破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:イヤなことは忘れてください」
今日の破・常識!
終わってしまったイヤな思い出や悲しい感情からフォーカスをはずし
楽しい方向へフォーカスをすれば楽しい現実になります。
かさぶたをはがすクセはやめられることをお勧めします。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「イヤなことは忘れてください」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
イヤなことは忘れてください。
ツラいことも悲しいことも忘れてください。
いつまでも覚えておく必要はありません。
反芻する必要はないのです。
あなた達はとても面白いくせを持っています。
イヤだ、イヤだと言いながらいつもそこにフォーカスするのです。
イヤならそこから離れて楽しい方向へフォーカスを変えればいいのに
いつまでもイヤなところから離れようとしません。
記憶もそうです。
ツラかった記憶、悲しかった記憶をいつまでも手放さず
ときどきそれを見返してはその記憶に共振して
同じような感情を味わいます。
そして、またツラくなるのです。
それは楽しいですか?
楽しければいいのですが、楽しくない、やめたいと言いながら
いつまでもそれをやっているのです。
失恋したけど、それはいい体験だったと思い、その人に感謝し
人を好きになれた自分を愛おしく思い
そして、今度はどんな人と出会えるのかな?
どんなに素晴らしい体験が出来るかな?と
ワクワクしながらイメージした方が
いつまでも失恋の痛みを味わうよりも
楽しいと思うのですがいかがでしょうか?
けがをすればかさぶたが出来ます。
出血を止めるためにかさぶたが出来、だんだんそのかさぶたも
小さくなってそしてけがが治るのです。
けがをしたことも忘れてしまうくらいすっきりと治るのです。
でも、面白いことにあなた達はかさぶたをはがそうとするのです。
傷を治すために出来たかさぶたを自分ではがし
そしてまた血が出るのを見て痛みを思い出すことを繰り返すのです。
かさぶたが出来たらそれをはがす行為を繰り返していると
いつまでも傷は治りません。
あとも残ってしまいます。
なのに、かさぶたが気になって気になって
いつもかさぶたにフォーカスしてかさぶたをはがし
また血を出すということをするのです。
かさぶたからフォーカスをはずし
違うことを楽しんでいれば気が付いたら
けがをしたことさえ忘れています。
もちろん傷も消えています。
けがしたことをいつまでも覚えておく必要はないのです。
けがは身体が治してくれます。
身体を信じて好きなこと楽しいことをしていればいいのです。
ツラい過去、悲しい過去、イヤな思い出・・忘れてください。
思い出す必要はないのです。
そこから教訓を得て、教訓を忘れないために
いつまでも覚えておかなければいけない
などということはありません。
反対に、いつまでもその記憶を思い出し
ツラい感情に共振していると、
それをまた現実化してしまうことになってしまいます。
どうして私にはいつも同じようなことが起きるのでしょうか?
というのは、いつもそこにフォーカスし、記憶を思い出し
感情を再体験するからです。
思考が先、現実はあと・・イヤな思い出、悲しい感情
不安な思いなどにフォーカスすれば
その現実を創造してしまうのです。
起きたことは起きたこと・・それは自分で起こした現実。
だから、もうそのような現実は創造しません・・と思えば
再び同じような現実を創造することはないのです。
終わってしまったイヤな思い出や悲しい感情からフォーカスをはずし
楽しい方向へフォーカスをすれば楽しい現実になります。
かさぶたをはがすクセはやめられることをお勧めします。
かさぶたはあなたの傷を治すためにあるのです。
あなた自身を信じて違うところにフォーカスしていれば
傷は気が付いたら治っています。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
御巣鷹山での日本航空123便の墜落事件のことを覚えていると思います。
あの時は520人が亡くなった実に痛ましい事故ですが、毎年あの場所では追悼式が
行われ死者の霊を慰める儀式が行われテレビでも毎年放送されます。
問題はテレビですね。毎年放送されるんですが、放送せず人々が思い起こすことが
なければ忘れ去られていい事件です。
確かにあの時には中曽根首相が決断を下し、墜落させたという話もありますが
亡くなった方々の霊をいくら慰めても戻っては来ません。
また、残された家族の方々もすべて忘れ新たな生活を築く方が良いのです。
それを忘れてはならない事件として思い起こさせ再び悲しい気持ちにさせます。
こうしたセレモニーは至る所にあり人々の記憶を事件当時の悲しい気持ちにさせます。
長崎・広島の原爆記念日では二度と同じ災禍を起こしてはならないという教訓を含んだ
ものとして毎年行われます。
阪神大震災・東北大震災などもそうです。
被害に遭われた方は毎年悲しみを新たにし生きて行かないといけませんが、それに
どれだけの意味があるのでしょうか?
そういう私はひどい奴だと非難を受けるかもしれませんが、当時の震災時の事や
亡くなった方を思い出し追悼したとしても自分自身の利益にはならないと思います。
むしろ、毎年多い出させられ悲しい気持ちにならないといけないことの方が大きな
問題なのです。
同じようなことは世界各地で行われていますが、もうそろそろ行って期間過ぎたら
止めてもいいのではないでしょうか?
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