「戦後統治」され続けている日本のこれまで

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戦後の内閣 政治・経済

「戦後統治」され続けている日本のこれまで

■戦後の宰相吉田茂(1946年5月~1954年12月)
「農地改革や日本国憲法公布など、マッカーサーを司令官とするGHQの指示のもと、さまざまな民主化政策を行った」のが麻生さんの祖父である吉田茂首相で日本国憲法公布、サンフランシスコ講和条約および日米安全保障条約への調印など、現在に至る日本の基礎を築いた人物とされます。
 
 
「吉田ドクトリン」
安全保障の確保を米国に依存することで軽武装を維持しながら、経済の復興・発展を最優先させることによって、国際的地位の回復を目指した戦後日本の外交の基本原則。 首相としてこの戦略を打ち出した吉田茂にちなむ呼称、とされます
 
第5次内閣まで続けて5回の総理大臣任命回数は、いまだ破られていないそうです。
 

「日米新安保条約締結」(日米の軍事同盟化)を強行した「ストロングマン」岸信介

安倍総理の祖父とGHQとの関係を知ることが、安倍晋三元首相の政治姿勢を知ることなのではないかと思いますが、「満州組」だった岸伸介がA級戦犯の一人として巣鴨拘置所に拘留されていたとき、参謀本部第2部(G2)とその人脈の人々が直接、岸信介が不起訴・無罪放免となるように動いたそうです。
 
岸信介は満州組の「弐キ参スケ」の5人(関東軍の参謀長東条英機、国務院総務長官の星野直樹、満州重工業株式会社社長の鮎川義介、総務庁次長の岸信介、満鉄総裁の松岡洋祐)の内の一人で、5人はいずれもA級戦犯として起訴されています。戦時中、岸信介は東条英機を見限って後半には反目してみせるなど変わり身が早く、GHQは戦後日本の「ストロングマン」として吉田、鳩山の次3番目に岸信介に白羽の矢を立てた。
 
岸信介に課せられた任務は米国との「相互防衛」のための「建設的勢力の結集」保守合同で、だから日本国内世論の猛反発の中強行姿勢で日米安保条約を改定した。このとき「そのための資金を、CIAから経済団体や企業を通じて岸に資金が流されていた」と証言されています。

 

この「日米安保条約の改定」によって、米軍の日本駐留が永続的なものとなってしまったわけです。

■CIAによる資金工作
CIAから自民党への秘密献金をスクープしたニューヨークタイムズのティム・ワイナー記者も、その著書『CIA秘録』などで以下の様に語っています。
 
「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」「釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである」「岸は、日本におけるアメリカの国益を実現するため、アメリカによって選ばれ、アメリカの資金でつくられた首相だったということだ。A級戦犯容疑者の身からわずか9年、公職追放解除からたった5年足らずで政界トップに上り詰めた秘密がここにある」
■「ストロングマン」2世安倍晋三
安倍元総理の原点は岸信介とGHQの「契約」があるわけで、「ジャパンハンドラー」でイエズス会前副総長であるアドルフォ・ニコラス神父(1936年~2020年5月に死去)が安倍二期目(2012年12月~2014年12月)、三期目(2014年12月~2020年9月)をつくったのもそれを遂行させるためだったようです。

岸信介のやり残した仕事、日米の相互防衛を可能にすることが目的であり、それには憲法9条改正などが必須なわけです。

ですがここで問題なのは、米国と日本とは利害が必ずしも一致しないにも関わらず(日本が米国のATM状態であるなど日本にとって決して対等な関係でもなく)「常に日本は米国の意に反したことをしない、「年次要望書」(事実上復活しているようです)に従い、米国DSに永遠に追従する」ということを受け入れている態度であり、独自の道を選択する余地もない「属国状態」に日本の政治家らが甘んじているということです。これまでDSネオコンによって行われた、湾岸戦争(注)やイラク空爆、リビア空爆その他多くの、大義なき国家破壊戦争の数々がありましたが・・

 ■円ドル相場
戦後の円ドルは固定相場が敷かれ、ほぼ1ドル=360円の時代が73年まで続けられました。スミソニアンレート(1ドル=308円)という時代を経て73年2月に変動相場に移行。

