破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:上にゴールはあるのでしょうか?」

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陽光を楽しむ アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:上にゴールはあるのでしょうか?」

今日の破・常識!

”上”を目指す、”成長する”などということは

必要ありません。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「上にゴールはあるのでしょうか?」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。


あなたは毎日何をしていますか?どう過ごしていますか?


忙しい、忙しいといつも小走りに生きていませんか?


あなたは何のために生きていますか?


生きるとはどういうことか意識したことはありますか?


生きるとはどういうことでしょうか?


それをもう一度考えてみてください。


生きるために・・ではなくて、生きるということです。

あなた達は”向上心”という言葉を刷り込まれてしまっています。


向上心を持ちなさいと教育されているのです。


常に上を目指し、努力しなさいと言われ続けているのです。


具体的な”上”が何かわからなくても


でも”上”を目指さなけばいけない、ぼ~っとしている暇はない。


お金持ちになることもある意味”上”を目指すことです。


もっとお金持ちになって、社会的立場も上げてという気持ちも


”上”を目指すという心理です。


お金だけではなく、精神的にももっと成長しなければいけない


とも刷り込まれます。


成長した先の具体的な人物像もわからず、とにかく精神的に


優れた人にならなければいけないと雲をつかむような気持で


”上”を目指します。


どこから手を付けていいのかわからず、何をしていいのかわからず


手当たり次第に精神的に成長できると言われる方法を試し


迷子になっていくのです。


勉強でもスポーツでももっと”上”を目指せと言われます。


そうなると楽しいはずの趣味までも”上”を目指しはじめ


楽しさが半減していってしまうということにもなってしまいます。


容姿においても、もっときれいにならなければいけない


きれいを目指さなくなったらお終いだと努力を続けます。


身体も健康にならなければいけない、もっと健康にとたくさんの


サプリを飲んだり、運動をしたりと努力を続けます。


それはものすごいストレスになります。


そのままではいけないのでしょうか?


あなたは具体的にどこを目指しているのでしょうか?


その”上”にはどんな生活が待っているのでしょうか?


”上”にゴールはあるのでしょうか?


ゴールのない”上”を目指していると


底なし沼のようになってしまいます。


砂漠の蜃気楼を追い求めて疲れ果ててしまう


旅人になってしまいます。


特に具体的な”上”のイメージがなければどこまで行っていいのか


分からなくなり、生活を楽しむ余裕などなくなり


とにかく走り続けるだけの生活になります。

特にお金の問題は大きいですね。


どこまでお金を得ればそこがゴールなのかわからず


もっともっととどんどん大きな金額を目指すようになります。


そこまで行けない自分にがっかりしたり、ダメだと思ったりして


いつも自分のお尻を叩き続けることになります。


そんな生活は疲弊するだけです。


ぼ~っと、ふんわりと、どこも目指さず


ただ毎日を楽しむだけの生活ではいけないのでしょうか?


時間など気にせず、やりたいことをやっているだけでも


十分豊かに生活することが出来ます。


作物も収穫高を気にしてもっと収穫できるようになど考えなければ


そんなに手間をかけなくても十分な収穫が出来るのです。


ふわ~っと生きていても十分豊かな生活が出来るのです。


じょうもんの人たちや江戸の人たちはふわ~っと生きていました。


どこかを目指すことなど考えず、いまこのときの瞬間を


楽しむ生活をしていました。


太陽の下で昼寝をしている自分の生活を愛していたのです。


それがさぼっているなどとは思っていませんでした。


気持ちよくこころゆくまで太陽の暖かさと吹いてくる風が


肌に当たる感じ、鳥の声、虫の音


川のせせらぎを楽しんでいました。


それをとがめる人などいないのです。


したいと思えばあなたが仕事と呼んでいる作業もします。


農作業もしますし、ものを作ることもします。


でも、もっともっと効率よくなどと自分のお尻を


叩くことはしません。


これでいいと思えばやめて昼寝もします。


そのような生活も出来るのです。


ゆったりとふんわり生きることも出来るのです。


どこか”上”を目指す必要などないのです。


”上”を目指すことをやめれば、すぐにでもそのような


ゆったりとふんわりとした生活をすることが出来ます。


ふんわり楽しい生活は怠惰な生活ではありません。


 人として終わってる生活でもないのです。


”上”を目指すことが良いことだとあなた達に刷り込めば


あなた達から搾取している人たちにとって


とても都合がよくなります。


あなた達からもっと搾取することが出来るのです。


ですから、”上”を目指しなさいと言われてきたのです。


どこまで行けばいいのかわからない”上”を目指していても


一生たどり着くことは出来ません。


常に焦燥感を感じるだけになります。


ストレスを感じるだけなのです。


”上”を目指す、”成長する”などということは必要ありません。


いまのひと時をゆったりとふんわりと楽しむ生活もある


ということを知っていただきたいと思います。


その場を楽しんでいればずっと楽しい生活が続きます。


どこかに行く必要はありません。


”いまこのとき”を生きてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

自分自身の中で何か具体的な目標を持って頑張るというのはいいでしょう。

例えば、荒れ地を耕して畑にして農場を作るとかと言う目標です。

ところが精神性を高めるなどと言うゴールの見えない上を目指してしまうと

いつまでもゴールが見えないばかりか途中で迷子になってしまいます。

そうしていろんな人のアドバイスを求めたり、修行したり、レッスンを受けたり

と多難な苦労を重ねることになります。

そして、いつまでもそれが続くのです。

それは自分の中でこれがゴールだと思って一時的に満足しても人の精神性などと

いうのは蜃気楼のようなものですぐに自分に満足できなくなってしまいます。

そして、また当てもなき放浪の旅が始まるのです。

ブッタやイエス・キリストのようになりたいと思ったとしてもあれは偶像です。

作られた神話でしかないのです。

後世の人が偶像化し神話化し物語で作られたものでしかないのでゴールには

なりません。

それを追い求めること自体が間違いなのです。

でも、多くの人はそこに偶像化したものを求めますので旅が終わらないのです。

それより、自分の一日を楽しむことの方が有益なものをもたらします。

それは自分自身の中に芽生える満足感です。

アシュタールが語っているように暖かい太陽の日差しを浴びながら心行くまで

その陽光を楽しむことができれば心からの満足感が得られるのです。

それだけで幸せだと感じることも出来るのです。

だから、普段の自分の日常生活を大事にすることです。

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