破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:誰かに提示される選択肢」
今日の破・常識!
誰かに提示される選択肢ではなく、自分でこれにしようか
あれにしようか、それともいまは決める必要がないかなど
あれこれ考えることが出来るのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「誰かに支持される選択肢」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
提示された選択肢の中から選ばなければいけないと
思わないでください。
提示された選択肢の中にあなたが求めているものがなければ
この中にはありませんと選択することを断ることが出来るのです。
その選択肢はあなた以外の人が選んだものです。
あなた以外の人が選んだものの中から選ぶ必要はないのです。
そうですね。
こう聞くとそうだと思うと思いますが、でも選択肢を提示されると
無意識にその中で選ぼうとしてしまうという事をわかってください。
無意識にすぐにその中で選ぶ事を考えてしまうのです。
その中に自分の正解があるかのように思ってしまうのです。
そのように教育されてしまっているのです。
学校の試験がそうですね。
いくつかの選択肢を提示され、その中から正解を選びなさい
という出題が多いと思います。
それはあなた達に自分で選択肢を作るという事が出来ない
と思い込ませるためのものです。
自分で選択肢を作る、自分でどういう選択が出来るかを考える
という自由があることから目を背けさせるために
行われている事なのです。
誰かに提示される選択肢ではなく、自分でこれにしようか
あれにしようか、それともいまは決める必要がないかなど
あれこれ考えることが出来るのです。
それが自分で選択肢を作るという事です。
無意識を意識に持っていってください。
誰かに提示された選択肢の中からどれを選ぼうかと
悩んでいる時に、それを悩んでいることを意識してください。
分かりますか?
この中でどれがいいかな?・・と無意識に思っている自分に
気が付いてください。
そうすれば、その中から選ぶ必要がないことが分かります。
もちろんその中に自分が本当に選びたいものがあれば
意識してそれを選ぶこともできます。
レストランに行ってメニューを見て、自分が食べたいものが
なければそこから出てもいいのです。
せっかくメニューを見せてもらったのに、断ったり出たり
するのはレストランの人に悪いと思う必要はないのです。
ここには私の欲しいものはありませんと断ってもいいのです。
もしくは、このメニューにはありませんが私の好きな料理を
作ってもらうことは出来ますか?と聞いてもいいのです。
レストランの人がいいですよ、何をお望みですか?と
聞いてくれればあなたの好きな料理を言ってください。
それはムリですと言われたら、そうですかと言って
外に出ればいいのです。
レストランのメニューの中から必ず選ばなければいけない
という事はないのです。
でも無意識にそう思ってしまっていませんか?
選挙といわれるものがそうですね。
立候補した人の中から選ぶしかないというシステムです。
その中に支持したいと思う人がいなくても、とりあえず
その中で一番よさそうな人(まだマシな人)を選びましょう
という事ですね。
それはおかしな発想だという事です。
自分の生活に直結する人を選ぶのに、仕方がない
他に支持したい人はいないから、という理由で
選ぶのはおかしいのです。
この中にはいませんという選択肢があってもいいのです。
そんなことを言ったら決まりません、誰かを決めないと
政治が出来なくなります・・と思うかもしれませんが
それも権力者によって刷り込まれた思考です。
誰かに決めないといけない、そのためには妥協するしかないと
思っているから、ずっと妥協しなければいけない現実になるのです。
この中には誰もいません・・と庶民が言えば
選挙というシステムができなくなってきます。
選挙は多数決です。
多数決が民主主義と呼ばれるものなのです。
多数決は支配者が決めた選択肢の中から選ぶという
システムだという事です。
支配者が用意した答えの中から選びなさいという事です。
そして、支配者は庶民がどの選択をしても自分たちにとって
都合のいい答え(選択肢)だけを用意(提示)しているのです。
そして、数字はいくらでも操作することが出来ます。
ですからその選択肢の中から選んでいるといつまでたっても
何も変わらないのです。
ですので、私は選挙というシステムは
ナンセンスなシステムだとお伝えしたいと思います。
誰かに提示された選択肢の中からムリヤリ選ぼうと
しないでください。
その中に自分が欲しいと思うものがあるかどうかを
しっかりと考えてください。
そして、その中になければ選択するものがありません
と断ってください。
そして自分で選択肢を作り、自分が一番気に入ったものを
選んでください。
誰かが提示した選択肢の中だけで選ぼうとすると
妥協する事になってしまいます。
妥協すると次も、その次も妥協することになってしまい、
ずっと妥協しなければいけない現実を創り続けることになります。
学校で刷り込まれてしまった、誰かが作った選択肢の中から選ぶ
という発想を手放してください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
この社会はどこに行こうとも何をするにしても与えられた選択肢の中から選ぶことを
余儀なくされる環境にあります。
会社に入って仕事を与えられても自分の自由に選ぶことができるのは稀です。
出来るのはある程度の権限を与えられた人だけです。
それは部長とか常務以上の場合になります。
中にはまれに成績が優秀で上司から自由裁量権を与えられることがありますが
それ以外はほぼ上司や会社のの示す条件の制限が付きます。
学校も同じです。試験に限らず行動範囲は与えられた範囲の中だけです。
校則がそうでしょう。これをしてはいけない。あれをしてはいけない。
と決められた以外の行動は禁止され、破るといろんな罰則が待ち受けています。
それらは主に秩序を保つためとされています。
法律もまたしかりです。
本来愛に基づく行動が出来る人だらけなら法律は必要ないのです。
なぜならその行動自体が法律を破るようなことをしないからです。
結局は愛に基づく行動をする人が少ないという結果に他ならないことになります。
もし、この社会が愛に基づく行動で満たされたものなら与えられた選択肢と言う
条件は必要ありません。
それぞれが自由に行動できますが、その自由の範囲を逸脱しない行動を自分に
課すので必要ないのです。
それは自分の行動は自由であるけれど他人にも同じ自由があり、その自由を奪う
事は誰にもできないし、他人の自由に干渉してはならないという意識があるからです。
それは行動の選択肢は個々の自由に任されるということです。
そういう意味で最初から与えられた選択肢ありきというのがおかしいのです。
コメント