固定相場が続いた戦後の日本は1955年~73年まで、GDP成長率平均10%という高度成長期を経て、米国に迫る勢いで経済成長を遂げました。

当時の円ドル相場は1ドル=360円という固定相場制でした。

1973年からは変動相場制に変り、円に対する各国通貨の価値は、経済成長率やインフレ率などの経済情勢に応じて、そのつど変動するようになって1ドル=240円で推移。

1985年9月22日にNYのプラザホテルで開催されたG5の「プラザ合意」で「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国は外国為替市場で協調介入を行う」という合意がなされた。

円高が進み、1986年12月の円ドル相場は、1ドル=160円くらいとなった。(このくらいが適正相場とされています)

1987年2月22日パリのルーブル宮殿で開催されたG7の「ルーブル合意」では「プラザ合意で始まったドル安に歯止めをかける」という合意がなされたものの、各国の協調が十分ではなかったため、ドルの下落を止めることはできず、87年日本円はドルに対し1ドル=140円に到達。

■バブル経済期(1986年12月~1991年2月)→日本への警戒感を起こさせた象徴的な出来事

強い円を武器に、80年三菱地所がNYのロックフェラーセンターを、ハリウッドではソニーがコロンビアを、松下(パナソニック)がユニバーサルなどの米国を象徴するものを買収するなどまでしてみせ、これはむしろDSの「日本脅威論」と日本への米国国民の反感を助長させることになった。

バブル崩壊後にはこれらの三者ともそれぞれの買収は大きな赤字を出してしまい、三菱はロックフェラーセンターの16棟の内14棟を売却、松下はユニバーサルの8割の株式をカナダのシーグラムに売却するなど海外投資は失敗に終わっている。唯一ソニーだけは、巨額な赤字にも耐えて売却をせず、ソニーピクチャーズとしてハリウッドで成功している。

■プラザ合意後の日本社会

プラザ合意後、政府や日銀の想定をはるかに超えるスピードで円高が進行し、日本は円高不況に直面。このため、日銀は徹底した低金利政策をとり、その結果、空前の「カネ余り」が起きた。

余った資金が株式市場になだれ込み、資産価格の上昇がはじまり、日経平均株価は1989年12月29日に38,915円の史上最高値をつけた。

これは『バブル景気』と呼ばれバブル景気を引き起こすこととなったのは低金利と資金の過剰流動性だった。1990年に入ってからは株価が下落し、地価も下がり始めバブルの崩壊へと向かう。

■「失われた30年」(1991年~ )
「超円高」のため価格競争力を失った日本企業は海外に工場を移転させ、源泉技術を中国に明け渡し、日本にとってかわるように中國が成長していくのと逆に、バブル崩壊(1990年)後の1991年からはGDPの成長率が実質0%の「失われた20年」「失われた30年」という状態に陥ってしまった。

■消費税

1989年4月1日に初めて日本で消費税(3%)が導入され、その後97年4月に5%に引き上げられ、2014年4月に8%に、2019年4月に10%にまで増税されています。8%と10%に引き上げたのは第二次安倍内閣と、第三次安倍内閣のときです。

■高度経済成長期に社会学者が著書の「Japan as NO.1」で分析してみせた日本の弱体化のポイント

「Japan as NO.1」が分析してみせた日本の強さを削ぐことが対日工作となったようです。

米国の社会学者エズラ・ヴォーゲルが1979年に「Japan as NO.1」という著書の中で「日本の優れた教育制度」と「優秀な通商産業省や大蔵省主導の経済への強烈な関与が日本の競争力を高めている」と分析してみせています。


バブル崩壊後の2002年から「ゆとり教育」が開始され、2001年には巨大な組織だった大蔵省は財務省と金融庁に分割され、通産省は経産相となり、これらの巨大組織が管理していた規制権限は縮小傾向となった(規制緩和)。これは日本の強さを削ぎ、日本社会を弱体化させるのが狙いだったわけです。

「ゆとり教育」で教育格差が拡がり、二極化したことで上位層の競争はむしろ激化。受験産業の飛躍が物語っています。総中流社会だった日本の教育水準の高い中間層こそが強みだったのですが。

