世にも奇妙なフツーの話「もっと具体的に教えてください・・・」
もっと具体的に教えてください
もっと具体的に教えてください・・
というコメントをよくいただきます。
この件に関してアシュタールからメッセージが
来ましたのでお伝えしますね^^
「お気持ちはわかりますが自由への干渉になるので・・・」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
具体的に聞きたいという気持ちはよくわかります。
でも、人それぞれ生活が違うのです。
そうですね。
だから、人それぞれに具体的にお伝えすることは
出来ません。
分かりますね?
もっと具体的に聞きたいという言葉は、
私の生活においてどうしたらいいか教えてください・・
という事です。
私の生活でどう使えばいいかを詳細に教えてくださいと
言っているのです。
どう行動したらいいかを細かく指示してくださいと
いう事です。
どうしたらいいかを自分で考えなくていいように
教えてくださいと言っているのと同じです。
それは依存ですね。
私がお伝えしているのは、攻略です。
楽しく気持ちよく生きるためにはこういう考え方を
すればいかかでしょうか?というものです。
ゲームの攻略本のようなものだと思ってください。
ここにこういうお宝がありますよ・・と攻略本にあっても
それにたどり着くまでは自分でゲームをしなければ
見つけることはできません。
実際にゲームをしてみるから、攻略本に乗っていることが
分かるのです。
そして、実際にゲームをしてみると攻略本と違うことが
出てきます。
その時には、攻略本を参考にしながらも、いろいろ自分の
やり方で進んでいきますね。
ゲームをする人のゲームの理解力や力量によっても違って
きます。
すごく高い技術を持っている人と、
あまりゲームをしたことがない人によって攻略本の使い方は
変わってきます。
攻略本に書かれている内容も受け取り方は変わってきます。
人それぞれなのです。
一人ひとりについていて、そこはこうです、そこは違いますと
教えることはできないのです。
攻略本にはヒントがあるだけです。
そのヒントを使って自分で攻略するしかないのです。
もっと具体的に、もっと詳細に教えてくださいというのは
私にとっての使い方を具体的におしえてくださいと
言っているのと同じになります。
アシュタールが言っていることはわかります、
ですけど、自分の生活においてどう使えばいいのかを
もっとわかりやすく、具体的に教えてくださいという
事にはお答えできないことをご理解ください。
出来ないのですが、もし、出来たとしても、
それをしてしまうとあなたの生活に干渉することに
なってしまいます。
あなたの思考に干渉し、あなた自身であなたの人生を
考えることから遠ざけてしまうことになるのです。
あなたの代わりにゲームをしてしまうことになります。
あなたのゲームはあなたが自分でやってください。
私はヒントを出すことはできます。
こうすればいいのではないでしょうか?とお伝え
することはできます。
でも、私が変わってゲームをすることはできないのです。
私はできるだけ具体的にお伝えするようにしています。
具体的に例を挙げて、こういう時はこう考えればいいのでは
ないでしょうか?とお伝えするようにしています。
でも、それは例に過ぎません。
その例をどうやって自分の生活に使うかは
あなたが考えてください。
レシピをお伝えすることはできますが、そのレシピを
使ってどう料理するかはあなたが考えてください。
具体的にレシピを示しても、その方の腕や材料によって
料理も変わってきます。
すべての人に対応できるレシピ、例はないのです。
具体的に教えてくれないと分からないと思う時は
自分でどうやって使おうかという視点が抜けているのです。
そのレシピを使って、自分なりにどう料理するかという
視点が抜けているのです。
同じレシピを見ても、料理する人によって違うものが
出来るのです。
それが面白いのです。
あなたはどう料理したいですか?
あなたのイメージを駆使して、あなたが気にいる料理を
作ってください。
それがあなたのオリジナルになるのです。
あなたの生活、現実になるのです。
イメージすることが大切なのです。
細かく指示してくれる人を求めないでください。
レシピと材料から、あなたがイメージする、あなたが好きな
料理を作りにはどうしたらいいかをあなたが考えてください。
そうすれば、生活、人生が楽しくなります。
あなたに愛を込めてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
私たちは日常的に他人にアドバイスや代わりに行うということで例示することを行っています。
そのため、そうした行為が本当は他人の選択の自由に自分が干渉していると言うことに気付け
ないし、それが当たり前だと思っているので今回のような質問になるのでしょう。
質問主さんの気持ちはよく理解できますし、私自身も時々そう思うことがあります。
しかし、アシュタールのコメントは不特定多数に対するものなので一般論的な形式なり、個々の
事例に直接答えることが出来ないし、また、それをしてはならないという規律(言葉が良くない
のですが、適当が物が見つからないので・・・)を持っているのだと思います。
それは個人の自由への干渉です。
こうしなさいとかああしなさいと言う指示は出来ないと言うことです。
それを理解しておかないといけないようです。
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