世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:絶対無限の存在に戻ったら安心?」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:絶対無限の存在に戻ったら安心?」

絶対無限の存在は愛と憎しみが入り混じっている世界と思うと不安!

絶対無限の存在は愛そのものだって話を
 
アシュタールが言っていたと思います。
 
でも、絶対無限の存在は絶対無限の存在から分かれた
 
私たちの体験の記憶もあるって言う話も聞きました。
 
私たちの体験の記憶もあるとしたら、そこは愛そのもの
 
ではなく、憎しみや悲しみなどもあるということ
 
ですよね?
 
愛そのものだから絶対無限の存在に戻ったら安心
 
出来ると思っていたのに、戻っても憎しみや悲しみ
 
悔しさなどの感情もまた再体験するかもしれない
 
って思うと、何だか戻るのも怖くなって来ました。
 
これはどう考えればいいのでしょうか?
 
 
・・というご質問をいただきましたぁ~^0^
 
 
では、アシュタール、よろしくお願いしま~す^^

「絶対無限の存在に戻ったら安心?」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
ご心配はいりません。
 
絶対無限の存在に戻ると価値観が変わります。
 
いまあなたが経験している事への価値観が変わるのです。
 
 
いまあなたが悲しい、苦しい、などと思う感情とは違う
 
ものとなります。
 
身体を脱げば価値観が変わるとお話したことがあると
 
思います。
 
いま、あなたは身体を持ってテラの物質世界を体験
 
しています。
 
その体験をしたくて、あなたは自分で望んで物質世界の
 
テラに生まれたのです。
 
 
生まれる前はそのことを知っています。
 
それを知っていると新鮮な気持ちで体験できないと
 
思ったのですべてを忘れることにしたのです。
 
最初からゲームのことをすべて知り尽くしていたら
 
面白くないですね・・と思ったのです。
 
試行錯誤しながらの方がゲームは楽しめると思ったのです。
 
物質世界ではどのような体験ができるのかとワクワク
 
しながら生まれて来たのです。
 
 
身体を持つ、それぞれの個性が身体という物質で分離
 
している状態で愛するとはどういう事なのか、反対に
 
分離しているからこそ感じる憎しみや悲しみ、嫉妬、
 
などの気持ちはどういうものなのかを知りたいと思ったのです。
 
いまのテラでは特に支配する、支配される、
 
誰かにコントロールされるなどはどのような気持ちになるのか、
 
どういう体験なのか、知りたいと思ったのです。
 
 
あなたは身体そのものではありません。
 
身体があなたなのではありません。
 
あなたは物質世界を体験するために身体を持っているのです。
 
海に潜るために装備を見につけますね。
 
それと同じだと思ってください。
 
 
物質世界の体験をするためにあなたは物質の身体を
 
持っているのです。
 
だから、その身体を脱いでもあなたは何も変わらないのです。
 
あなたの意識は変わらないのです。
 
でも、環境によって思考は変わります。
 
分かりますか?
 
 
身体を持っている時と、身体を脱いだ時とでは思考は変わります。
 
私がいる・・という意識は変わりませんが、環境によって
 
思考(常識、価値観、宗教観、倫理観など)は変わるのです。
 
身体を脱げば、それは大きく変わります。
 
身体を持っている時とは感情の受け取り方も変わるのです。
 
 
俯瞰の感覚になります。
 
もちろん、それを身体を持っていた時と同じくらいに
 
リアルに感じたいと思うならばそれも自由自在にできます。
 
でも、本当にリアルに感じたいと思わなければ俯瞰の感覚
 
で受け取ることができるのです。
 
 
映画を観ているのと同じだと思ってください。
 
痛そうな場面を見ても、わ~痛そうって思うだけで
 
思いっきり痛い訳ではないですね。
 
悔しい、悲しい場面を見ても、その感情は共有できますが
 
そんなにリアルではありませんね。
 
そのような感じです。
 
そして、気に入らない映画は見なくてもいいのです。
 
 
こういう説明の仕方をしてしまうと、何だか絶対無限の存在の
 
中にたくさんの個性がいるように思われるかもしれませんが、
 
そうではありません。
 
いまあなたが考えているような別々の個性はありません。
 
すべてはあなたなのです。
 
絶対無限の存在はあなたなのです。
 
別の個性でそこで何を見るかを選択している訳ではなく、
 
絶対無限の存在であるあなたがどこにフォーカスするかと
 
いう事なのです。
 
 
目の前にあるたくさんの画面の中からどれを見たいかを
 
選ぶだけなのです。
 
 
これ以上は言葉でご説明するのはムリですね。
 
もっと迷子になってしまいそうですので、、
 
 
絶対無限の存在は愛そのものです。
 
でも、その愛はあなたが思っている愛とは違います。
 
あなたがいま思っていらっしゃる愛とは平和や穏やかさ
 
だと思います。
 
そうではなく、絶対無限の存在の愛は尊重と感謝です。
 
悲しみ、苦しみ、嫉妬、悔しさも尊重される感情なのです。
 
それも愛なのです。
 
すべてがOK。それが愛なのです。
 
 
重い感情と軽い感情と区別はありません。
 
そして、判断もありません。
 
すべては素晴らしい感情であり、体験なのです。
 
それを受け入れることが愛なのです。
 
 
ですから、絶対無限の存在の中にはたくさんの経験、
 
感情、思いがあります。
 
それが愛そのものなのです。
 
 
ご理解いただけましたでしょうか?
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

私たちの持つ価値観と言うのは善が正しく、悪はダメというものです。

この世界はすべてがそのような感覚と感情で二分されています。

愛と憎しみは相反するもので互いに受け入れることのないものとして受け止めています。

だから愛は尊くて憎しみは忌み嫌うべきものと言う考えになっています。

アシュタールの語る絶対無限の存在に戻ったときにはこの愛と憎しみが等価になる

ことを意味してます。

愛も憎しみも同じものとして尊重され、貴重な体験として共有されるということです。

もし、この3次元世界での考えをそのまま絶対無限の世界に持ち込んでしまうと今の

私たちの世界と変わらなくなります。

そうではなく、すべてが愛おしいものとしてとらえられるということです。

多くの意識が持ち帰った3次元やそれ以上の多次元世界での体験がすべて貴重な体験と

して尊重され、そこには悪や憎しみが悪いという二元的な考えは存在しないということです。

まあ、戻ってみればわかることかもしれませんが・・・。

そういう観点から見るとレプティリアンのような体験も貴重なものだと言うことになります。

なかなか受け入れがたい考え方かもしれませんね。

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