高知県民は静岡県民の2倍入院している…「医師を続ける気をなくす」ほど無駄な医療が行われている理由
病床が空くのを喜ばない病院。ほんとうは病床が空くのを喜ぶべきだが
※本稿は、森田洋之『日本の医療の不都合な真実』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
沖縄の胃ろう件数は全国平均の約2倍
図表1は、人口あたりの胃ろう造設術(胃ろうを造る手術)の件数を、都道府県別に「見える化」したものです。
全国平均を100とすると、沖縄県が185で日本一です。
沖縄では全国平均の2倍近くも胃ろうが普及していることになります。
2位が鳥取県で174。3位は大分県で166。お隣の熊本県は85ですから、大分県とは約2倍の差があります。
それにしても、1年間に全国で胃ろう造設術が5万9000件もおこなわれているとはデータを見て驚きました。
都道府県によって医療に大きな差
都道府県別の、MRI撮影件数についてのデータもあります(図表2)。
北海道が135で1位です。最も少ない岩手県は49で、北海道とは約2.8倍もの開きがあります。
これらのデータを見てわかるのは、日本は都道府県によって受ける医療にこれだけの違いがある、ということです。
同じ日本の中で、同じ医療システムの中でもこれだけ医療の需要量・供給量に差があるというのはどういうことなのでしょうか。
地域や都道府県によって2倍も3倍も病気や障害になりやすいなんていうことはありません。
なお、このデータは年齢構成を調整済みですので、高齢者の多さ・高齢化率の差も関係ありません。
これは、図表3でさらに顕著に、そして露骨に表現されています。
高知県民は静岡県民の2倍入院している
図表3をご覧ください。横軸が人口10万人あたりの病床数、縦軸が1人あたりの入院医療費です。
入院医療費とは、入院した人に対して発生した医療費のことです。
それを、入院している人もしていない人も含め、その都道府県の全人口で割った額が「1人あたりの入院医療費」です。
こちらも高齢化率等を調整した後の数字になっています(高齢者が多い地方のほうが都市部より医療費が高くなるのは仕方がありませんが、そういう影響を調整した後の数字だということです)。
平均寿命全国トップクラスの長野県は病床が少ない
私はこのデータを見たとき、愕然としました。医師を続ける気が失せるほどの衝撃を受けたのです。
高知県民は1年間に34万円を使っているのに対して、最も低い静岡県は19万円しか使っていません。
医療費が2倍近いということは、つまり高知県民は静岡県民より2倍近く入院しているということです。
入院回数が2倍なのか、入院日数が2倍なのかはわかりませんが、現実として高知県民は入院費に静岡県民の2倍のお金を使っているのです。
さらに、高知県は人口10万人あたり2522の病床を持っているのに対して、神奈川県は810床。つまり高知県は神奈川県の3倍、病床を持っています。
まず、それ自体がそもそもおかしなことです。高知県民が神奈川県民の3倍多く病気になっている、あるいは病気になりやすいわけではないからです。
事実、平均寿命が全国トップクラスの長野県は、病床はむしろ少ないほうです。
病床数が多いほど一人あたり医療費も高い
なぜ、同じ医療保険・医療システムなのに、都道府県によって1人あたりの医療費がこれほど違うのでしょうか。
どの都道府県民も病気になる割合に大きな違いはないはずです。
同じ日本人なら、がんになる確率も、心疾患になる確率も大差ないでしょう。
ですから、このグラフは本来ならほぼ横一直線になっていないとおかしいわけです。
また、そもそも都道府県により病床の多い、少ないがあるのもおかしな話ですので、そう考えれば横一直線ではなく、各点が真ん中一点に集約されているべきです。
このグラフから見えてくるのは、病床数が多い都道府県ほど一人あたりの医療費もかかっている、という事実です。
病床を埋めるために病人が作られている
病床が増えれば増えるだけ入院患者が生まれてしまうわけです。
本来なら病気になる確率に地域差はないと考えられますから、言い方は悪いかもしれませんが、「病床を埋めるために病人が作られている」と受け取ることもできます。
入院する・しない、の判断にはグレーゾーンが非常に多く存在します。
風邪から軽い肺炎になりかけの患者さんなら、毎日通院して点滴治療をしてもいいし、念のため入院してもいいでしょう。その判断は医師のさじ加減でもあります。
空きベッドを埋めなくては経営が維持できないという経済的事情があれば、さじ加減は自然に「入院」の方向へ偏っていくでしょう。
極端なことを言えば、医師は自分の病院傘下の高齢者施設の入所者を3カ月おきに検査入院させることだってできます。
施設で発熱した高齢者に「肺炎」という病名をつけて全例入院させることだってできてしまうのです。
「不必要な医療が多数存在する」から医療費が高くなる
病床が多い県ほど1人あたりの入院医療費が高い、という事実は、医療側の都合が色濃く反映されていると言っていいでしょう。
世界一の病床を持ち、さらに地域によっても病床数に2倍も3倍も差がある日本において、これは大きな問題です。
病床が多い県でおこなわれている入院医療がすべて命に関わる必須な医療、と考えるならば、病床が少ない県では必要な医療がまったく足りていないことになってしまいます。
この日本のシステムの裏には、「不必要な医療が多数存在する」と考えるほうが自然でしょう。
超高齢社会で医療費が高騰するのは仕方ない、と思う方が多いかもしれませんが、その裏にはこのような実態があるのです。
病床が空くのを喜べないという「医療の根本的な問題」
いずれにしても、限りある貴重な医療資源が、各都道府県でまちまちに、しかもかなりの格差をもって提供されている、という状況が、前述の「病床数」や「MRI」「胃ろう」などの現状からはっきりとわかります。
この現実は、医療費という問題もそうですが、国民が受ける「医療の公平性」という意味でも大きな問題があります。
この事実を知ったとき、私は「このような制度の下で医療をおこなっていても、徒労感しか生まれない」、そんな思いに囚われました。
もちろん現場の医師のほとんどは真面目にこつこつ、必死に目の前の患者さんを治療しています。
ところが医療制度を俯瞰すると、データが示すような事実があるわけです。真面目な医師も知らず知らずのうちにこのシステムに巻き込まれているのです。
本来病床が空いていることは、健康な人が多い証拠でもありますから、喜ぶべきことです。
しかし、病院はどうしても、患者を入院させる方向に進んでしまう。「病床が空いているのは罪だ」といった発想さえ生まれてしまいます。
そこには、医療にとってもっと本質的な問題も隠れています。
病床が多すぎるという問題は、たんに医療費の高騰を招くだけではないのです。
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