破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:0か100ではなく柔軟に考えて」
今日の破・常識!
0か100ではなく柔軟に考えてください。
必ずお互いが満足できる方法が見つかります。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「0か100ではなく柔軟に考えて」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
シンプルに考えてください。
AさんとBさんが観たい作品が違うならば
お互い観たいと思う映画を観ればいいのではないでしょうか?
必ず同じ映画を一緒に観なければいけない
という事はないのです。
無理にどちらかひとつを選ぶ必要はないのです。
もし、同じ映画を共有したい、感想を話し合いたい
と思うならば、どちらの映画も
観ればいいのではないでしょうか?
0か100ではありません。
もっと柔軟に考えてみてください。
尊重する事はその人に合わせることではありません。
お互いが満足できるように考えることです。
どうすればお互いが気持ちよく
納得できるようになるか・・を考えることなのです。
お互いの意見が違うならば、そこは違う事を認識し合って
そっと離れておくという事も出来ます。
同じ意見の時はそのまま居ればいいのです。
何から何まで一緒でなければいけないわけではないのです。
何から何まで一緒の人はいません。
それぞれ違うのです。
違う事を認識し合う事が尊重する事なのです。
分かりますね。
その時、その時で考えればいいのです。
尊重するために我慢するという事はあり得ないのです。
もし、相手を尊重するために自分が我慢する
という事になれば、自分を尊重していない事になります。
自分を尊重出来なければ相手を尊重する事もできません。
自分を尊重するために相手を我慢させることは
自分の意見の押し付けにしかすぎません。
どちらも満足できるように考えることが尊重なのです。
どうすればお互いが満足できますか・・
という視点で考えるようにしてください。
0か100ではなく、柔軟に考えてください。
必ずお互いが満足できる方法が見つかります。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
私たちはいつも究極の選択と言ってAかBかの二者択一的な考え方をします。
そしてお互いに意見が合わなければ仲たがいをすることさえあります。
結局はどちらかが正しくてどちらかが間違いだという決着をつけたい思いがあるからです。
でも、世の中の様相は多様多彩でどれかひとつという気桁が出来ないくらいあります。
どうして、こういう思考になるのでしょうか?
それは教育制度における〇✕方式にその原因があるからです。
どちらかが正しいか選びなさいという問題が毎日出されます。
そして〇✕に限らず五者択一的な問題がありますが、これも例外なく5つの回答が
提示され、そこから選ぶのですが、必ず5つです。
10個とか6個とかいう回答はありません。
なぜ5個と決められているのかわかりませんが、そうと決まっているみたいです。
だから必ずどれかを選ばないといけないように訓練されていると言うことです。
それが0か100という思考方法に結び付いているのです。
これに気付かない限りいつまでたっても0か100を追い求めることになるでしょう。
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