破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:疑問を持つことから始まる」

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疑問を持つ アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:疑問を持つことから始まる」

今日の破・常識!

思考を変えるためには疑問を持つことが一番です。

 
いままで刷り込まれてしまった

常識や倫理観、道徳観、価値観などを

 
変えるためにはそれに対して

疑問を持つことからはじまります。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「疑問を持つことから始まる」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 
思考を変えるために瞑想は必要ありません。

 
思考を変えるためには疑問を持つことが一番です。

 
いままで刷り込まれてしまった常識や倫理観、道徳観、価値観などを

 
変えるためにはそれに対して疑問を持つことからはじまります。

 
疑問を持つことが出来なければ変えることは出来ないのです。

 
疑問を持つためには生活の中をしっかりとみる必要があります。

 
いままで”当たり前”と考えてそこに何も疑問を持っていなかった

 
ことに疑問を持つことで考えることが出来るようになるからです。

 
”当たり前””常識だから””みんながしているから”


”昔から決まっているから”など言葉は思考停止の言葉なのです。

 
決まっているから従わなければいけないということは


自分の意志はそこには無いということです。

 
自分では何も考えなくてもいいと思っているということです。

 
それでは何も変えることは出来ません。

 
”当たり前”だと思っていることに疑問を持つから

 
はじめて考えることが出来るのです。

 

それには刺激が必要となります。

 
刺激を受けるから”当たり前”が”当たり前?”に変わるのです。

 
本当に”当たり前”なのでしょうか?

 
それはどうして”当たり前”だとされているのでしょうか?

 
何かおかしいですね・・と考えることが出来るようになるのです。

 
瞑想はいいと思います。

 
でも、思考を変えるという点においては刺激がありません。

 
自分の中を見つめ、自分が何を考えているのかを見ることは

 
出来るかもしれませんが、そういう自分の内面を見つめるという

 
瞑想は頭が止まっていません。

 
頭で考えようとする瞑想は、瞑想にはならないのです。

 
頭の中にある知識や情報だけでいろいろ考えても


新しい考えは出てきません。

 
生活する中でいろいろな刺激を受けて考えることが出来るのです。

 
だからと言って瞑想を否定しているわけではありません。

 
瞑想と言うのは頭を止めて感覚に集中することです。

 
頭を止めて感覚に集中することで


頭の外の情報を得ることが出来ます。

 
頭の中にはない情報です。

 
でもそれは言語化出来ないのです。

 
その情報は意識の上にはなかなか上がって来ません。

 
難しいですか?

 

知りたい情報が明確にあってその情報を知りたいと思って


頭を止めて瞑想状態になれば、言語ではなく


あっ!っという形でアイディアが出てきます。

 
それが直感とかひらめきです。

 
でも、明確にこの情報が欲しいと思ってする瞑想ではなく


何となく思考を変えたいなと思っているような形の瞑想では


あっ!は起きません。

 
でも、深いところで何かを受け取ってはいます。

 
どういうことかというと、何かの刺激があった時に


(たとえば私がお伝えしているような破常識な情報など)


何だかわからないけど腑に落ちる、納得できる気がする


という形でわかるということです。

 
証拠もないし、証明も出来ないけど、腑に落ちる、分かる


納得できると思うことは


頭の知識の外からの情報だということです。

 
そういう頭の外からの情報を得るということに関しては


瞑想は効果的ではありますが


ただ瞑想ばかりをしていても思考は変わらないのです。

 
瞑想状態で得た情報は刺激がなければ浮上して来ません。

 
刺激を得て、その刺激が腑に落ちて思考が変わるのです。

 
ですから、思考を変えるためには瞑想が一番良いでしょうか?


というご質問には、思考を変えようと思って行う瞑想はいりません


とお答えしたいと思います。

 
思考を変えるためには刺激が一番です。

 
刺激を得るためには毎日の生活の中で・・


疑問を持とうと思う意識が必要なのです。

 
”当たり前”で済まさず、どうして”当たり前”だと


思ってしまっているのかと考えること


疑問を持つことから思考の変化(進化)ははじまるのです。

 
疑問を持つということは、いままで信じていたことを


信じなくなるということですから


頭はかなり拒否反応を起こします。

 
その拒否反応を、瞑想によって得た頭の外からの


情報で薄める?のです。

 
頭は拒否するけど、何となくハート?では納得できる


腑に落ちるという感覚ですね。

 
日常の生活の中に疑問を持つという意識と


頭を止め感覚に集中する瞑想のコラボレーションによって


思考は変わっていくということです。

 
それもバランスになります。

 
バランスよくいろいろな現実を見てみてください。

 
あなたの思考はどんどん変化(進化)していきます。

 

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

瞑想には意味がないと言っているのではなく、マインドを止め、感覚的になることで

外からの情報を受け取ることが出来るという点では意義があるということです。

でも瞑想をすることで疑問を持てるだろうか?

というところですね。

いくら瞑想をしても自分の中に日々の疑問がなければただの瞑想で終わって

しまいます。

すべての進歩は疑問を持つことから始まります。

新しいものの考え方や発見は疑問を持つからそこから生まれるものです。

だから、日常の些細なことでもいいので疑問を持つことを大事にしましょう。

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