破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ご機嫌な未来と言う概念の違い」
今日の破・常識!
何をご機嫌な未来というかということです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「ご機嫌な未来と言う概念の違い」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
ご機嫌な未来という概念の違いですね。
何をご機嫌な未来というかということです。
無邪気に信じている人がご機嫌かどうかはわかりません。
ご機嫌という概念もないのかもしれません。
知らないという事で楽は出来ますが
自分で何も決めることは出来ません。
自分で決めることがめんどくさいとか
どうしたらいいか分からないから
誰かに決めてほしいと思っている人は
決めてもらえることがご機嫌な事だと
思うかもしれませんね。
みんなと同じがご機嫌な事だと思う方も
いらっしゃるかもしれません。
思考が先、現実はあと・・それは真実です。
ですから、自分では何も決めず、誰かに決めてもらって
それに従うことが楽で楽しいと思う人は
そのような現実を創造するということになります。
自分で考えて自分で決める自由を求める人にとっては
それはものすごくつらい世の中に感じるかもしれませんが
反対に自分で決める自由など欲しくない
と思っている人にとっては
それはとても楽でご機嫌な世界だと
感じるということになります。
ご機嫌な未来になるわけです。
>疑うことなく三角の中でご機嫌でいられたら、
ご機嫌の未来を作ることになるのでしょうか?
そうですね、三角の世界の考え方がご機嫌だと思う人は
三角の中でのご機嫌な未来を創ることになります。
弱肉強食、超管理社会をご機嫌だと思う人もいるのです。
その世界があなたにとってご機嫌ではない
ということだけです。分かりますか?
人によってご機嫌な世界は違ってくるということです。
私はあなた達が三角ではなく自由で豊かな
搾取されない世界を創造するためには
どう考えればいいですか?と問われているので
こう考えてはいかがですか・・とお答えしているのです。
三角の世界でのご機嫌さんになる方法を
お伝えしているのではありません。
三角から離れて丸い社会を創造したいという
方向に行くための情報をお伝えしているのです。
ですから、これもまた冷たいと思われる
言い方になりますが、超管理社会の方が楽でいいと思う
すべて言われたように従順に従う方が安心する
と思う人はそちらの世界の方がご機嫌になれますので
そちらに行かれた方がいいと思います。
すべての人が丸い社会にいかねばならない・・
などと言うことはお伝えしてません。
行きたい方向へ行かれることがご機嫌になる方法です。
だから、二極化に分かれるとお伝えしているのです。
どちらが良い、どちらが悪い・・ではないのです。
どのような経験をしたいかというだけです。
経験したい世界の方がご機嫌になれます。
だから、丸い社会を望む人が超管理社会を望む人に
そちらはご機嫌な社会ではありませんよ
こちらにいらっしゃいという必要はないのです。
何度も言いますが、すべての人が丸い社会に
行かなければならないということはないのです。
丸い社会が良いと思う人だけが
そちらの方向に向かえばいいのです。
違う人たちはその人たちがご機嫌になる方向へ行きます。
だからそちらに向かう人たちに危機感を感じて
あなたが不機嫌になる必要はないのです。
ご機嫌さんという言葉にもいろいろあります。
いろんなニュアンスがあります。
ここが言葉の壁ですね。
エネルギーで取っていただければ
お分かりいただけると思いますが
私がいつもお伝えしているご機嫌さんは
あなたが軽くなる方向のご機嫌さんです。
重い方向へ行くご機嫌さんもあるのです。
それは私がお伝えしているご機嫌さんではなく
それは享楽的なご機嫌さんか
エネルギーバンパイアのご機嫌さんか
とてもマゾ的なご機嫌さんということもあるのです。
難しいですか?
言葉だけで取らないでくださいね。
人を傷つけることでご機嫌さんになる人もいます。
それはエネルギーバンパイアであって
自分の中から生まれてくる
ご機嫌さんではないことはわかりますね。
その時は一時的にご機嫌な気持ちに
なるかもしれませんが、それは長くは続きません。
また枯渇しますのでまたエネルギーを
バンパイアしようとします。
それは高次元の軽い波動領域のご機嫌さんではない
ことはご理解いただけると思います。
ご機嫌という言葉で混乱してしまったのかもしれません。
軽い波動領域に共振するご機嫌と
重い方向へ共振するご機嫌があるのです。
私がお伝えしているのは軽い波動領域と共振する方法です。
軽い波動領域と共振するご機嫌なのです。
考えることをやめて従うことでご機嫌さんになるのか
自分で好きなことを自由に決めることが
ご機嫌だと思うかそれの違いです。
なかなかご説明するのは難しいのですが
感覚で受け取って受け取っていただければとうれしいです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
極言すれば、すべてがその人が決めることであり、誰かが決定づけるものではないと
いうことです。
そして、それは尊重しなければならないということでもあるのです。
私は右へ行きたいと望むならそうさせればいいし、自分が左だと思っていても誰も
それを非難したり強引に変えることはできないということです。
ここのところ分離の様相がはっきりしてきました。
その典型的な例がマスクです。
マスクをしない人は日本ではもうかなり限られた人でしょう。
そして、もう一つはワクチンです。
ワクチン接種を一度もしたことがない人もごく少数です。
どちらも少数派は全体の1割未満かもしれません。
でも、それはそれで仕方がないことだと最近は考えています。
どれだけ警鐘を鳴らそうともマスクをすることやワクチン接種を選択する人は
必ず存在します。
でも、それでもいいのでしょう。
それはその人の選択自由を行使しているのであり、それを非難しても始まりません。
どのような結果が待ち受けているかはわかりませんが、そういう選択をしたのだと
割り切って考えるしかありません。
だから、自分はどうするのかです。
それだけです。
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