破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:それが明日か10年後か?」
今日の破・常識!
死ぬときは死ぬんです。
そして、必ず死ぬのです。
それが明日か10年後かもっと先かわかりません。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「それが明日か10年後か?」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
もっとシンプルに考えてください。
死ぬときは死にます。
そうですね。
死ぬときは死ぬんです。
そして、必ず死ぬのです。
それが明日か10年後かもっと先かわかりません。
でも死ぬときは死にます。
アシュタールは本当にイヤなことを言いますね。
でも本当の事です。
それはあなたもわかっていますね。
死ぬことを怖れないでください。
そして死ぬことから目を背けないでください。
死ぬことを怖がるのは、死から目をそらしているからです。
死にたくない、死にたくないと思っていると
死から目をそらしてしまいます。
事実を受け入れることが出来なくなります。
事実・・それはあなたが生きているという事です。
死ぬことを怖がって生きていると
生きる事もできなくなってしまうのです。
分かりますか?
死ぬのです、だから死ぬまで生きるのです。
死ぬまで生きるという事は
死なないために生きるのではないのです。
積極的に生きるという事です。
死ぬのならば死ぬまではしっかりと生きよう
と思うという事です。
死ぬのがイヤだ、怖いと思って目をそむけてしまうと
死なないために生きるということになってしまいます。
死なないためには何でも我慢します・・
という生き方は、とてもナンセンスですね。
必ず死ぬのですから、死なないための我慢は
何のための我慢になるのでしょうか?・・という事です。
そして、死なないために我慢することは
エネルギーが内向きのなりますので
反対に心身ともに不健康になります。
死ぬのが怖いからといってずっと家の中に閉じこもり
ただ生きる(息をする)事ばかり考えていたら
何のために生きているのかわからなくなります。
生きるとは経験することです。
生きるとは変化することです。
物質世界であるテラで
自分がどのような刺激を得て(経験して)
どのように変化していくのかを楽しむために
あなたはテラに
生まれて来たのです。
それなのに、変化を怖がり
出来るだけ無難に生きようとすることは
あなたが本来望んでいる事ではないのです。
何もせず、ただ生き延びるためだけに生きていて
あなたは満足して身体を脱ぐことが
出来るでしょうか?
遊園地に遊びに来て何もせずに
(例えばお手洗いに閉じこもって)
遊園地のアトラクションどころか雰囲気さえも
楽しむことなく時間が来たからと思って帰るとして
あなたはどうでしょうか?
遊園地楽しかったぁ~と思えますか?
あのアトラクション乗りたかったな
これも食べてみたかったな
あそこにきれいに飾られた
花壇があったはずなのに見れなかったな、
などと思うのではないでしょうか?
それと同じことなのです。
テラは楽しい遊園地なのです。
あなたは遊園地に遊びに来ているのです。
そして、遊園地から帰っても
あなたは何もかわらないのです。
遊園地の外は危ないところではありません。
あなたは遊園地から自分の家に帰るだけなのです。
ならば、いま遊びに来ている遊園地を
思いっきり楽しんでください。
お手洗いに隠れていても何も経験出来ません。
何も楽しくないのです。
どんなにお手洗いに隠れていても
遊園地から帰る時間は来ます。
まだ何も乗っていません
まだ何も食べていません
まだ何も見ていませんと言っても
帰らなければいけないのです。
死ぬときはどんなことをしても死にます。
必ず死ぬのです。
だから、死ぬときは
あの乗り物怖かったけど面白かった、
あそこで食べたもの美味しかった
あの景色最高にきれいだった、
あ~、面白かったぁ~って思いながら
死んでいくほうがいいのではないでしょうか?
これもしたかった、あれもしたかった
と思いながら死ぬのも
それはそれでいいかもしれませんが
私はあまりおすすめしません。
だって楽しくありませんから・・・
気持ちよく死ねませんから・・・
死ぬまで積極的に生きてください。
そのためにあなたは生きているのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
死ぬときは誰でも死にます。
この世に死なない人は存在しないのです。
中には仙人と言われ数千年生きたという伝説のような人もいたようですが
そういう人でも最後は亡くなっています。
だから、この3次元世界では肉体の寿命の限界があり、その限界に達すれば
誰でも死を迎えます。
一方、予期しない死に見舞われた人もいるでしょう。
特にコロナワクチン接種を受けた人の超過死亡が極めて多いのが最近の
厚生労働省の統計から推察されています。
このような人は本人にとっては予期しない死であってもハートはそのことを
知っているはずですので予定され受け入れた市とも言えるかもしれません。
こうした死は例外でしょう。
人は自分の死が近づくと何となく自覚するようです。
後どのくらいだとか言い出す人もいて、大体当たるようです。
だからと言って死を恐れていては毎日の生活は面白くありません。
どうせいつかは死ぬのですから楽しく生きましょう。
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