「規制緩和」によって非正規雇用などが容認されて日本社会は母子家庭などの一人親世帯の貧困化、子供の貧困化が起こりました。

これらの「改革」はいずれも小泉内閣の時に行われています。「小泉改革」とは「自民党をぶっ壊す」ものなのではなく、日本社会のもつ独特の強さを失わせ、結果的に日本社会そのものをぶっ壊すものだったようです。

DSは小泉内閣時代から日本に「規制緩和」のキーパーソンである竹中平蔵を送り込み、日本企業と日本社会を弱体化させていくことに成功したといえます。
 

日本弱体化を巧妙に行い、その一方で不覚にもあるいは意図して、中国共産党(CCP)という制御不能なモンスターを育てたのはDSです。

■CCPを見誤ったDS

CCPは強欲資本主義ならぬ、強欲共産主義のモンスターで、日本列島そのものをサイレントインベージョン中ですが、米国に対しても同じようなサイレントインベージョン(ステルス戦争とも)をしかけていました。

米国の対中貿易赤字は拡大し、WTOに加盟した中国に対して米国は人民元の切り上げを要求し続けるも、CCPは為替介入を続けて、対米貿易黒字を拡大させて各地で膨張政策(侵略)を行う。これを「一帯一路」などと呼んでいます。

CCPは、知的所有権に対して対価を払うなど当たり前のルールを守らず、異民族が支配する地域を占領してはジェノサイドを行って資源などを奪い、民主主義国家として成長することもなく、「中華思想」によって、覇権主義国家として膨張を続け、西側の欧米諸国に対し、「超限戦」という名のハニトラ、スパイ工作、ハッキング、なりすまし、etcの「ステルス戦争」=「サイレントインベージョン」を欧米諸国や日本に対し行ってきたのです。

これにようやく危機感を感じたDSはトランプ政権の「米国ファースト」と思惑が一致し、掌返しで明確にCCPに対して厳しい経済制裁を開始。

中国の6%の9千万人超のエリート集団、所謂「富裕層」と呼ばれる中国共産党の党員は2021年の10月から米国への入国や米国への移民申請は米入国管理局によって許可されなくなりました。

在米70超の人権団体と500人以上の活動家の声などがCCPを「国際犯罪組織(TICOT)」と認定するよう働きかけ、これに賛同している3人の米国共和党下院議員らが、CCPの米国に対する知的財産権の侵害や、スパイ活動、フェンタニル(麻薬性鎮痛剤) の密輸等々で米国の国家利益に甚大な脅威を与えたとして議案提出。

CCPの行動は、米国においてはTICOTリストへの掲載が義務付けられているそうです。(DSが一度「敵」認定した相手に対しての徹底ぶりたるや日本とは次元が違います!)

https://hongkongfreedombeacon.com/wp-content/uploads/2021/02/20210219_V5_HKFreedomBeacon__revised_format.pdf

■日本の戦後は今も続いています
日本に対しては戦後一貫して首都東京の横田基地をはじめ多くの米軍基地に軍隊を駐留させ続け、特に、皇居や国会議事堂、官邸のある首都東京の制空権を握られています。米国大統領が来日する際には羽田ではなく、横田基地、岩国基地その他の日本国内の米軍基地を自国専用玄関口として大統領専用機で属国日本に上陸するわけです。

首都東京にある米軍施設:

1.横田基地 Yokota Air Base 施設番号:FAC3013 

2.赤坂プレスセンター Akasaka Press Center 施設番号:FAC3004

3.大和田通信所 Owada Communication Site 施設番号:FAC3056

4.ニューサンノー米軍センター New Sanno U.S.Forces Center 施設番号:FAC3185 

5.多摩サービス補助施設 Tama Service annex 施設番号:FAC3019 

6.羽田郵便管理事務所 Haneda Air Mail Control Activity Office 

7.硫黄島通信所 Iwo Jima Communication Site 施設番号:FAC3181 

 

