破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:これが人権なのです」
今日の破・常識!
すべては対等である。
すべての人は自由である。
・・これが基本なのです。
これが人権なのです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「これが人権なのです」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
対等であってください。
対等であることをしっかりと認識してください。
そうすればあなた達のエネルギーが変わります。
国に生かしていただいているのではありません。
税金は国に差し上げているのではありません。
国民に何かあったときに互助の意味で国に預けているのです。
このシンプルなことを忘れないでください。
国の組織は意図的に複雑にしています。
国民が複雑すぎてわからなくなるように、
複雑すぎて考えるのがイヤになるように、
わざと複雑にしてわかりにくくしているのです。
でも、根本はとてもシンプルなのです。
自分たちのために(互助)のための税金なのです。
ここをしっかりと理解できれば、人々の意識が変わります。
意識が変われば出すエネルギーが変わります。
エネルギーが変われば態度も行動も変わってきます。
何か政府、国に求めるときは陳情ではないのです。
しっかりとした要求に変わります。
陳情という言葉は対等ではないエネルギーになります。
下から上へお願いするという意識になるので
へこへこしたエネルギーでお願いするような
感じになってしまうのです。そうなると、甘く見られてしまい
軽くあしらわれてしまうことになります。
でも、お互い対等であるという意識があって
堂々とした態度で話をすると、エネルギーを引きませんので
軽くあしらわれたりすることがないのです。
しっかりと要求を通すことが出来ます。
同じことをするにしても、意識が違うと大きく違ってくるのです。
国に対してだけではありません。
会社などの組織に対しても同じです。
あなた達は学校教育で上の人に対して物申してはいけない
上の人のいう事は意義を唱えず従順に従いなさい、
何をするにも許可をいただきなさい、と教えられていますので
対等、平等という意識に慣れていないのです。
だから、ついつい下からお願いするという態度になってしまうのです。
もしくは反対に対立が大きくなってしまうのです。
物申してはいけないと思っている人にものを申すことに恐れ
罪悪感を感じるために余計に力が入ってしまい
大きく対立のエネルギーを出してしまうことになるのです。
対立のエネルギー同士では力の強い方が勝ちますので
デモなどをして対立で何とかしようとしても
何も変わらないということになってしまうのです。
対立ではなく、堂々と対等に立ってください。
上でも下でもありません。対等の人間として話し合うのです。
対等であるというエネルギーで向かい合ってください。
そうすれば脅しやごまかしで何とか出来るとは思えなくなります。
彼ら(あなた達を支配・コントロールしようとしている人たち)は
やりにくくて仕方がないのです。
あなた達の要求を軽くかわすことが出来なくなるのです。
意識がとても大きなカギになります。
国民一人一人の税金に対する意識が変われば
好き勝手にできなくなります。
デモをして抗議しなくても、あなたの意識がかわり
態度が変わり、彼らに向けるエネルギーが変われば
彼らの行動も変わらざるを得なくなるのです。
税金だけでなく、彼らにむやみに従わないという意識になれば
彼らにとって都合のいいルールを創ることは出来なくなるのです。
すべては対等である。
すべての人は自由である。
・・これが基本なのです。
これが人権なのです。
一人一人に権利があることを忘れないでください。
それを忘れなければエネルギーを引くことはなくなり
自由を制限されることもなくなります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
今日のアシュタールの言葉の中に「陳情」という言葉が出てきましたが、改めて考えて
見るとその通りですね。
陳情とは下の者が上の者に対してお願いすることです。
普段から私たちはこの「陳情」という言葉に慣らされていて、政府に対するお願いは
すべて陳情でなければならないと思い込まされています。
新聞やニュースを見てもそうですね。
政治家への陳情、政府への陳情、自治体への陳情とすべてが「陳情」という言葉で
締めくくられています。
この陳情という言葉は廃さないといけないですね。
陳情ではなく「要求」です。
なぜなら、税金は国民が政府に預けているお金だからです。
それをさも国民が政府に差し上げたお金だという感覚になっていて、政府もまた
国民が税金を払うのが当然であって払わないと言うことは許さないということで
脱税という罪を着せるようになっています。
すべからく国民は納税の義務を負うというのは日本国憲法に書かれていますが
しかし、払えない人には納税の義務が免除されるともあるのです。
それはすべての国民は安定した暮らしをする権利があり、それを国が保証しなければ
ならないとされているからです。
そのための生活保護ですが、最近はコロナ禍で生活保護受給者が増えて来ていて
全国の各自治体もこれ以上増えないように認定を厳しくしているようです。
先日起きた大阪の医院での放火犯人が亡くなりましたが、この人も生活保護を申請して
いましたが、大阪の生活保護課から冷たく突き放されたようです。
それがあって放火に至ったという指摘がなされると、翌日には大阪市が生活保護受給を
本人が取り下げていたと報道されていました。
生活に困っている人が果たして自ら取り下げるのでしょうか?
自己資金が枯渇し明日の食うものにも困る人が取り下げるはずはありません。
自治体で無理強いしてそうさせたのでしょう。
自治体からすれば税金で食わせること自体がおかしいという感覚かもしれませんが
自治体職員自体が税金で食わせてもらっているんでしょう。
確かにそのための仕事をしていますが、もし、それが通るなら生活保護申請者には
何らかの自治体の職を与えそれに対する給付金とすれば問題はないと思います。
それがなぜ出来ないのだろうかと思います。
街中で必要な仕事はたくさんあります。
それを自治体が探し出してきて生活に困っている人への一時的な仕事として
与える場を作ってもいいはずです。
法律でそれが出来ないとするならば法律を変えればいいだけです。
自分たちに都合のいい法律はどんどん作りどんどん変える癖に国民のために
なる法律改正には知らん顔というのは納得できない話です。
税金の本来の使い道自体が間違っています。
コロナ禍で病院は潤い、飲食店は経営に窮することの対比が鮮明にあぶりだされて
いるというのに、政府はいつも我慢だけ強いること自体おかしな話です。
いつまでそうした愚策が通用すると思っているのでしょうか?
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