破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:一番怖くて、響く言葉なのです」
今日の破・常識!
人ために、人に迷惑をかけないように
と言われて育ってきたあなた達にとって
一番怖くて、響く言葉なのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「一番怖くて、響く言葉なのです」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
人ために、人に迷惑をかけないように
と言われて育ってきたあなた達にとって
一番怖くて、響く言葉なのです。
人を不快にさせてしまっては申し訳ない
自分が我慢すればいいことなのだから・・
と考えてしまいます。
そして、人を不快にさせる
行為をしている人を見ると無性に腹が立つのです。
しっかりとルールを守っている人は
ルールを守らない人は許せないと思うのです。
何のためのルールか
誰が作ったルールかは問題ではなく
守ることが大切な事だと思っていると
ルールを守らない人は許せないと思うのです。
そして、お互いを見張り合うように
なってしまうのです。
これは、そうなるように計算されているのです。
本来の目的、原因を見るのではなく
表面だけで考えるように
されてしまっているのです。
近視眼的な見方しか出来ないように
教育されているのです。
人に迷惑をかけないように
生きることはできません。
人はそれぞれの考え方があります。
同じ行為をしても、ある人は迷惑だと思い
違う人は別に迷惑ではないと思うのです。
人によって違うのです。
みんなに迷惑をかけないようにと考えてしまうと
動くことが怖くなります。
ジッとしていなければいけなくなってしまいます。
動くこともしゃべることもできず
ただ立ち尽くすだけになってしまいます。
人に迷惑をかけないように生きることは
絶対に出来ません。
そして、迷惑をかけられることもないのです。
迷惑をかけられたと思っているのは
あなたの思考が迷惑だと思っているからです。
あなたが気にいらない行為を
しているだけなのです。
他の人には迷惑ではないのです。
どういうことかというと、あなたの中に
それはしてはいけない事だという
認識があるだけなのです。
机の上はきれいにしておかなければいけない
と思っている人は、隣の机に座っている人が
きれいにしていないと思うと
なんて迷惑な、非常識な人でしょうと
腹立たしく思います。
でも、隣の人にとっては、それが快適なのです。
あなたには迷惑をかけているなどとは
思ってません。
この例でも分かると思いますが、隣の人の机は
隣の人の机であって、あなたには関係ないのです。
もし、あなたの机の上に
その人の物が溢れてきたら
それはやめてくださいと言えばいいのです。
あなたの机に関係してこないのに
文句を言う筋合いではないのです。
そうですね。
きれいにしておかなければいけないという
あなたの気持ちがイライラさせているのです。
そして、きれいという基準も
人によって違うのです。
だから、自分と同じ基準できれいにしなさい・・
と言うのは自由への介入であり
コントロールしようとしているという事です。
あなたの机の上はあなたの机の上で
隣の人の机の上は隣の人の机の上なのです。
あなたの現実はあなたの現実で、隣の人の現実は
あなたには関係ないのです。
隣の人もあなたの現実には関係ないのです。
そして、あなたも隣の人の現実には
責任を取れません。
隣の人もあなたの現実には
責任は取れないのです。
もし、コントロールされても
それはあなたがコントロールを
受け入れたからです。
あなたがイヤですという態度を
しっかりと取ることができれば
誰もあなたをコントロールすることが
できないのです。
人に迷惑をかけないように生きなさいと言うのは
支配者が都合よくコントロールするために
つくった言葉です。
その言葉を怖がる必要はありません。
人に迷惑をかけずに生きる事など
できないのです。
迷惑という概念そのものがあやふやで
不確かなものなのですから。
そして、誰かに迷惑をかけられたと思う時は
自分の中にそれが迷惑だと思っている
種があると思ってください。
その種を取ることができれば
あなたはもっと自由に考えることが
できるようになります。
もっと自由に生きることができます。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
確かにその通りですね。
迷惑をかけないようにと教育されて育ってきた私たちは、結構人に迷惑をかけて
いるのです。
ある意味ではお互い様ということになりますが、そう思えない人にとってはとても
癪に障ることであり許せないことなのです。
だから、自分は何を基準に物事を判断しているのかと言うことを冷静に考えて
みないといけないことなのです。
人の行為に腹が立ち、苛立ちまみれになる自分がなぜそう思うのか?ということです。
それが例えば、新幹線の車内で入り口から次の入り口に声を上げて走り回る子供がいて
親が注意しないという状況ならばそれは明らかな迷惑行為ですが、子どもがむずがって
声を出してしまうと言うことなら許せないことでもないはずです。
その判断基準をどこに置くかと言うことです。
多くの人の迷惑になる行為なのか、ちょっとした迷惑行為なのかです。
人に迷惑をかけずに生きることなんかできません。
というアシュタールの言葉は至極当然であり、多くの人がそれを反対にとらえてしまって
いるからですね。
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