岸宣仁 官僚の「天下り」は永久に不滅なのか?再就職斡旋や仲介が禁じられた今、巧妙すぎる「抜け道」の実態
うまい汁をもっと吸いたいと願う官僚の貪欲なのなせる業!
同期入省の中から30数年をかけて選び抜かれたエリート中のエリートである事務次官。だが、近年、セクハラ等の不祥事で短命化が進み、その権威に影が差しているという。官界の異変は「裾野」でもみられ、ブラックな労働環境や、若手の退職者増加など厳しさを増している。そんな大きな曲がり角を迎えている霞が関を長年取材し続けているのは、経済ジャーナリストの岸宣仁さん。その岸さん「天下りも形を変えて官界にどっかりと根を下ろしている」と言いますが――。
中堅幹部のホンネ
官庁の中の官庁、財務省でさえ、天下り先の減少には隔世の感がある。理由はさまざま考えられるが、90年代後半の過剰接待・汚職事件に象徴される大蔵省不祥事が大きな影響を及ぼしているのは間違いない。
結果、112人にのぼる大量処分を余儀なくされ、財政金融の分離を伴う大蔵省解体に追い込まれるなか、退官後の天下り先も目に見えて先細りの道を辿ってきたといっていい。
90年代半ば以降の入省者は、地盤沈下する一方の財務省を肌身に感じながら官僚生活を送ってきたと言えるが、ある中堅幹部に出世や天下りについてホンネを質してみた。
まず、出世コースの最終目標が事務次官であり得るかどうか?
「いろいろな意味で、次官になってもこの程度かという思いはあります。30数年の闘いの結果、昇り詰めた最後の頂上が事務次官ではあまりにも夢がない。官僚人生のすべてを賭けて獲得すべき対象にはならないですね、もはや次官は……」
あまりに直截な表現で次官という存在を否定されたので、過去の強大な権力を握っていた時代の次官を知る筆者は面喰うしかなかった。
究極の二択――コースから外れた「スタッフ職」か、先細る天下り先か
やや個人的な感情が出すぎていると感じながら、退官した後の天下りをどう考えているか、を尋ねた。
「初めに一言断っておきますが、将来の天下りを視野に入れて財務省を選んだわけではありません。年を重ねて子供の教育や住宅の確保が現実問題になると、天下り? なんてひとごとのように言っていられなくなるのは確かです」と苦笑を交えながら、現状を見据えてこう語った。
『事務次官という謎-霞が関の出世と人事』(著:岸宣仁/中央公論新社)
「出世コースから外れたスタッフ職(後述)で残るか、どこかへ天下るか二つに一つしかありません。天下ると言っても、次官の再就職でさえあれほど先細りしているのですから、私たちにあてがわれるのは、民間金融機関の顧問とか、小規模な会社の社外取締役ぐらいしかないんじゃないですか。
かつての大蔵省時代ならいざ知らず、現状ではまったく高望みはできませんし、その点、経産省などは多くの業界を抱えているから、彼らのほうが天下りは断然有利ですよ」
確かに、主計局(予算)、主税局(税金)という省内での超エリートコースはあるが、天下り先を抱えているかというと極めて限られる。
表立って天下り先を紹介するのは御法度
本省から分離された金融庁は、民間金融機関を監督する立場にあるので受け皿にはなるものの、かつてのように頭取や重役での天下りは望み薄で、戦後間もない49年から財務省の有力OBの指定席だった横浜銀行頭取も今や生え抜きに代わっている。
大蔵省不祥事が残した負のスパイラルが、ますます天下りの道を狭めているのは明らかで、業種を問わず「顧問」の肩書きが得られれば御の字というホンネの声も聞かれる。
不祥事のみならず、政府が導入した天下り規制が現状を一層厳しいものにしているのは容易に想像がつく。
2007年の国家公務員法改正で、現職職員による再就職の斡旋(あっせん)や仲介が禁止されたのをきっかけに、官房長・秘書課長の大臣官房ラインが表立って天下り先を紹介するのが御法度になった影響が大きい。
このため、官僚は退官後、原則的に自力で再就職先を見つけなければならず、以前のようなトコロテン式の天下りは不可能になったのだ。
経産省の当世流天下り事情
ただ、「表立って」とか「原則的に」とか、奥歯にものの挟まったような書き方をしたのは、蛇の道は蛇ではないが、それなりの抜け道がないわけではないからだ。
財務省の中堅幹部が、「業界を抱える経産省のほうが断然有利」と嘆いたように、引く手あまたと言わないまでも、経産省OBはより再就職先を見つけやすい環境にあるように見える。
国家公務員法が改正された後、局長一歩手前の経産キャリアが語った「肩叩き」の一部始終を紹介しよう。
霞が関恒例の夏の人事異動を前にした6月半ば、官房長から呼び出しがかかった。
入省同期の動静などから、本人は「あの話だな」と直感して部屋に赴くと、壊れたテープレコーダーを思わせるように機械的に話を始めた。
