人は死んだときに身体機能がすべて停止するわけではない
これまでの調査によると、心停止の状態から蘇生した人の4~18%が臨死体験を経験したと報告されている。だが、科学的にこの概念は明確に定義されていない。
だがようやく今回、医学から神経生理学まで幅広い分野の科学者が、死の研究に関する新たなコンセンサス・ステートメントを発表した。
学術誌『New York Academy of Sciences』に発表された査読付き論文では、死と臨死体験について、専門家たちが基本的な意見の一致をみたと表明している。
それによると、臨死体験は幻覚とは違うという。臨死体験は、明確な認知プロセスで、空想の産物とは言い切れないという。
この研究は、死の科学的研究に関する初の査読付き論文であり、この研究領域における問題と争点を特定を目的としており、潜在的メカニズム、倫理的意味、体系的調査のための方法論を考察したものである。
彼らが同意していることのひとつは、人が死んだその瞬間に、生理的、あるいは認知的なプロセスが実際に終わるわけではないということだ。
それは、臨死体験がこれまで言われてきたような幻覚ではなく、明確な認知プロセスであるからだという。
「脳細胞は、心臓が止まって酸素が行きわたらなくなっても、数分間はとりかえしのつかないようなダメージは受けません」ニューヨーク医科大学グロスマン校の救命救急診療・蘇生研究部長のサム・パルニア氏は語る。
「脳細胞は、数時間かけて徐々に死んでいくのです。そのため、死に関連して起こる生理的、精神的な出来事を客観的に研究することが可能になりました」
臨床的な死は、心臓の拍動が停止したときと定義されているが、このたびの研究が明らかにしたように、脳が心臓と同時に活動を停止するわけではない。
そのため、人が死んだ後に脳内でなにが起こっているのかを研究することができる。死んでもなお、脳内でガンマ波と電気的スパイク波の活動が見られ、これは意識が高揚した状態を示しているという。
それでは、こうした死後の脳内活動と幻覚との違いはなんだろう?
専門家によると、臨死体験後に人々が思い出す体験は、幻覚や錯覚、薬物による幻とは違うと言う。
こうした臨死体験や生還体験は、特定の物語の横糸によって定義され、蘇生した後にポジティブな心理的成長をもたらすことが多い。
専門家の意見が一致しているもうひとつのことは、私たちは死というものを、例えば、心臓が止まるという一瞬の出来事として考え続けることはできないということだ。
心臓が止まることは、死、そのものの別の段階なのだという。
基本的に、命をオンやオフにするスイッチはない。死はプロセスで、心停止はそのプロセスの最後の瞬間のひとつなのだ。
でも、それが真の最後というわけではない。その瞬間の後になにが起こるかは、相変わらず謎のままだし、死にかけている人がどのような思考を抱いているのかは、私たちは知る由もない。
だが、この研究は、その思考にはひとつパターンがあることを示していて、臨死体験が死にゆく人の単なる空想の産物だとは言い切れないところがあることを感じさせられる。
だがようやく今回、医学から神経生理学まで幅広い分野の科学者が、死の研究に関する新たなコンセンサス・ステートメントを発表した。
学術誌『New York Academy of Sciences』に発表された査読付き論文では、死と臨死体験について、専門家たちが基本的な意見の一致をみたと表明している。
それによると、臨死体験は幻覚とは違うという。臨死体験は、明確な認知プロセスで、空想の産物とは言い切れないという。
脳が心臓と同時に活動を停止するわけではない
この研究は、死の科学的研究に関する初の査読付き論文であり、この研究領域における問題と争点を特定を目的としており、潜在的メカニズム、倫理的意味、体系的調査のための方法論を考察したものである。
彼らが同意していることのひとつは、人が死んだその瞬間に、生理的、あるいは認知的なプロセスが実際に終わるわけではないということだ。
それは、臨死体験がこれまで言われてきたような幻覚ではなく、明確な認知プロセスであるからだという。
「脳細胞は、心臓が止まって酸素が行きわたらなくなっても、数分間はとりかえしのつかないようなダメージは受けません」ニューヨーク医科大学グロスマン校の救命救急診療・蘇生研究部長のサム・パルニア氏は語る。
「脳細胞は、数時間かけて徐々に死んでいくのです。そのため、死に関連して起こる生理的、精神的な出来事を客観的に研究することが可能になりました」
臨床的な死は、心臓の拍動が停止したときと定義されているが、このたびの研究が明らかにしたように、脳が心臓と同時に活動を停止するわけではない。
そのため、人が死んだ後に脳内でなにが起こっているのかを研究することができる。死んでもなお、脳内でガンマ波と電気的スパイク波の活動が見られ、これは意識が高揚した状態を示しているという。
photo by Pixabay
死後の脳内活動と幻覚の違い
それでは、こうした死後の脳内活動と幻覚との違いはなんだろう?
専門家によると、臨死体験後に人々が思い出す体験は、幻覚や錯覚、薬物による幻とは違うと言う。
こうした臨死体験や生還体験は、特定の物語の横糸によって定義され、蘇生した後にポジティブな心理的成長をもたらすことが多い。
専門家の意見が一致しているもうひとつのことは、私たちは死というものを、例えば、心臓が止まるという一瞬の出来事として考え続けることはできないということだ。
心臓が止まることは、死、そのものの別の段階なのだという。
心停止は死をもたらす病または出来事の最終段階ですが、心肺機能蘇生法(CPR)が出現したことで、死というものが絶対的な状態ではないことをおしえてくれました。
むしろそれは、臨床的に死にかけても、人によっては元に戻る可能性があるプロセスなのです(パルニア氏)
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臨死体験は空想の産物とは言い切れない
基本的に、命をオンやオフにするスイッチはない。死はプロセスで、心停止はそのプロセスの最後の瞬間のひとつなのだ。
でも、それが真の最後というわけではない。その瞬間の後になにが起こるかは、相変わらず謎のままだし、死にかけている人がどのような思考を抱いているのかは、私たちは知る由もない。
だが、この研究は、その思考にはひとつパターンがあることを示していて、臨死体験が死にゆく人の単なる空想の産物だとは言い切れないところがあることを感じさせられる。
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