破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ここに大きなヒントがあります」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:ここに大きなヒントがあります」

今日の破・常識!

子どもはとても個性的です。

大人のような常識、倫理観、道徳観は

持っていないのです。

だから、子どもの問いに

一緒に考えてみてください。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「ここに大きなヒントがあります」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

あなた達の中には、怒られないように

何か言われないように、そして、褒められたい

という気持ちが基本的にあります。

それは教育で刷り込まれてしまったものです。

何度もお伝えしていますが

あなた達の社会の教育は支配者に従順に従う

没個性の人間を育てることが目的なのです。

ですから、先生、親、周りの大人に怒られないように

叱られないようにという気持ちが大きくなっていくのです。

大人が作った枠にはまらない子どもたちは

とてもツラい思いをします。

どうしてこれをしてはいけないのでしょうか?

と聞いても誰も納得できる答えを教えてくれないからです。

子どもたちはみんな個性的なのです。

だから、自分の好きな表現をしようと思います。

そこには悪気はないのです。

そして素直にしたいと思ってしたことがいけない事

悪い事とされてしまうととても戸惑います。

そして、どうしてしてはいけないのか悩みます。

どうしていけないのかと聞くと

それにしっかりと答えられない

大人は自分で考えなさい

胸に手を当てて反省しなさい、

とにかくダメなものはダメです

とまた訳の分からない叱られ方をするので

本当にどうしていいか分からなくなるのです。

それが繰り返されると

考えることを止めてしまいます。

とにかく大人の言うことさえ聞いてさえおけば

怒られないで済むという結論に至ってしまうのです。

言われたことさえ聞いて従順に従っておけば

大人は笑いかけてくれると思い

笑ってもらえるように行動する事だけ

考えるようになります。

従順に従っておけば褒めてももらえる

ということを学習します。

それでもまだ納得できない事には

従えないと主張する子どもは

最近では病名をつけられてしまいます。

病名をつけられる子は大人から排除されます。

大人があの子は病気だからとか

言うことを聞かない悪い子

だからという言葉を出せば

子どもたちからも排除される(仲間外れになる)

ということになるので、ますます子どもは

怒られないようにすることに

一生懸命になってしまいます。

どうして?に答えられる大人がいないのです。

そして、その問いに一緒に考えてくれる

大人もあまりいないのです。

だから、子どもはただただ迷い続けることになります。

そして、最後には考えることを止めてしまいます。

大人も同じように育てられてきたのです。

だから、そのやり方をまた踏襲してしまうのです。

答えを一緒に出そうと思うのではなく

とにかく言うことを聞きなさい

ということだけを言ってしまうのです。

ここに大きなヒントがあります。

子どもはとても個性的です。

大人のような常識、倫理観、道徳観は

持っていないのです。

だから、子どもの問いに一緒に考えてみてください。

子どもがどうして?と聞くことに

どうしても!と答えるのではなく

どうしてかな?と一緒に考えてみてください。

そうすれば、大人も思考が動きはじめます。

大人も自分の中の疑問を出しても良い

と思えるようになります。

社会に出た大人も、上から言われたことは

何も言わずただ従順に従っておいた方がいい

その方が怒られないし、イヤなことを言われないし

褒めてももらえると思っているので

何か疑問を感じても自分で

封印してしまおうとするのです。

疑問を感じて言葉にすれば社会から

排除されると思ってとても怖いのです。

怒られないように、何か言われないように

という思考を手放して下さい。

その思考をしている限り

あなたは自由になれないのです。

怒られないためにすることは

自分を自分で不自由にしているということです。

言うことを聞いておけば笑いかけてもらえる

楽しそうにしてくれる、優しくしてくれる

褒めてもらえるという事実はありますが

それはあなたが我慢してくれる

その人にとって都合がいい人だからです。

その人はあなたの事は考えていません。

だから、もしあなたがその人にイヤです

と言ったらその人は、笑いかけてはくれません。

そして、期待していたのに残念だね

という言葉を投げかけます。

気持ちのいい人間関係、お互いを尊重し合える関係だと

あなたが素直に表現しても

一方的に怒られるということはないのです。

何か意見が違ったとしても

お互いすり合わせるためにどうしたら良いかを

一緒に考えようとするのです。

そういう関係ができていれば

あなたはとても安心して自分を表現できます。

そこがあなたの居場所なのです。

常に人の顔色を見て、怒られないように

何か指摘されないように、

笑顔を見せてくれるようにと

ビクビクしながらいなければならない所は

あなたの居場所ではありません。

安心して自分を表現できるところに行ってください。

子どもが大人の思惑と違うことをしたら

一緒に考えてくださいね。

どうして?と聞かれたときに

どうしても!と答えず、一緒にどうしてなのかな?

と考える余裕をもってください。

そうすれば、大人も刷り込まれた常識や倫理観

道徳観、価値観などを手放すことができます。

そして、子どもたちにも考えるということを

教えてあげてください。

そして、子どもたちが

大人が理解できない行動をした時は

どうして?と聞いてくださいね。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

私たちは心の奥底に誰でも褒められたいという欲求があります。

その程度の差こそありさえしても誰もが持っています。

それがあるから誉められた時はうれしく、その意に添うように努力しようとします。

決して悪いことではありませんが使い方次第で自分の自由な心を制限してしまいます。

それは誰かに従う、あるいは誰かの後をついて歩けば安心だからという気持ちです。

そうなったときに自分の自由に考えることを放棄し、自分が自分でなくなります。

だから、褒められようとすることを求めないようにすべきでしょう。

でも、何か自分でここまでやれたと思うことがあったりすると、それを誰かほかの人に

認めてもらいたいという気持ちがあるでしょう。

問題はそれが誰かの欲求に沿うためにしたことなのか、あるいは自分の好きなことを

した結果としてなのかです。

前者であれば他人の意に酔うことを意味し、後者であれば自分の自由を行使したことに

なると思います。

だから、自分の自由な発想で自分の好きなことをやることが一番なのです。

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