世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:アトランティスを彷彿とさせます」
ミナミAアシュタールRadio262
「感覚があなたを新しい世界に導いてくれる」
vol.545 「私こんなこと出来ます!」
vol.546 「感覚があなたを新しい世界に導いてくれる」
ここまで大胆だと逆に笑ってしまいます
これ、すごいね・・・あからさま?
でも、同じような目のオブジェって至る所に
あるよね・・なんかイヤな感じ^^;
オブジェだけじゃなくて、企業のマークやお札にも
いろんな所で目にしますよね・・
大阪の万博のロゴもすごいね。
あそこまで気持ち悪いと反対に笑っちゃうけど^^;
では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
「アトランティスを彷彿とさせます」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
目はあなた達にとって怖いものなのです。
だから、目のオブジェが多いのです。
昔のアトランティスでは神の目を見てはいけないと
されていました。
昔のアトランティスではまだ宇宙人は人々の前に
身体を持って現れていました。
宇宙人は神として人々の前に出ていたのです。
もちろん素顔では出ていません。
身体も顔も被り物をして姿を隠していましたが、
目だけは隠す事ができなかったのです。
目はめがねのような物をかけていたとしても、
表情や感情などが出てしまいます。
思考、感情などのエネルギーは目で分かられてしまうのです。
目は心の窓という言葉もあると思います。
目を見ると相手の事が何となく分かるのです。
だから、目を見てはいけないとしたのです。
神の目だけではなく、人間の支配者の目を見る事も
禁止されていました。
目はその当時の人たちにとっては恐怖だったのです。
その当時もあちこちに目のオブジェを置いていました。
目のオブジェは監視の意味があったのです。
いつも監視しているぞという脅しに使われていました。
目のオブジェを神の目と同じだとされていたのです。
だから、目のオブジェがあると人々は怯えるのです。
常に目を伏せ、神の目を見ないように歩いていました。
常に目を伏せ、うつむいて歩いていると思考、感情も
重くなってしまいます。
エネルギーが内向きになっていって楽しくなくなります。
そういう意味でも目をあちこちにおいていたのです。
だから、今でも目は神、支配者の象徴になっているのです。
人々の中に目を見てはいけない、目は恐ろしいもの
だという意識が植え付けられているのです。
ずっと長い時間がたっても無意識に刷り込まれた怖れが
まだ残っているのです。
だから、まだ目を使うのです。
目のオブジェを見ると監視されているという感覚が
蘇ります。
緊張するのです。
そして、何の表情も無い目は怖いのです。
恐怖を感じるのです。
それも一つの目は二つある目よりも気持ちが悪く
感じます。
一つ目のオブジェを見る事で、人々の気持ちは重くなり
波動も重くなってしまいます。
それも狙いなのです。
楽しい気分でいても、一つ目のオブジェを見るとスッと
気持ちが落ちてしまいます。
一つ目のオブジェを見て、すごく気持ちが晴れ晴れすると
思う人はほとんどいないと思います。
不気味に感じる人の方が多いと思います。
至る所に気持ちが悪いと思う目のオブジェを置き
常に目に入るようにしておくと、知らず知らずのうちに
人々の気持ちは重くなるのです。
大きな目のオブジェの前を多くの人が無表情に歩いている
光景はアトランティスを彷彿とさせます。
目のオブジェを怖がらないでください。
不気味なのはわかります。
でも、目のオブジェの前で目を伏せないでください。
目を伏せるとエネルギーも内回りになり重くなります。
目のオブジェを見たら見返してください。
対立ではなく、ただ素直に見返してください。
目を合わせてください。
そうすれば、無意識に目を怖がることが無くなります。
目に監視されているような感覚もなくなります。
目のオブジェばかりあるのはこういう理由からなのです。
目のオブジェを見たら、この話を思い出してください。
何故、ここにわざわざ目のオブジェを作るのか、
そこを考える事ができれば、その人たちの立場、目的、
意図が分かるようになります。
いま目のオブジェが増えているという事は、
監視のエネルギーが強くなっているという事も
合わせてご理解ください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
「目は口程に物を言う」という言葉もそうですが、目を見ると相手の思いが伝わって
くるのがわかるはずです。
でも、世界中にある目のオブジェにそのような意味があるとは・・・。
まあ、私はこうしたオブジェを見ても特に不安や恐怖を感じませんが、なぜ目なの
だろうかと考えたことがありました。
やはり、それは一つ目です。
一つ目は映画のキャラクターや五輪のキャラクターにも使われていることは多くの
人がご存じのことと思います。
ゲゲゲの鬼太郎の一つ目おやじもありますが、あれは特にこれを意識したものでは
ないだろうと思います。
第三の目とも言われることがありますが、松果体とつながる超能力を表すものと
しても表現されるようです。
でも、いたずれに恐れる必要はなく、アシュタールの語るように毅然と見返して
平然としているのがいちばんと思います。
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