破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:これが宇宙のエクスタシー」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:これが宇宙のエクスタシー」

今日の破・常識!

自分がここに存在することに感謝し、大切に思います。


これが宇宙のエクスタシーです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「これが宇宙のエクスタシー」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


毎日つまらないですか?


つまらないと感じているならば、それはルーティーンを


こなすだけになってしまっているからです。


同じことの繰り返し・・・


それが日常だと思ってしまっているから


つまらないと思ってしまうのです。


同じ日など、同じ瞬間などないのです。


同じ日が続くなどは幻想です。


毎日、毎瞬が新しいのです。

そのくらいアシュタールに言われなくてもわかっていますよ


でも、やっぱり結局は同じことの繰り返しじゃないですか・・


というエネルギーが感じられますが


それは考え方ひとつで違ってきます。


同じ道を歩いていても、何も考えず


(頭の中は過去や未来の事で一杯)ただ歩いているのと


周りを感じながら歩いているのとでは大きく違うのです。


昨日はつぼみだった花がきれいに咲いていると気が付くだけで


同じ道が違う道になります。


それはあなたが新しい日々を感じるスパイスになります。


そんな余裕はありません・・


それは余裕を持とうとしていないからです。


花を感じることなど何秒もかかりませんね。


歩きながらでも感じることは出来ます。


余裕はあなたの中にあるのです。


余裕をもっていろんなことを感じてみようと思うか


そんなものはいらないと思うかだけの話です。

よくアシュタールは毎日(私には時間という概念はありませんが)


楽しいですか?とご質問をいただきますが


とても楽しいですとお答えしたいと思います。


すべての瞬間が歓喜なのです。


すべての瞬間がエクスタシーなのです。


何が成し遂げられたとかそのような事はまるで関係ありません。


存在している事が歓喜、エクスタシーなのです。


すべての存在に対して感謝を感じます。


あなた達が言っている、何かをしてくれたからの


感謝ではありません。


ただ存在している事に関しての感謝です。


それは私自身に対しても同じです。


自分がここに存在することに感謝し、大切に思います。


これが宇宙のエクスタシーです。


宇宙には日常、非日常という概念はありません。


いつも非日常なのです。


いつも新鮮で、いつも素晴らしいのです。


あなた達も同じ感覚を持っているのですが、忘れているのです。


忘れるようにされていると言った方がいいですね。


毎日、毎日、忙しく余裕のない生活をさせることで


その感覚を忘れるようにされているのです。


なぜならば、その感覚を思い出してしまうと


支配が出来なくなってしまうからです。


生きている事だけで歓喜、エクスタシーを感じ


自分以外の人の存在にも感謝し、尊敬、尊重の気持ちを


持たれてしまうと波動が軽くなってしまい


支配の檻にとどめておくことが出来ないからです。


忙しくさせること、生きる(生存するだけ)で


いっぱいいっぱいにさせておけば余裕がなくなります。


そして、ちょっとだけ息抜きにイベントなどを行うのです。


息抜きのイベントだけを楽しみに生きるようになってしまうのです。


生きる事自体が素晴らしいイベントなのです。


毎瞬新しい自分がいるのです。


それが分かれば作られたイベントではなく、ハートのそこから


湧いてくる歓喜とエクスタシーを思い出すことが出来ます。


それには余裕をもつと意図してください。


最初は意図していかなければすぐに頭の中は過去出来事と


未来の心配事で一杯になって、道に咲く花には


関心がなくなってしまいます。


意図しておけば余裕がなくなってもすぐに気が付き


思い出し余裕を持つことが出来ます。


余裕を持たなければいけないと思う事自体がもうおかしいですが


最初は刷り込まれた思考を手放すには仕方がないのです。


余裕を持つ・・それは感覚で生きるという事です。


感覚で生きる事が出来れば”いま”を生きる事が出来ます。


”いま”を生きる事が出来れば毎瞬が新鮮なものとなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

毎日をどう感じて生きるかですね。

朝起きて窓を開けて下を見下ろすと臨家の庭に咲いている花の周りを蝶々が2匹

ふわふわと飛んでいるのを見てどう思うかです。

そこに自然の息吹と美しさを感じ取り幸せ感を感じ取るか、あるいはただ飛んで

いるという見方をするかです。

後者の場合は何を見ても感動しないでしょう。

感動と言うエクスタシーを忘れてしまっているからです。

なぜでしょうか?

そういうものはつまらないものだと教育されているからです。

感動するものは新しいテクノロジーとか建築とか造形物に焦点が当てられて

いるのが現代の姿です。

あるいはスポーツなので白熱した戦いが繰り広げられるのを見て感動する。

自分のひいきのチームや国が勝利したときに感動する。
 
そのような動的なものでないと感動しないように慣らされているからです。

ただそこにいるというだけで幸せを感じ取れる思いというのはふとした

瞬間にやってきます。

今をどう感じ取るかです。

それが幸せであることの考え方の差を生みます。

アシュタールの語る高次元のエクスタシーと言うのは私たちが普段考えて

いるようなものとはかけ離れているので、おそらくつまらないと思う人も

多いだろうと思いますが、そうではないのです。

ただそこにいるだけで幸せを感じられるならばすべてが幸せの対象に

なるということです。

それに一番近いのは自然を感じ取ることです。

自然との一体感を感じられるならば大きな幸福感を感じられます。

私たちはあまりにも忙しくそうした感覚を忘れてしまっているのです。

時間があれば近くの山や野原を歩いてみることをお勧めします。

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