世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ここに大きなヒントがあります」
ミナミAアシュタールRadio164
「時間も変えることが出来るんです」
vol.349 「時間も変えることが出来るんです」
vol.350 「愛とは・・・」
おごだてませんように・・・
本屋さんでちょっと目にした絵本・・
「おごだでませんように」
怒られませんようにっていう意味だと思います。
この絵本を私は読んでいないんですけどね。
なんか、あ~って思いました。
これって子ども向けじゃなくて大人向けでもあるのかな?
ってちょっと思ってしまったミナミです。
では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
「ここに大きなヒントがあります」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します
あなた達の中には、怒られないように、何か言われないように、
そして、褒められたいという気持ちが基本的にあります。
それは教育で刷り込まれてしまったものです。
何度もお伝えしていますが、あなた達の社会の教育は支配者に
従順に従う没個性の人間を育てることが目的なのです。
ですから、先生、親、周りの大人に怒られないように、
叱られないようにという気持ちが大きくなっていくのです。
大人が作った枠にはまらない子どもたちは
とてもツラい思いをします。
どうしてこれをしてはいけないのでしょうか?と聞いても
誰も納得できる答えを教えてくれないからです。
子どもたちはみんな個性的なのです。
だから、自分の好きな表現をしようと思います。
そこには悪気はないのです。
そして素直にしたいと思ってしたことがいけない事、
悪い事とされてしまうととても戸惑います。
そして、どうしてしてはいけないのか悩みます。
どうしていけないのかと聞くと、それにしっかりと答えられない
大人は自分で考えなさい、胸に手を当てて反省しなさい、
とにかくダメなものはダメですとまた訳の分からない叱られ方
をするので本当にどうしていいか分からなくなるのです。
それが繰り返されると考えることを止めてしまいます。
とにかく大人の言うことさえ聞いてさえおけば怒られないで
済むという結論に至ってしまうのです。
言われたことさえ聞いて従順に従っておけば大人は笑い
かけてくれると思い、笑ってもらえるように行動する事だけ
考えるようになります。
従順に従っておけば褒めてももらえるということを学習します。
それでもまだ納得できない事には従えないと主張する子どもは
最近では病名をつけられてしまいます。
病名をつけられる子は大人から排除されます。
大人があの子は病気だからとか、言うことを聞かない悪い子
だからという言葉を出せば、子どもたちからも排除される(仲間
外れになる)ということになるので、ますます子どもは
怒られないようにすることに一生懸命になってしまいます。
どうして?に答えられる大人がいないのです。
そして、その問いに一緒に考えてくれる大人もあまり
いないのです。
だから、子どもはただただ迷い続けることになります。
そして、最後には考えることを止めてしまいます。
大人も同じように育てられてきたのです。
だから、そのやり方をまた踏襲してしまうのです。
答えを一緒に出そうと思うのではなく、とにかく言うことを
聞きなさいということだけを言ってしまうのです。
ここに大きなヒントがあります。
子どもはとても個性的です。
大人のような常識、倫理観、道徳観は持っていないのです。
だから、子どもの問いに一緒に考えてみてください。
子どもがどうして?と聞くことに、どうしても!と答える
のではなく、どうしてかな?と一緒に考えてみてください。
そうすれば、大人も思考が動きはじめます。
大人も自分の中の疑問を出しても良いと思えるようになります。
社会に出た大人も、上から言われたことは何も言わずただ
従順に従っておいた方がいい、その方が怒られないし、
イヤなことを言われないし、褒めてももらえると思っているので
何か疑問を感じても自分で封印してしまおうとするのです。
疑問を感じて言葉にすれば社会から排除されると思って
とても怖いのです。
怒られないように、何か言われないように、
という思考を手放して下さい。
その思考をしている限り、あなたは自由になれないのです。
怒られないためにすることは、自分を自分で不自由にしている
ということです。
言うことを聞いておけば笑いかけてもらえる、
楽しそうにしてくれる、優しくしてくれる、
褒めてもらえるという事実はありますが、
それはあなたが我慢してくれる、その人にとって都合がいい人
だからです。
その人はあなたの事は考えていません。
だから、もしあなたがその人にイヤです、と言ったらその人は
笑いかけてはくれません。
そして、期待していたのに残念だねという言葉を投げかけます。
気持ちのいい人間関係、お互いを尊重し合える関係だと
あなたが素直に表現しても一方的に怒られるということは
ないのです。
何か意見が違ったとしても、お互いすり合わせるためにどうしたら
良いかを一緒に考えようとするのです。
そういう関係ができていれば、あなたはとても安心して自分を
表現できます。
そこがあなたの居場所なのです。
常に人の顔色を見て、怒られないように、何か指摘されないように、
笑顔を見せてくれるようにとビクビクしながらいなければならない
所はあなたの居場所ではありません。
安心して自分を表現できるところに行ってください。
子どもが大人の思惑と違うことをしたら、一緒に考えてくださいね。
どうして?と聞かれたときに、どうしても!と答えず、一緒に
どうしてなのかな?と考える余裕をもってください。
そうすれば、大人も刷り込まれた常識や倫理観、道徳観、価値観
などを手放すことができます。
そして、子どもたちにも考えるということを教えて
あげてください。
そして、子どもたちが大人が理解できない行動を
した時は、どうして?と聞いてくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
常に人の顔色をうかがいながら発言したり行動したりしているととても疲れます。
私は数年前からそのような行動や言動を止めました。
そうすると一切が気にならなくなります。
と言っても無頓着に何でも言い、どんな行動もしているかと言えばそうではありません。
自制する部分では自制するし、他人が傷つくだろうなと思うならそんなことは言いません。
ただ、人の言動や視線を気にして行動したり発言したりということは止めました。
ということです。
それはとても気持ちが軽くなります。
何しろ誰かの視線や批判が怖いという不安がなくなるからです。
その視線や批判が怖いので皆さん行動を自制しているのです。
だから、他人の目線や言葉を気にしないようにするといいですよ。
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