【117の日】追悼「なぜ阪神淡路大地震が起こされたのか?」→俺「ドロシー事件の生き残り、故フィル・シュナイダーの証言を聞け!」
日本の量子コンピューターの先行開発を恐れた米国DSの仕業
2023年 01月 17日
みなさん、こんにちは。
弥栄!
今日は1月17日。あの阪神淡路神戸大震災の日である。1995年1月17日に地震が起こった。
その頃、私は埼玉県朝霞市に住んでいた。
あれから28年。
今の世界は、特に日本は、
嘘も100回つけば真実になる。
とにかく、小声より大声、1回より100回。100回より1000回、万回、相手より上回ればそれが真実になる。そういう国になった。
南京大虐殺、従軍慰安婦、徴用工、1995年117,2001年911、2011年311,。。。すべて真実が消され、嘘で上書きされた。
これらの1つ1つを語りだせば、それぞれ1冊以上の本になってしまうほどのデータがある。だから、ここでは117だけをまたメモしておこう。
結論から言うと、いまでこそディープステート(DS)で有名になってきたが、当時私のブログで「闇の政府」といってもだれも信じなかった時代にあって、この阪神淡路神戸の大震災こそ、DSが起こした人工地震だったのである。
これがDSにとっての演習や自信になって、後に2011年3月11日の巨大大津波地震が行われることになったのである。
では、なぜこの阪神淡路神戸地震が起こされる必要があったのか?
実は、日本の神戸に世界最速だったペンタゴンのスーパーコンピュータの性能を遥かに上回るスーパーコンピュータがポートアイランドに設置される計画があり、まさに設置が完成したからである。
いまでこそ日本のスーパーコンピュータ富嶽が有名になっているが、当時は量子コンピュータなるものはまだ存在せず、理論上の挑戦すべきテーマに過ぎなかった時代だった。
だから、日本に米軍を超えるものができるとまずいと米軍DSは考えた。
そして、ちょうど明石大橋の設置を米軍産複合体のベクテル社が受注した。そこで、ベクテル社の掘削技術を利用して、小型核爆弾をその下に仕込んだのである。
これをメモしたのが、これだった。
フィリップ・シュナイダーの証言
このシュナイダーはこの帰国後すぐに暗殺された。
それから20数年、また同じ場所に今度はスーパーコンピュータ京、さらにはその後継機の富嶽が設置された。
では、いまなぜ富嶽は爆破されないのか?
それは、アメリカはすでに最先端の量子コンピュータを開発し終え、それを設置し運用し始めている。が、その性能は富嶽を桁違いに上回り、通常の従来型コンピュータにすぎない富嶽は大した脅威にならないからである。
もはや安心安全のレベルになっているからだ。
要するに、我が国内では、世界最速、世界一速い「富嶽」ということになっているが、もはや米中からはライバル視されていないのである。
実際、最近富嶽で行われたのは、新型コロナウィルスの感染を煽るために行われた、飛沫飛翔シミュレーション程度のおバカな研究でしかない。
はっきりいって、馬鹿だ!
こんなくだらない数値実験に富嶽を使うのは税金の無駄以外の何物でもない。
もっとも1990年に帰国した私が翌1991年に富士通に入社したから、その時に私をその部署の目玉として、富士通システム統括部の中に、計算科学研究部というものを立ち上げることになったのである。
この計算科学研究部こそ、富士通のスパコンの科学計算への普及を行うという名目で、あらゆる分野の計算科学の専門家を一同に集めるためにできたのである。
流体力学、素粒子論、量子化学、建築学、自動車衝突実験、、、、。
そして1年でこの部門は、当時開発中で、まだロッテが移る前の幕張メッセのある幕張の富士通幕張システムラボに居を移したのである。確か5階か6階の大フロアの半分がこの計算科学研究部のものになった。そして、大きくなったので、名前を計算科学研究センターと名を変えた。
私はできたばかりの新築のニューオフィスのここに移った途端に、今で言う、シックハウス症候群が発症し、タワーに入るやいなや咳が止まらなくなり、もはや歩くのも厄介な状況になってしまった。だから、いまや誰でもマスクしているが、当時私だけがマスクをせざるを得ない状態だった。そして1日中、のど飴をなめる。そんな状態になった。
それで、将来を考えれば、ほぼ研究者の自殺行為にしか過ぎないことは薄々分かっていたが、どこか他へ移ることを考えて、会社には黙って理化学研究所の公募へ応募し、偶然年齢制限で没になるかと思っていた公募に合格したから、一大決心をして富士通から理研へ移ったのである。
が、その理研で使っている当時のスーパーコンピュータが富士通のものだった。
そして、そのスーパーコンピュータ計算の補助をしているのが、私が止めた部署である。
だから、いま思えば、私の所属が富士通だったから、年齢制限を超えていてもOKになったのだろうと思う。
それが3年で終了し、その後が決まらず、あえてここ阿南へ来たわけだ。
ところで、スーパーコンピュータの計算で、どうして富士通の補助がいるのか?
というと、大学や研究所の研究者は基本的にはフォートランベースのプログラムを書く。これは昔のIBMの汎用計算機用に開発された言語だから、スーパーコンピュータの言語とは異なる。さらに大学や研究所の人間が書いたプログラムでは、無駄が多すぎて、構造が違うスーパーコンピュータには不向きになる。
そこで、富士通のシステムエンジニア(SE)と呼ばれる社員が、大学の先生の書いたプログラムをスパコン用の言語へ翻訳するのである。これがまた実に手間がかかるし、難しい。
私はこれがまったくできなかった。もっとも私の場合は例外規定で入社したから、自分のやりたいことだけやっていればよかった。
だから、東大へ行ったり学会へ行ったりしてアカデミックな研究をやり、一種の広報活動として、講演して、計算科学部や計算科学研究センターの名前を広めればよかったのである。時には東大の研究室へ助成金を出したりしたのである。甲元真人研究室へ助成した(その後、ノーベル賞を取りそこね残念だった)。
まあ、とにかく、スパコンで計算したと理研や東大や神戸大の研究者が自分の業績のように言うが、実は富士通のSEがいなければ、その研究はできないのである。それは見えないところで黒子になっている富士通社員が日夜必至でプログラムを翻訳して、スパコン計算してくれているからである。こういうサービス込みでスパコンを売るのである。
同様に、仮に量子コンピュータができた場合も大学の研究者の書いた初歩的プログラムを量子コンピュータの言語に翻訳しない限り計算はできないのである。だから、IBMの量子コンピュータで計算するには、IBMの社員がプログラムを翻訳しない限り計算はできないことになるわけだ。
そのうち、そういうことをする翻訳AIができれば簡単になるだろうが、それまではマンパワーで行わなかればならないだろう。
というわけで、もし今度は世界最高の量子コンピュータが日本にできたというような場合には、これまた米ペンタゴンから目をつけられて破壊命令が出される可能性はある。
蓮舫さんの「2番じゃ駄目なんですか?」というのは結構意味深で、1番になるとかなりリスクが高いのである。
泣く泣く2番程度なら、1番に限りなく近い2番程度なら、リスクが軽減される。
真のトップになることは我が国が完全武装した完全独立国にならない限り難しいのである。これが現実である。
まあ、信じる信じないは、あなたのマスク次第、じゃなかった、おむつ次第、じゃなかった、おつむ次第というやつですナ。
いやはや、世も末ですナ。
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