「今度の人事で退官してもらうが、君には二つの選択肢がある。一つは(ラインから外れた)スタッフ職として本省に残るか、民間企業に第二の就職先を探すか。まず、どちらを取るか決めてほしい」
ここで言う「スタッフ職」とは、例えば「中小企業庁**研究官」など、調査研究を主な業務にした専門職を指す。定年まで役所のポストに居続けられる制度だ。
「抜け道」のためのセレモニー
本人は「スタッフで残るより、民間に出るほうがいい」と決めていたので、その旨を官房長に伝えると、こんな指示が返ってきた。
「君はこれから、何人かのOBのところに挨拶回りすると思うが、必ずXさんのところに行きなさい。いろいろアイデアを出してくれると思うので、Xさんへの挨拶だけは忘れないように……」
経産省OBはより再就職先を見つけやすい環境にあるように見える(写真提供:Photo AC)
ほどなくしてX氏のオフィスを訪ね、雑談していると、「実は、こんな話があるんだが」と前置きして、いきなり本題に入った。
「間もなく自分の任期は切れるが、私の後釜としてこちらに来てもらえればと思っている。正式決定は9月下旬になるだろうが、この話はほぼ内定してると受け止めてもらっていい」
この会社は都内の中堅企業といったところだが、本人が以前役所で担当した化学系の会社で、多少の土地勘があった。X氏に「いろいろお世話になります」と笑顔で謝意を述べると、「まあ、ここでひと踏んばりしてください」と励ましの声をかけられた。
ここまでの一連の流れが、再就職の斡旋や仲介が禁止された後の天下りのセレモニーといえるものだ。
上に政策あれば下に対策あり
現職職員が直接、再就職活動に介入しているわけではないが、OBを斡旋や仲介に絡ませた巧妙な天下りは今も続いている。
中国の統治機構を揶揄する「上に政策あれば下に対策あり」を地で行くように、天下りも形を変えて官界にどっかりと根を下ろしているが、かつてのように政府系金融機関はいざ知らず、公益法人や社団法人などの受け皿が年々失われてきているのは言わずもがなだろう。
かつて若い課長補佐を相手に事務次官とは何か、率直な意見を聞いて回った時、天下りについても彼らの本意を質してみたことがある。
まだ30代前半の若い時代だっただけに、1人の例外もなく「将来の天下りを期待して仕事をしている人なんていませんよ」と、半ば怒りの表情で答えていたのを思い出す。
とはいえ、失われる天下りの実態を見るにつけ、現役の官僚たちやこれから官界をめざす人たちにとって、そこに明るい将来が開けていると映ることはまずない。
天下りを奨励するつもりは毛頭ないが、こうした現実も官僚志望へのインセンティブを低下させ、外資系やコンサルタント会社を選ぶ学生の増加につながっているのは明らかだ。
※本稿は、『事務次官という謎-霞が関の出世と人事』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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会社でもそうだが、毎年100人入社して100人辞めるならば会社の社員数は変わらないので
いいのだが、年功序列で重要なポストに就けるかどうかは別問題です。
そこで一般の会社でも新たな就職先を探して地位の向上や年収アップを図るのが普通です。
官僚の場合は重要なポストは限られるのでそれ以外はこの記事にあるようにスタッフ職に
甘んじるか退官を選ぶかと言うことになるでしょう。
要するに出世競争の中で生き残り事務次官までたどりつけるか?ということです。
そう考えると出世競争に敗れた官僚が天下りを選ぶことには意義はないだろう。
問題は最後まで残り事務次官になった人が天下る場合です。
これが一番の問題だろうと思います。
受け入れる方も高給を保証しなければならないし、受け入れ先もその高給に見合う餌を
官庁から仕事としてもらえるようにするだろう。
持ちつ持たれるという関係になるのだが、それが多くの弊害を生む。
要するに給与や退職金が高すぎるのです。そのために政府からの補助金をもらえるよう
画策し、それがひいては隠れ国家予算を増やし国家財政を圧迫し国民の幸せを奪う。
事務次官まで上り詰めた人は十分高給をもらって来たんだからそこで仕事を終われば
いいんです。退職金もたんまりもらえるしその後の生活にも一般人よりはるかに楽だ
ろうと思います。
事務次官だったという経歴が元の官庁に睨みを利かせられるのが問題なのです。
法律で事務次官は再就職あっせんはしないハローワークへ行ってもらうと法律改正を
行えばいいんです。
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