。

 
そうなると双方向だけのやり取りになります。

 
受け取ることに素直になれば、

素直に人に差し上げることも出来るのです。

 
これを上げたらどう思われるでしょうか?

何か負担を感じさせてしまうのではないでしょしょうか?

などと深読みをしなくてすみます。

 
深読みをしてしまうから上げることやもらうことに

躊躇してしまうのです。

 
そして、いまはそれは必要ありませんということも

出来なくなってしまい、必要ないものをいただいて

困ったなとか思うことになるのです。

 
でも、もらったからお返ししなければいけない

などと思って負担に感じてしまうのです。

 
そのような社会ではエネルギーは回りません。

 
みんなが受け取り上手になって、断ることにも何も感じず

断れても何も思うことなく、人に自分の出来ることを

提供することが出来れば、必要なエネルギーはグルグルとまわり

みんなの手に渡るようになり、みんなが豊かになるのです。

 
そして、受け取ること、上げること、断ることが出来るようになれば

 
物質的にもこころも豊かにいられますので

人のことが気にならなくなります。

 
いい意味で無関心でいられるのです。

 
誰が何をしてもOKと考えられるようになります。

 
(じゃあ、人の物を盗んだり、意地悪したりすることも

自由でOKなのですか?などと質問しないでくださいね

自由で豊かでいると人は満足し、ご機嫌さんでいますので

人から何かを盗もうとか意地悪しようとか思いません。

人の物を盗んだり、意地悪したりするのは

自分の中が枯渇していてエネルギーが不足しているから

 
ですので、まったく違う話になります)

 
誰が何をしていてもOKということで自由への介入もしなくなります。

 
誰がどんな表現をしてもOKだったのです。

 
人の目や評価ではなく、自分が創りたいもの、画きたいものを

素直に表現出来たので、とても独特な自由な文化が生まれたのです。

 
性的な表現も、とても自由でした。

 
男女が宗教的な倫理観や道徳観で縛り合う

監視し合うようなこともなく自由な交流をしていました。

 
男尊女卑という考え方もほとんどありませんでした。

 
(少しは宗教的な概念が入っていましたが、今のように

はっきりとした男尊女卑的なことはありませんでした)

 
男女の役割などははっきりとなく

得意なことを受け持っていたということです。

 
いまのような結婚制度もなかったので不倫や浮気などの

 
概念もありませんでした。

 
子どもはみんなで育てるという感じでした。

 
いまの教育で刷り込まれてしまった江戸時代の人たちの生活とは

 
まったく違う生活だったということです。

 
いまの教育では明治維新を良い出来事とするために

 
江戸時代をひどい時代だったと教えているのです。

 
教育だけでなく映画やテレビや小説でどんどん江戸時代の人たちの

 
生活を実際とは違う形にしてしまっているのです。

 
最初にもお話ししましたが、自由で豊かでなければ

文化は生まれ育たないのです。

 
とても素晴らしい文化があったということは

自由で豊かだったということなのです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント


江戸時代に近い考え方や風習は昭和30年代までは少しは残っていました。

おすそ分けというやりとりもそうです。

夕飯を多く作りすぎたので要りませんか?

と時々家の玄関の戸を叩いて入ってくる近所の人の顔がそこにありました。

それもいただいたから返さないといけないからと負担に思うこともないので

そのまま「ありがとう」と言ってもらっていました。

お返しという概念が今ほど強くないので、それぞれが夕飯だけでなくいろんな

ものをそのように分け与えていました。

だから近所の仲もよく本当に互いに親せきみたいな感じがありました。

それがあるので、自分の知らない子供でもその子供が悪いことをしていると

平気で怒る大人の姿がそこにありました。

今だったら知らない子供に声をかけたりするだけでも犯罪になります。

今は昭和40年代から流れたアパート住まいの若い家族の生活を象徴するような

コマーシャルが流れることによって核家族化への急速な変化が起き、互いの

交流はなくなり互いに分け与えるような文化はなくなりました。

今、それと似たようなのがヤフオクとかメルカリです。

ジモティーはただで提供するのとお金で売買するものと二つありますが、前者は

多くが品物を提供した人の住む場所まで取りにいかないといけないのがちょっと

大変だなという印象があります。ご近所さんならとても便利なものでしょう。


江戸時代のことは渡辺京二著「逝きし世の面影」平凡社2005年初版2010年第

21版に詳しく書かれています。

AMAZONでKindle版が発売されているので手にしてみるといいと思います。

そこに書かれていることを読むと江戸時差代の姿はまさに別世界です。

今では到底考えられないような世界がそこにあります。

明治期の高名なジャパノロジスト、チェンパレンに「あのころ1750~1850年頃の

日本社会は何と風変わりな絵のような世界であったことか」と言わしめ、そして

彼はこうも述べていました。「私は繰り返し言いたい。古い日本は死んで

しまった。そして、その代わりに若い日本の世の中になった」と。

彼は明治6年(1873年)に来日し、明治44年(1911年)に日本を去った人物

ですが、彼の言う1850年は徳川家重の時代で各地で一揆が発生した時期でも

ありました。しかし、彼の言う絵のような日本というのは素朴で絵のように美し

かったということを表したものであり、英国の商人クロウが木曾を紹介した中で

「そこの村はすでに夕暮れ時で、村人は炎天下の労働を終え、子供連れで、ただ

一本の通り道で世間話にふけり、夕涼みを楽しんでいるところだった。道の真ん

中を澄んだ小川が音を立てて流れ、しつらえた洗い場へ娘たちが木の桶を持って

走り風呂を満たすのだった。そして、子供たちは自分と同じくらいの大きさの

子供を背負った女の子も含め鬼ごっこに余念がない。この小さな社会の、一見

してわかる人付き合いの良さと幸せな様子を見てクロウはとても感動した。」

とあるようにものすごく素朴な世界がそこにあったということです。

また、プロシャのオイレンブルク使節団はその報告書の中で「どう見ても彼らは

健康で幸福な民族であり外国人などいなくてもよいかもしれないと」書き、

オーストリアの長老外交官ヒュースナーは「封建制度一般、日本を現在まで支配

してきた機構について何と言われなんと考えられようが、ともかく衆目の一致する

点がひとつある。それはヨーロッパ人が到来したときから最近に至るまで人々は

幸せで満足していたのである」と述べているように封建制度の支配的な有様が

どこにも見られなかったということです。

明治時代を境に日本のそれまでの文化は消え去ったと多くの渡来人が書いている

ようにあのとき日本はそれまで所持ししていた古き良き日本を捨て去ったという

のが正しいのだろう。それはひとえに明治維新に官僚となった人々が目指した

新しき日本というものだったのだろうと思います。

文庫本で600ページ近い分厚いものですが、そこに書かれているのを読めば

アシュタールの語っていることがよくわかります。






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