パンドラの箱を開けてしまった人類…米中共同研究がサルとヒトの「キメラ」を作製
改変された遺伝子を注射する世界初の人体実験も…拡大するバイオテクノロジーのDIY化
日本でも広がり始めている「DIYバイオ」
地球環境の変化による食糧危機の解決や、いまは治療できない難病の克服など、ゲノム編集技術は未来の社会課題解決への希望を感じさせる。
一方、技術が進展する力強さに対し、ルールづくり、規制、倫理観が追いつかず、技術がひとり歩きする危険性があることは否めない。
技術のひとり歩きを示す一例として、「DIYバイオ」の広がりを紹介したい。
DIYバイオとは、研究者ではない一般市民が、日曜大工のように自宅でバイオテクノロジーの実験を行う活動のことを指し、欧米、そして日本でも広がり始めている。
このDIYバイオは、実験材料やデータ、成果発表のオープンなやり取りを促す「オープンサイエンス」に源流があるとされ、人々が科学に関わり、研究を遂行することを容易にし、知識格差の解消を目指す大きな文脈を背景とする。
こうした広がりは、ゲノム編集がもはや専門家ではない個人でも遺伝子を改変できる技術となり、気軽にバイオ実験ができる環境を整えたことの証である。
ネット通販で遺伝子実験キットを購入し、自宅で遺伝子組換え植物の栽培や培養細胞を増やして人工食肉を作ることを試みるなど、まさにバイオテクノロジーはDIY化した。
世界初のゲノム編集の人体実験
一方で、自分の身体に改変された遺伝子を注射する人体実験を行う人も現れた。
2017年10月、カリフォルニア州オークランドのジョサイア・ザイナーさんは、筋肉の成長を目的に、筋肉の成長を邪魔する遺伝子「ミオスタチン」を切断する人工の酵素を注射器で注入した。
このゲノム編集の人体実験はネットで中継され、波紋を投じた。実験を行ったザイナーさんは米航空宇宙局(NASA)でゲノム編集研究に従事していたが、官僚主義や予算削減に嫌気がさしたことで退職。彼は政府や科学者が独占してきた科学、バイオテクノロジーを自分たちの手に取り戻すことを大義にしている。
DIYバイオのキットを販売しながら、それを世に知らしめるために行ったのが世界初のゲノム編集の人体実験である。
2030年には市場規模が548億米ドルに達するバイオハッキング
彼のような「バイオハッカー」によるバイオハッキングの世界市場規模は、2021年に195億米ドルだったが、2030年には548億米ドルに達するという予測もある。
誰もが、キッチンで料理をする感覚でバイオハッキングできる時代は、未来にではなく今ここにある。オープンに実験を共有するバイオハッカーがいる一方で、バイオテロリストというレッテルを張られないように実験を隠して行うバイオハッカーもいる。
米食品医薬品局(FDA)は、自己投与目的の遺伝子治療製品やDIY治療キットの販売は法に反すると表明しているが、技術の進歩にルールが後追いとなりがちで、それらのいたちごっこは延々と続く。
日本では、主に遺伝子組換え生物等の使用などを対象にした規制措置で、生物多様性への悪影響の未然防止等を図ることを目的としたカルタヘナ法(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)が2004年に施行されているが、少なくともこの人体実験当時はDIYバイオまで規制が及んでいない。
新たにカバーすべき事象が発生した場合に、ルールを追いつかせるしかないが、未来の社会をどのようにデザインするかを熟議した上で世界が同意しない限り、単純に禁止するだけではルールは破られかねない。
あいにく、全世界が同じ方向に向かうこと自体容易ではない上に、2030年頃にはゲノム解析のコストが限りなくゼロに近づくという予測もある。ゲノムテクノロジーは、同意なき世界を横目に急速に成長し、様々な思惑や誰かの欲望を引き寄せる。
規制が追いつかないこともさることながら、規制があったとしても全人類がそれを守る保証はない。ヒト受精卵のゲノム編集については、国や時代に応じて容認の仕方や法律も変化を続けることだろう。
