世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:丸い社会 vs 三角の社会??」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:丸い社会 vs 三角の社会??」

ミナミAアシュタールRadio137

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丸い社会って??

最近ちょっと気になっていることがあります。
それは・・丸い社会っていう言葉!
丸い社会って私たちも使うけど、何か・・ん??・・
って思うことがあるんです。
どう言ったらいいのか分からないんだけど
何か違和感を感じるんです。
この違和感はなに?って思っていたらアシュタールから
メッセージが来ましたのでお伝えしますね^^

「丸い社会 vs 三角の社会」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します
 
対立の思考になってしまっているのです。
 
 
丸い社会 VS 三角の社会
 
 
それは違うのです。
 
そうではないのです。
 
 
丸い社会は善で、三角の社会は悪ではないのです。
 
あなた達はすぐに善悪、正しい、間違っている、良し悪し
 
で考えるようになってしまっているのです。
 
善悪、どちらかしかないと思ってしまうのです。
 
 
そうではないのです。
 
善悪で判断しないでください。
 
 
これは丸い社会の考え方ですか?
 
これは三角の考え方ですか?という考えは手放してください。
 
これが丸い社会の考え方です・・という考え方はありません。
 
そのような型にはまったモデルケースのような考え方はないのです。
 
 
丸い社会というのは愛の割合の高い社会です。
 
愛の割合・・相手に対する尊敬と尊重、感謝の気持ちが多い
 
ということだけです。
 
難しいですか?
 
 
あなた達がずっと刷り込まれてきた宗教で言われる善悪のような
 
決まった考えはないのです。
 
正しい考え方をしているという人もいないのです。
 
これが正解の考えというものはないのです。
 
誰かに叱られるからこれをしない・・ということではないのです。
 
自分がされたくないからしない・・ということでもないのです。
 
誰かのためにしなければいけない・・という考えもありません。
 
 
ただ、相手に対して介入しないのです。
 
相手がどんなに自分と違う考えをしていても、それはその人の
 
考えなのだから尊重しましょうと思えるのです。
 
ただ、自分とは考え方が違うから、そこはそっと離れて
 
おきましょうと思うだけなのです。
 
 
丸い社会 VS 三角の社会・・という考えを手放してください。
 
そう考えること自体がもう三角の社会の考え方だということ
 
なのです。
 
分かりますか?
 
三角の社会の考え方が悪いと言っているのではありません。
 
それは理解してください。
 
でも、どちらが良い、どちらが悪い、という考え自体が丸い社会の
 
考えではないということはお話したいと思います。
 
丸い社会はどちらでもいいのです。
 
どんな考えでもいいのです。
 
ただ、あまりにいまのあなた達の社会の考え方が強いと
 
丸い社会は創造できないということはあります。
 
だからと言って悪いわけではありません。
 
 
対立では同じことになってしまいます。
 
対立ではないのです。
 
まるで違う社会なのです。
 
対立しようがないくらい違う価値観、考え方をしている社会
 
なのです。
 
 
丸い社会の方向を向いている人が精神的に崇高で善人で目覚めた人
 
ということはありません。
 
精神的に崇高で善人で目覚めた人という価値観もそもそもピラミッド
 
社会で刷り込まれた競争の概念が根底にあるのです。
 
どちらの方が素晴らしい、どちらの方が良い人、どちらの方が
 
目覚めている、どちらの方が波動が軽い・・などという比較
 
そのものが愛の割合の少ない考え方になります。
 
 
ピラミッド社会で思いっきり競争、比較を刷り込まれて
 
しまったのでついついお茶目に比較で考えてしまうのです。
 
 
丸い社会と三角の社会は比較できるものではないのです。
 
まるで違う土俵なのです。
 
 
丸い社会(愛の割合の多い社会)が合う人もいれば
 
そうではなく刺激的な弱肉強食の世界が合う人もいるのです。
 
三角の社会を楽しいと思う人に、目覚めていない、わかっていない
 
気が付いていない、早く気が付いて欲しいなどと思うのは
 
ナンセンスです。
 
そして、その考えは丸い社会の方が優れた社会で、優れた人だけが
 
それを創造できるのです・・という上から目線の考え方なのです。
 
 
上から目線の考えでは、愛の割合の多い社会は創造できないのです。
 
愛の割合の多い社会は干渉しない社会だからです。
 
 
善悪ではありません。
 
波動は軽い重いはありますが、それは良い悪い、善悪、ではないのです。
 
好きか嫌いか、合うか合わないかということだけです。
 
 
合う合わないは善悪ではないのは分かりますね。
 
甘いケーキが好きな人と激辛のラーメンが好き・・という
 
だけのことです。
 
ケーキが好きな人が、激辛のラーメンが好きな人は波動が重いとか
 
目覚めていないとかは言わないですね。
 
もしそんなことを言ったら、放っといてくださいと言われるだけです。
 
 
何度もしつこいですが・・
 
丸い社会=善、三角の社会=悪という構図は手放してください。
 
対立する関係ではありません。
 
まるで違う土俵だということを重ねてお話したいと思います。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

私たちはややもすると、自分と合わない人を悪、合う人を善としてとらえる傾向があり

それがそもそもの問題を生む根源となっているものです。

そして、それは無意識下でそう思うこともあるので問題を複雑にしてしまいます。

合わなければ合わないなりに、それは仕方がないことだと冷めた気持ちで見られれば

それ以上合わないことに膠着せず離れてみていられます。

それを合わないのを相手が悪いからだと責め続けていても問題が解決しないばかりか

そのいらだちで自分の心の平常心を失ってしまいます。

そして、何とか相手の悪い点を見つけて理由付けしようしてしまいがちです。

そういう気持ちで相手と会ってもうまく行くはずはありません。

最初から敵対心むき出しだからです。

それではうまく行きません。

どんな人にも自分から見て良いと思われる部分と反対の部分を持ち合わせています。

だから、人は両面から見てみることも時には必要なことです。

そして、そのいい面を見つけて認めてあげても相手が了解という合図を送って

来なければ、それはそれで諦めてしまえばいいことです。

それ以上拘泥しても意味はありません。

自分が苦しくなるだけです。

そんなことは忘れて自分と気持ちの合う相手を探しましょう。

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