破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:自由の回路を開いて」
今日の破・常識!
我慢の回路を開かずに
自由の回路を開いてください。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「自由の回路を開いて」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
それがピラミッド社会なのです。
ピラミッド社会では個は大切にされません。
個はピラミッド社会のための歯車だという認識なのです。
個人の都合などは関係ないのです。
この歯車が壊れたら次の歯車がある・・という事です。
そのために小さな頃から組織を大切にする
教育をするのです。
学校で行われているのは、知識を教えるよりも先に
組織の中でより良い歯車になるような人を
作ることなのです。
全体主義、自分より立場上の人が右を向きなさい
と言えばずっと何も疑問を持たずに右を向き続ける
という人を育てるのが目的なのです。
人と違うことをしてはいけないと刷り込むのです。
立場が上の人の命令をきいていれば安心、安全だと
刷り込むのです。
そして、少しでも場を乱すことをする子どもは
排除するのです。
いま、子どもたちにつけられている病名も
排除のためにつくられたものなのです。
もちろん、病名をつけることで医療ビジネスになりますが
それと同時に病名をつけることで排除しようとするのです。
病気だから少々排除的な扱いを受けても仕方がないと
周りの大人も子ども自身も我慢するようになるのです。
そして、立派な社会人は自己犠牲を厭わないと教えます。
社会のために頑張るのです
自分の人生、生活よりも社会を優先することが
立派な社会人なのですと教え込むのです。
自己犠牲してくれる人は、社会にとって
とても都合の良い人なのです。
社会にとってというより
社会的に立場の上の人にとってとても都合がいいのです。
それはわかりますね。
我慢してくれる人もそうですね。
我慢できるようになりましょうね
我慢できたあなたは素晴らしい人ですね・・
と教えておけば、自ら進んで
支配者のために我慢してくれます。
我慢して、我慢して、自分を犠牲にして
尽くしてくれるのです。
これほど支配者にとって都合の良い事はないのです。
あなたもきっと我慢しなければいけない
我慢するべきだ、と思う場面があると思います。
そう言う時、ちょっと考えてください。
これは誰のために我慢しているのか・・と!
何のために自分の生活
自分の人生を我慢しているのか・・と!
自己犠牲することで誰が喜ぶのか・・と!
人のために我慢することは
素晴らしいことではないのです。
それはただ単に都合の良い人に
なっているだけなのです。
そして、あなたが我慢すれば
他の人にも我慢が及ぶのです。
あなたが我慢して頑張ったら
それが基準になります。
あなたが我慢して残業をしたら
他の人も、あの人は残業してくれたよ
どうしてあなたはできないの?という言葉を
受けるようになるのです。
分かりますか?
一人の人の我慢、自己犠牲が他の人にも影響するのです。
そして、みんなが我慢し
自己犠牲するようになっていくと
どんどん、もっともっとを要求されるようになります。
この前できたんだから、今回もできるよね
してくれるよねあの人がしてくれたんだから
あなたもできるよね・・と要求が激しくなっていきます。
だから、人のためにと思うならば
あなたが我慢しないでください
自分を犠牲にしないでください。
自分が犠牲になれば、自分が我慢すれば
他の人が楽になると思っていると
反対のことが起きてきます。
他の人を楽にしたいと思うならば
あなたが我慢、自己犠牲をやめてください。
あなたがしなければ
他の人がそれを請け負わなければ行けなくなる
・・というのも都合よくミスリードされた
思考なのです。
あなたがはっきりと断る姿勢を貫けば
上の人はあなたにもうムリなことは言わなくなります。
そして、あなたが断っている姿を見て
他の人も断る勇気が出て来るのです。
断ってもいいと思えるのです。
これは人のために断ってくださいと
言っているのではなく
あなたのために断ってください。
その姿、そのエネルギーが他の人にも共振して
環境が変わっていくのです。
支配者にとって都合の良い人に
ならないでくださいね。
我慢する人、自己犠牲する人は
都合の良い人と見なされどんどん、もっともっと
と要求されるようになります。
都合の良い人になってしまうと
個人として尊重されなくなります。
あなた個人が大切にされなくなります。
それが我慢をすると我慢の回路が開く
という事なのです。
我慢の回路を開かずに
自由の回路を開いてください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
自由とは自分の意志を持って行動できることです。
嫌なものは嫌とはっきり言えるかということです。
誰かに忖度せず、誰かの意見に左右されずに自分の意志を貫けるかです。
もちろん他人の意見を参考にして自分で考え同意できるならばそれはそれでいいです。
そうではなく、こうしないといけないと言われたことが自分の考えと異なる時に自分の
考えを押し通せるかです。
それを貫けるのが自由です。
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