全世界統一の適切なルールができあがり、全人類がそれを確実に守れなければ、ゲノム編集という強烈な技術を人類の幸福のためだけに使うことは机上の空論となる。
今はまだ、ゲノム編集の安全性の課題は多く、予想しない場所の遺伝子を変えてしまうことなどへの改良の余地がある。しかし、技術レベルが一定に達してから先の未来では、然るべきルールが機能しなければ、幸福のためだけのゲノム編集技術だと言い切れなくなる。
そこまでの進化のプロセスは、人類に委ねられた未来の選択準備期間だ。ただ、その準備期間は、決して長くはない。
そして、十全なルールづくりを待たずして、人類はすでにパンドラの箱を開けてしまっているとも言える。サルとヒトのキメラを誕生させる研究が、本格的に始まっているのだ。
パンドラの箱を開けてしまった人類…サルとヒトのキメラ
ヒトの細胞をサルの胚に注入して異種の細胞をあわせもつ「キメラ」。2021年4月、米ソーク研究所と中国・昆明理工大学の共同研究チームは、世界で初めてサルとヒトとの遺伝子型の細胞が混在する「キメラ」の胚を培養し、受精から最長19日間、成長したことを発表した。
カニクイザルの受精卵を分裂が進んだ胚盤胞の段階まで成長させ、ヒトのiPS細胞を加えてサルとヒトのキメラを作製した。
受精から6日経った132個のカニクイザルの初期胚盤胞に25個のヒトのiPSを注入。受精から10日後、111個のサル胚にヒト幹細胞が接着して胚盤が見えるところまで成長した。
19日後には3個のキメラ胚にまで減ったが、成長した胚には多くのヒト細胞が残されていたという。この研究成果は、2021年4月15日、米科学誌『セル』(電子版)で発表されている。
さらに、キメラ胚のゲノム解析を行った結果、キメラ胚の細胞には特有の遺伝子発現プロファイルがあり、サル胚やヒト胚と比べ、特異に強化された細胞シグナル伝達経路なども確認され、キメラ胚の内部でヒトとサルの何らかの細胞間コミュニケーションがあるのではないかと考えられている。
研究論文の責任著者でソーク研究所のホアン・カルロス・イズピスア・ベルモンテ教授は「キメラの研究は、生物医学研究を前進させる上で非常に有用である」と主張している。
研究チームは、こうした研究成果が、ヒトの細胞がどのように発達し統合するのか、異種の細胞が互いにどのようにコミュニケーションするのかを解明する手がかりになることを期待しているという。(ニューズウィーク日本版 2021年4月19日配信記事より)
移植用の臓器不足を補えう可能性がある人類のための技術だが…
本研究は培養皿上で行われ、子宮に戻したり、子が生まれたりするまでには至っていない。
ベルモンテ教授も、部分的にサル、部分的にヒトの胚で動物を作ろうとするつもりはなく、そのような種で人間の臓器を育てようとするつもりもないことを強調する。
とはいえ、ヒトに近い霊長類を使った研究であることのインパクトは大きく、サルの胚にヒト細胞を注入する研究は倫理的な懸念もあるため、米国立衛生研究所(NIH)は公的研究資金を出さないと決めている。
細胞レベルでの研究は認められているものの、ヒトと他の生き物のキメラを誕生させることは、多くの国で禁止されている。
ヒトとヒト以外のキメラというパンドラの箱を開けてしまったことへの懸念や倫理的な問題を指摘する研究者が数多くいる一方で、中国・昆明理工大学の季維智教授は、ヒトと他の生物のキメラを作る理由として、将来的に他の生物の体の中で人間の臓器を作り出し、移植用の臓器不足を補う、人類のための技術であることを挙げている。
作る理由と作るべきではない理由の双方が交錯する中で、今日もさらなる研究が進んでいる。作ると作らない、それぞれにとっての動機があるため、相当の強制力をもって禁止できない限り、結局は作り続けられることになる。
仮に禁止されたとしても、その動機自体が消滅しないのならば、ルールを破ってでも陰で作り続ける者が現れることを想定しておかなければならない。
文/小川和也
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