世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:誰のために我慢しているのでしょうか?」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:誰のために我慢しているのでしょうか?」

ミナミAアシュタールRadio341

「庶民の力はすごい!」

vol.703 「庶民の力はすごい!」
vol.704 「あなた達は反対の思考をすることが多いのです」

「誰のために我慢しているのでしょうか?」

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
あなた達は我慢する訓練ばかりさせられて
 
いるのです。
 
小さな頃から、我慢する訓練を繰り返し、繰り返し
 
させられているのです。
 
それはちょっと考えてみればお分かりになると
 
思います。
 
学校教育を考えればお分かりいただけると思います。
 
学校教育は知識を教えるよりも我慢を教えることが
 
目的なのです。
 
一斉に同じことをさせ、出来ない子はダメな子だと
 
される。
 
一斉にみんなで同じことをするためには、みんな我慢
 
しなければいけないのです。
 
 
我慢を我慢と感じる程度はその子の個性によって
 
違いますが、我慢しないでいい子は誰もいないのです。
 
みんな程度の差はあれ我慢しなければいけないのです。
 
じっと座って先生の話を聞く・・・これは我慢以外の
 
何ものでもないのです。
 
お手洗いにさえ自由にいけず、授業が終わるまで
 
我慢しなければいけないというのはナンセンス以外
 
なにものでもありません。
 
それも我慢の訓練なのです。
 
 
好きな授業はいいかもしれませんが興味のない事を
 
ずっと聞かされるのは我慢なのです。
 
自分の頭が悪いから授業が理解できないのではなく、
 
興味がないから理解できないのです。
 
聞く気がないだけなのです。
 
それなのに興味がない事をずっと聞かされ、
 
覚えさせられ、テストされ、大人の期待する点数を
 
取れないと叱られ、追試という罰を受ける。
 
それをずっと小さな頃からやらされているのです。
 
上手に我慢することができるようになることが
 
大人になる事だと教えられていくのです。
 
 
そういうことを繰り返し、繰り返し訓練されて
 
いるので自分が我慢している事さえ
 
分からなくなってしまっているのです。
 
 
そして、我慢すればするほどもっと我慢しなければ
 
いけなくなるというシンプルなことさえ理解出来なく
 
なっているのです。
 
 
我慢すればするほど、もっと我慢を強いられるように
 
なるということさえ分からなくなってしまうのです。
 
 
我慢とは一体何なのでしょうか?
 
何故我慢しなければいけないのでしょうか?
 
・・と考えたことはありますか?
 
誰のために我慢しているのでしょうか?
 
・・と考えたことがありますか?
 
 
我慢するのが当たり前だと思い込んでしまうと
 
そういう事さえ考えることも出来なくなってしまいます。
 
それがいまの社会なのです。
 
 
そして、我慢していると他の人が我慢しないことに
 
とても腹が立ちます。
 
我慢するのが当たり前でしょう・・と我慢しない人に
 
言いたくなるのです。
 
我慢するのが当たり前ですと本気で思っていますので、
 
高圧的に他の人に言えるのです。
 
本気で高圧的な態度で言われてしまうので、
 
言われた人は怖くなってやっぱり我慢しなければ
 
いけないと思って我慢する方を選択するのです。
 
 
それがいまのあなた達の社会なのです。
 
その我慢がいまのあなた達の社会を成り立たせて
 
いるのです。
 
 
誰のために?
 
そうです、あなた達を支配・コントロールしている
 
人のためにです。
 
 
大切な人のために我慢していると思わされているよう
 
ですが、大切な人のためではなく支配者のために、
 
支配者の都合のいい社会にするために
 
我慢させられているのです。
 
 
我慢の訓練ばかりさせられ、我慢が美徳だと思わされ
 
自分の人生を我慢だけで終わらせてしまうのです。
 
自分が本当に欲しているものは何かさえ分からず、
 
この状況をどう我慢していこうかばかりを考えて
 
生きる人生を送ってしまうのです。
 
 
思い出してください。
 
あなたは支配者のために我慢するためにテラに
 
生まれて来たのではありません。
 
あなたはあなたの好きなことを楽しんで
 
自由にあなたの表現をするために生まれて来たのです。
 
 
何度も言いますが・・みんなが好きに自由に生きてたら
 
社会は無茶苦茶な無法地帯のようになってしまいます・・
 
という思考も支配者たちが都合よくでっち上げた思考です。
 
自分たち支配者のために我慢させる方便なのです。
 
 
本当にみんなが好きなことを好きなだけやっていたら
 
みんなご機嫌さんになります。
 
ご機嫌な人は愛に満ちているのです。
 
愛とは・・相手に対する尊敬と感謝の気持ちです。
 
尊敬と感謝の気持ちを持っている相手に何かイヤなこと
 
しようと考えますか?
 
大好きでとても大切な人の物を獲ったり、
 
意地悪をしようと思いますか?
 
そんな事は考えませんね。
 
自分の中が満たされている人はすべての存在に愛を
 
持てるのです。
 
もちろん自分自身を愛しているから出来るのです。
 
 
みんながそのように愛に満ちていたらどうでしょう?
 
あなた達が思っているような無茶苦茶な無法地帯の
 
ような社会になるでしょうか?
 
 
すべて反対を教えられているのです。
 
我慢するから気持ちの良い社会にならないのです。
 
我慢するからエネルギーバンパイアになってしまい
 
人のことに干渉し、人をコントロールしようとして
 
カリカリした、トゲトゲしたお互いを刺しあうような
 
社会になってしまうのです。
 
 
丸く循環する社会を望むのであれば、
 
まず我慢を止めてください。
 
小さな我慢からやめる勇気をもってください。
 
小さな我慢ならばそんなに勇気はいらないと思います。
 
 
そのためには、何かを選択する時、行動する時に
 
自分自身に、我慢してませんか?と聞いてください。
 
ちょっと聞くだけでも大きく違うのです。
 
無意識の我慢が意識に上がってくるのです。
 
自分が我慢していることに気がつけるようになります。
 
 
自分が我慢していることに気がつかなければ
 
我慢をやめることができません。
 
何をどう我慢しているのか?・・無意識から意識に
 
あげてくださいね。
 
 
我慢をすると我慢の回路が開く・・ということを
 
忘れないでください。
 
あなたが我慢することで我慢の連鎖が出来ていく
 
という事も理解してくださいね。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

私も子供のころから我慢することを強いられ、我慢を美徳と教えられてきました。

とにかく我慢です。

兄弟でも一番上であれば我慢しなさいと言われることしばしばです。

何のために?という疑問を持つことすら許されません。

「そんなのあたりまえでしょう」の一言でお終いです。

まあ、考えてみれば世の中すべからく我慢で成り立っています。

そう!我慢は美徳なのです。

しかし、今は以前より我慢することが減っているのでいいのですが、それでも

100%我慢無しと言うことはありません。

もっとも程度問題なので、自分自身で納得している我慢ならまだいいだろうと思います。

私たちは我慢させられているということにもっと気付かないといけませんね。

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