■年次要望書

自民党小泉内閣の2001年から始まったものと解説されていますが、正確には1993年の宮沢内閣からだったようです。

「軍事・外交だけでなく、経済においても米国の世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、従属の強い鎖がかけられていることの象徴」(正式名称・日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書)だった。(体裁上双方向性の形式をとってはいた)2009年鳩山由紀夫内閣の時に「日米規制改革委員会」が廃止され「年次改革要望書」の交換も事実上停止。

しかし、その後も米国は、駐日アメリカ合衆国大使館サイトにおいて、「日米経済調和対話」と題し産業のいくつかの分野について「米国政府は、実行可能な範囲において、両国のシステム、規制アプローチ、その他の措置や政策の調和に向け、この共通の目標を推進する形で日本と緊密に協働することを期待する」とする文章を掲載し、実質的には「年次要望書」が復活しているとみられています。

因みに2011(平成23年)3月に日本側で外務省サイトにおいて、貿易の円滑化、ビジネス環境や個別案件、共通の関心を有する地域の課題等について、日本と米国の両国が協力し取り組むための、「日米経済調和対話」事務レベル会合の開催を発表などとあります。

2001年10月14日「規制改革要望書」

https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2017/04/wwwfec0003.pdf

2008年(英語原文)

https://ustr.gov/sites/default/files/2008-2009-Regulatory-Reform-Recommendations.pdf

高価な戦闘機、大型輸送機、防衛ミサイルなど大量の武器を買わせ、今後は憲法9条を改正させ、日本を「戦争の出来る国」に戻し、台湾有事・尖閣有事の際には日本を前面に出して人民解放軍と戦わせようという思惑をもっていると思います。しかし、現実はどうなのでしょうか。何故このような状況に陥っているのでしょうか。

因みに日清、日露戦争で過去に日本はDS資金によって中露と戦わされ、大国相手に勝利しています。しかし当時と今とでは戦略兵器が異なります。日本は核保有国ではない。だから中国と戦っても勝利することは出来ない、と日本政府は考えているようです。

ですが、最も問題なのは今の日本政府そのものが売国的で、むしろ侵略者相手に阿っているような姿勢であることなのではないでしょうか。日本政府の中に、恰も今度は中国の属国になろうとしているかのような態度の人々がいることが問題です。

■訪日の際の王毅外相の「尖閣は中國領土」発言に対し、何の反論もせず「謝謝」と卑屈に宣った茂木外相

日本を訪問していた中国の王毅(おうき)外相が、2020年11月24日、茂木敏充外相と会談した。会談後の共同記者会見において、茂木外相は尖閣問題について「尖閣周辺海域に関する日本の立場を説明し、中国側の前向きな行動を強く求めた」と語った。

それに対して王外相は「一部の真相が分かっていない日本の漁船が絶えなく釣魚島(尖閣諸島魚釣島)の周辺水域に入っている事態が発生している。中国側としてはやむを得ず非常的な反応をしなければならない。われわれの立場は明確で、引き続き自国の主権を守っていく。敏感な水域における事態を複雑化させる行動を(日本側は)避けるべきだ」と語り、尖閣諸島の領有権は中国にあることを主張した。

どちらにせよ、日本は9条を変えて自国を自国で守れる国に戻らなければなりませんが、それは戦争をするためでは勿論なく、誇りある独立国家にもどるためです。

同時に売国工作員らを処罰するための「スパイ防止法」も必須で、それをきちんと立法化できなければ、反日親中工作員を逮捕できません。

日本が本当に誇りある独立国となるためには、最低限度自国は自国で守るという姿勢と備えは必要で、尖閣有事などには特に必ず備えるべきようです。右も左もいい加減、戦後の平和呆けから目を覚ませってところなのです。

中国は日本が韓国から竹島を奪われたときの経緯を研究し尽くしているそうです。当時の日本は戦後の武装解除で領海や領土を守る術が何もなかったのです。では果たして現在はどうなのでしょうか。

海外では「中国の台湾侵攻には尖閣が使われる、尖閣が危ない」と報道されているそうです。中国海警局の船が尖閣の接続水域に今年に入ってから7月2日現在78日連続して侵入しているそうです。尖閣諸島の領有権を主張するのみなならず、日本の接続水域にいる日本の漁船を追いかけまわし逆に「出て行け」とやっているそうです。まさに、竹島が奪われた時の状況に似ています。

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