世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:家族だからこそ良く話し合ってください」
ミナミさん:これは本当に大変な問題だと思います
「家族だからこそ良く話し合ってください」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
家族だからこそしっかりと話をしてください。
表面的な平和を望まないでください。
表面的な平和を望み、その場をうやむやにしてしまうと
ずっとそれが続きます。
そして、表面的な平和はコントロールとなってしまいます。
自分の意見が通ると思ってしまわれると、次にもまた
ちょっと強くいえば引いてくれる、言う事を聞いてくれると
思われてしまうのです。
コントロールする側とコントロールされる側が
できてしまいます。
これが昔からある家族間の問題なのです。
家族だからこそ、大切な人たちだからこそ、この関係は
築きたくないのです。
その関係ができてしまうとお互い楽しくなくなります。
お互い尊重することができなくなってしまいます。
これは家族だけのことではなく、人間関係すべてにおいて
同じです。
大切にしたいと思うならば、表面的な平和を望むのではなく
しっかりとお互いの意見、思いを話し合ってください。
そして、どうしても意見が合わない所は離れてください。
すべてが一致することはありません。
すべてが違うこともないのです。
すべてが違うならば尚更一緒に居ずに離れてください。
例えば、買い物に行くのに、Mをしなければいけないと
思っている人と、したくないと思っている人ならば
一緒に買い物に行かなければいいのです。
家の中で仲良くしていればいいのです。
一緒に楽しい事をしていてください。
何もかも一緒にしようと思うとお互い疲れてしまいます。
疲れてしまうから、エネルギー不足になってコントロール
したくなるのです。
ここは感性も意見も似ていますね、ここは違うようですね・・
と冷静に考えられればコントロールし合わなくてもすみます。
楽しくいることができるのです。
家族と言っても他人です。
違う人なのです。
そこを忘れないでください。
冷静に素直に話し合ってください。
それがお互いを尊重することです。
大切にすることなのです。
誰かのためにあなたは我慢してくださいというのは
大切に思われていないのです。
また、誰かのために我慢しようと思うのは、自分を大切に
していないのです。
自分(誰か)のために我慢してくださいと言われるならば
考えてください。
”私”はどうしたいのか・・と!
我慢してもいいと思えるならばそのままの関係でも
いいと思います。
でも、一度引くとずっと引かなければいけなくなります。
もっと我慢を強いられるようになります。
その時にあなたはどのように感じるか・・ちょっとイメージ
してみてください。
それがイメージできれば、いまどうしたらいいかもわかります。
意見を伝えるならば、突き抜けてください。
はっきりと”私”はこうします・・と伝えてください。
こうしたい・・ではなく、こうします・・と言いきってください。
あなたがブレなければ、コントロールされることもありません。
あなた自身を大切に出来れば、あなたも大切な人を
コントロールしようと思いません。
しっかりと冷静にお互い自分の素直な意見、感情を話し合う
ことができるのです。
お互いを尊重することができるのです。
表面的平和は平和ではありません。
何も解決できません。
問題を引き延ばすだけです。
いま、目をつぶらないください。
いま目をつぶり、何もなかったことにしてしまうと
後々になって大きくなって戻ってきます。
その時の方が大変になります。
ですから、いま、しっかりと向き合ってください。
小さなうちに解決することをお勧めします。
大切だからこそ話し合ってください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
これはなかなか難しい問題ですね。
幸い私の家族では意見が一致してますのでこうした問題は起きていません。
だから、切羽詰まった状況にないので的確なアドバイスは難しいですね。
これはアシュタールの語るように話し合うしか手がないと思います。
でも、えてして日本人はこうした話し合いが苦手でついつい感情的になって
しまいがちです。
だから、なかなか話し合っても着地点を見つけられないことが多いのでは
ないでしょうか?
これこれの理由でこうだからと説明しても感情的になると全く受け付けず
膠着状態になります。
話し合いを持った時には妥協しないことです。
それは自分はMちゃんしない派だけど家族はMちゃんする派だったりした
場合、お互い納得できれば自分の考えを聞いてくれて家族全員がMちゃん
しない派になり円満解決ですが、意見が分かれたときにはそれぞれで自分の
立場を守るということが最善策になります。
つまり、家族はマスクをしていても自分はどんな理由があってもしないという
立場を尊重してもらうということです。
しかし、それでも100%は難しいと思います。
例えば家族が病院へ行く必要性があって自分も同伴しないといけない場合
病院では必ずマスクを要求され、しないと立ち入り拒否に遭います。
こうした場合は自分自身で納得してマスクをする選択をしないといけないでしょう。
この場合は積極的な我慢になりますので、許されると思います。
こうした事例を除けば自分はマスクをしないという立場を貫くしかないです。
もし、それが不可能ならば居住場所を変える(家屋内で)しかないです。
それでもだめなら別居でしょうね。
嫌な言い方になりますが、最終決断はそこになります。
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