破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:胸の奥から湧き出てくる感覚」
今日の破・常識!
頭で、私のために生きていると思うのと
胸の中(奥の方から)私のために生きていると
湧き出て来るのとでは違うのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「胸の奥から湧き出てくる感覚」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
もう一度、あなた自身に問うてみてください。
私は誰のために生きているのでしょうか?
そして、あなたの胸の中から(頭ではありません)
答えが来るのを待ってください。
頭で考えると胸の中から湧き出て来る感覚が
分からなくなります。
頭でもきっと、それは私のために決まってるしょ
・・と考えると思います。
でもそれではあなたは動けないのです。
アシュタールは何を言いたいのでしょうか?
これはとても感覚的な事になりますが、
頭で、私のために生きていると思うのと
胸の中(奥の方から)私のために生きていると
湧き出て来るのとでは違うのです。
頭で私のために生きていると考えても
”でも”が後から出てきます。
そんなことを言っても自分ひとりで
生きているわけじゃないんだから
自分だけのためには生きていけないよね・・
などという言葉が出てきます。
そうではないのです。説明が難しいですね。
胸の奥から湧き出て来る感覚は
頭の言葉とは違うのです。
胸の奥から湧き出る感覚が
あなたにとって真実なのです。
何かに迷う時は、ごちゃごちゃと考える前に
私は誰のために生きている?と
あなた自身に問いかけてみてください。
これは我を通してください
と言っているのではないことはご理解くださいね。
何が何でも”私””私”と主張してくださいと
言っているのではありません。
私のために生きていると
胸の奥から感じることが出来れば
我を張るなんて事をしなくても
自分を大切にすることが出来ます。
自分を大切にすることが出来れば
他の人もそう思うという事が分かります。
自分を大切に出来る人同士はどうすれば
お互い気持ちよく過ごす事が出来るかと
話し合う事も出来ますし、もし合わないと思えば
お互いそっと離れるという選択も
罪悪感や敵対的エネルギーなどもなく
気持ちよく離れることも出来るのです。
頭で自分のために生きていると考えるのとは
ちょっと感覚的に違ってくるのです。
この感覚を感じていただけますでしょうか?
頭で考えてしまうと頑なになりがちです。
そうなると、私のために生きるという意味が
変わって来てしまいます。
その頑なさが大きくなると
他の人に自分のために我慢してください
という気持ちになってしまいます。
お伝えしたいことは
私が一番・・ではないのです。
私を主にして考えてくださいという事です。
私は誰のために生きているのでしょうか?
と胸の奥で感じることが出来れば
我慢はしなくなります。
我慢は出来なくなります。
そして、離れることが出来ます。
私のためになどと人に
我慢を強いる事もしなくなります。
この話は感覚的に感じてください。
胸の奥から湧き上がる感覚は現実を創造するのに
とても大切になります。
そしてとてもシンプルです。
でもとても小さな感覚です。
その感覚を受け取るには頭を止めてください。
胸の奥から湧き出て来る感覚を
受け取る事が出来るようになれば
あなたの現実はあなたの好きに
創造することが出来ます。
頭で考える表面的な”好き”世間で言われる
”幸せ”などとは違う
あなたが本当に望む”好き””幸せ”な状態を
創造することが出来るのです。
あなたは誰のために生きているのでしょうか?
頭を止めて、胸の奥から湧き出て来る感覚を
静かに待ってください。
その感覚を忘れないように生きてくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
今の私は自分の思うままに生きているので、とりたてて「私は何のために生きているの
でしょうか?」という問いをすることも忘れてしまっていますが、ある意味、それは
湧き出てくる感情にまかせて生きていると言っていいのかもしれません。
感覚と言うのはとても大切なものです。
それは好きなように生きているとわかります。
ただし、好きと言っても何から何までそうだというわけではありません。
やはり、互いの自由があるのでそれは尊重します。
そして、それは言葉では出てきません。
何となくというイメージに近いものです。
それには自分の心に素直になることです。
そして、素直に受け止めることです。
あまり大きな疑問を持って否定せず、したい、あるいはしなければならないと
思うならそれに沿って行動すればいいだけです。
それは行動して見なければわかりません。
行動して初めて、そのイメージの意味するところがわかります。
何のために生きるのかと問われるならば、自分の自由意思を行使するために
生きているというのが一番近いだろうと思います。
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