健康保険証、24年秋に廃止 改正マイナンバー法が成立
不同意の連絡が本人からなければ自動的に銀行口座登録が可能、年金などは日本年金機構から口座番号が提供され紐づけされる。
行政のデジタル化を進めるための改正マイナンバー法が2日の参院本会議で可決、成立した。2024年秋に予定する現行の健康保険証の廃止に向けた制度をそろえた。誤登録などが相次いでおり、なお制度改善に必要な余地はある。
政府はマイナンバーカードと保険証を一体にする「マイナ保険証」の普及をめざす。今の保険証は来年秋以降、1年の猶予期間を経て使えなくなる。
法改正によりカードを持たない人でも保険診療を受けられるようにする「資格確認書」の発行が健康保険組合などで可能になる。確認書の期限は1年とする方針で、カードの利用者よりも受診時の窓口負担を割高にする検討も進める。カードへの移行を促す狙いだ。
乳幼児の顔つきが成長で変わることを踏まえ1歳未満に交付するカードには顔写真を不要とする内容も入れた。
政府などの給付金を個人に迅速に配るため口座の登録を広げる措置を盛り込んだ。年金の受給口座の情報を日本年金機構から政府に提供することを事前に通知し、不同意の連絡が1カ月程度なければ同意したと扱う。
新型コロナウイルス禍での個人給付では通帳のコピーなどの提出が必要で行き渡るまでに時間がかかった。口座登録の割合が高齢者で低いことを踏まえ年金口座の利用を決めた。
税と社会保障、災害対策の3分野に限ってきたマイナンバーの活用を広げる。引っ越しの際の自動車変更登録や国家資格の手続きなどでも使えるようにする。
改正マイナンバー法は与党と日本維新の会、国民民主党などが賛成した。個人情報の漏洩防止の徹底や全ての被保険者が保険診療を受けられる措置の導入などを盛り込んだ付帯決議を採択した。
政府はマイナカードを「23年3月までにほぼ全国民に行き渡らせる」と号令をかけ、ポイントを付与するなどして国民に取得を呼びかけた。全国民の申請率は8割弱、交付率は7割強に達した。
コンビニエンスストアで住民票などの証明書を他人に発行したりマイナ保険証で別人の情報をひもづけたりするなどのトラブルも多く発覚した。システムの問題や人為的な入力ミスに起因している。
マイコメント
現段階ではマイナカードを持たない人は「資格確認書」を1年間に有効期間で発行するが
本人が確認書を申請し取得しないと失効するが、いずれこの資格確認書も廃止の方向に
動くだろう。実質的にマイナカードを持たないと病院で診察を受けられないという非常に
手痛いシステムになります。
手塚治虫氏の漫画にこんあのがありました。もう70年くらい前の漫画です。
ある人物が政府に逮捕され、そこで巨大なコンピューターの前に座らされ、コンピュー
ターがその人の過去の経歴、犯罪歴、購買歴などあらゆる情報を読み上げ、本人と確定
した上で逮捕されるというものです。
手塚治虫氏が昭和30年代初めにこのような漫画をすでに描いていたとは驚きです。
今でもその絵が私の脳裏に焼き付いていて離れません。相当受けたイメージが強かった
のだと思います。彼はもしかしたらタイムマシンで未来へ行っていたのかもしれません。
本当に政府はどんな苦情があろうと反対があろうと、どんなシステムトラブルがあろう
とマイナカードを止めようとはしません。
要するに最終的にマイナカードが現在中国で行われているような社会を構築する唯一の
ツールになるということです。
中国の様子。これを便利だと取るか管理されていると取るかです。
コメント
ワクチンも、マイナンバーカードもどんなに国民が反対しても、強行するなんて、日本は民主主義ではなかったのですか?
国民を騙して打たせる政府。今から25年前に永井豪のデビルマンレディのアニメ版で人間がビースト化していくのですが、政府がビースト化を進行させるワクチンをビースト化を抑えるワクチンと騙して、接種させる話がありますが、今のワクチン接種は、その事を予言してるような内容です。日本のアニメ、ハリウッド映画は未来の事を予言してるような話は多いと思います。Twitterにあったのですが、日本の管理社会は、TVなどで宣言ではなく、国民が気づく事もなく、少しずつ管理社会に変わっていくのでは?というツイートを読みました。
参り― 様
その通りですね。国民が気付くことなく、しかも自ら打つように仕向けて行く。
最高の騙しかたです。何しろ国民が疑問を持たないわけですから。
打った後で様々な後遺症になって初めて政府の嘘に気付き訴訟を起こす。
しかし、失われた健康を取り戻すことはもはやできない。
その嘆きは相当なものだと思います。同情を禁じえませんがそれは自らの
生活スタイルや考え方をしてきた自分にも半分は責任があります。
そして、その責任を取る方法はたとえ訴訟で勝ちお金が入ったとしても
最後は自分の後遺症をそのまま受け入れ余生を過ごす以外に手がありません。
そう思わないためにも自ら考え調べ判断することが大事なことです。