破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:努力も苦労も必要ない」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:努力も苦労も必要ない」

今日の破・常識!

現実から目を背けているのではなく


違う角度からお話をしているのです。


本人は夢中で遊んでいるだけなのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「努力も苦労も必要ない」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


行動をどういう角度で見るかという事ですね。


一生懸命やっている姿を努力しているとみるか


楽しんで夢中になっているとみるかだと思います。


何をして成功者と言うかという問題にもなりますが、


上手くいっている、思ったような結果が出ることを


成功と呼ぶのであれば、それはその人の基準ですので


他の人から見て成功だと思っても本人は成功だと思っていない


かもしれませんし、他の人から見て成功には程遠いと思っていても


本人にしたら成功したと思うかもしれないのです。


成功、結果を出すという言葉もとても曖昧なものなのです。


ですから、一概に成功者と言ってもいろいろ基準がありますので


何とも申し上げられないことをご理解いただければ嬉しいです。

そして、努力という言葉ですが、先ほどもお話ししましたように


何を努力と言うかという事ですね。


朝から晩まで(寝ている時まで)そのことだけをしている


考えている)のが努力なのでしょうか?


汗と涙にまみれながら歯を食いしばって行うのが努力なのでしょうか?


もし、それが努力の定義なのであれば成功(本人が思ったような結果)


は出来ません。


そうですね。

そこには苦しい、ツラいのエネルギーが乗ってしまいますので


楽しい結果は出ないのです。

苦労という言葉も同じです。


苦労すれば結果は出るのでしょうか?


苦労の割合に合わせて結果も上がっていくのでしょうか?


そのような事はありませんね。


苦労しても、苦労しても結果が出ないという事もあります。


それは先ほどの努力と同じことです。


そこには苦しい、ツラいというエネルギーが乗りますので


人が魅力を感じないのです。


努力して、苦労して創ったものは、そこにツラい、苦しいという


エネルギーが乗りますので魅力を感じないのです。


他人にもです。


いかにも汗と涙を流しながら苦労し、努力していますという


エネルギーを放出する人には魅力は感じないのです、


反対に何だかこの人といるとしんどいと思ってしまうのです。

例えば誰かに料理を作ってもらったとします。


その人が、あなたのためにものすごく努力して、苦労して


こんなにしんどい思いをして作りましたと深刻な顔をして


出されたらどうでしょうか?


何だかしんどくなりませんか?


美味しそうには感じませんね、作ってもらったことに


何だか悪いなという気持ちにさえなってしまいます。


楽しく食べることが出来ないので、またその人に頼みたいとは


思いませんね。


でも、作る人が自分の好きなものを楽しんで作ってくれた料理は


どうでしょうか?


美味しくするにはどうしたらいいかな、美味しく食べてもらえるには


どうしようかといろいろ工夫し、楽しみながら作った料理を


笑顔で出されたらどうですか?


あなたも楽しくなりますね。

努力、苦労は深刻になります。


深刻な顔して、苦しそうにされると周りの人もしんどくなります。


そして、努力、苦労が大切なのだと信じている人は


他の人にもそれを求めるのです。


求められた人は離れたいと思うようになります。


そうなると一緒にやってくれる人が周りにいなくなり


情報も入らなくなり(情報は人がもたらしてくれるのです)


おのずと結果は出なくなります。


好きなことを夢中でしている姿は努力しているようにも見えます。


でも本人は楽しんでいるのです。


だから、とても軽いのです。


軽いから人も魅力的に感じ、一緒にやりたいと思います。


だから、周りに人が集まってきていろいろ提供してくれる


ようになるのです。


もし誰も手伝ってくれなくても、その人は大丈夫なのです。


楽しい事をしている人は結果よりも楽しさなのです。


楽しいからする・・これが結果よりも優先されるのです。


だから、自分一人でも大丈夫と思える(自立している)


でも、そこに手伝ってくれる人がいたらラッキーという感じです。


分かりますか?

砂場で山を作ってそれにトンネルを掘ろうとしている子どもと


同じようなものです。


ひとりで楽しんで夢中で山を作っていたら、それを見た他の


子どもが一緒にやってもいい?と寄ってきます。


いいよって答えて、じゃあ、二人であっちとこっちから掘って


トンネルをつくろうと話しあい、二人で夢中で遊んでいたら


立派なトンネルが出来た。


それを見て大人はすごいね、よくやったねって言います。


本人たちは大人から見て立派なトンネルを作ろうとか


ほめてもらおうとか、頑張ったねなんて言ってもらおうなんて


思いません。


頑張ったなんて思ってもいないのです。


ただ楽しかった、それだけで結果が出ただけの事です。


努力も苦労も必要ないというのはこういう事です。


現実から目を背けているのではなく


違う角度からお話をしているのです。


本人は夢中で遊んでいるだけなのです。


遊ぶというとふわふわしているというイメージがあるのかも


しれませんが、いろいろな壁が出てきてもそれを乗り越える


工夫をするのも遊びなのです。


ゲームと同じです。


宝さがしゲームのようなものです。


ゲームの中に出て来る壁(障害)を工夫して乗り越えて


宝を探すゲームです。


ゲームの中で宝さがしを楽しんでいる人に、努力していますね


とは言いませんね。


ゲームを楽しんでいますねと言うと思います。


深刻にゲームをする人もいませんね。


楽しいからしているだけですと言います。


すごくそのゲームに長けている人はそのゲームが楽しくて


夢中で遊んでいるうちに上手になったのです。


自分で思ったように結果が出ている人は何か特別な事を


したのではなく、好きなことを夢中で楽しんでいただけです。


そのゲームが好きでもない人が、その人と同じように努力すれば


その人と同じような結果が出ると思ってムリに努力、苦労で


何とかしようと思っても好きじゃないから夢中にはなれないので


思ったような結果は出ません。


そして、あの人は特別だからとか、努力が足りなかったとか


努力しなくても出来るって言ったじゃないですかと


文句をいうのです。


自分の思ったような結果を出したければ、好きなことをして


夢中で遊んでください。


自分のやり方で遊んでください。

 >成功者は努力も苦労もしてるけど、
本人はそう感じていないだけだと思います。


そうですね、本人は夢中で遊んでいるだけなのです。


 >苦労も努力も実際は必要な場合の方が
圧倒的多数ではないでしょうか。


それは好きな事ではないからです。


好きでもないことをムリにやらなければいけない


と思う場合は努力、苦労と感じます。


そして、努力、苦労のわりに結果が出ないと嘆くことになるのです。


過程を楽しむのではなく結果ばかりを追い求めてしまうからです。


ご理解いただけましたでしょうか?


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

 

ありがとう、アシュタール! 

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