破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:自由になる権利がある」
今日の破・常識!
あなたの感覚を信じてください。
あなたには自由になる権利があるのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
最新刊 アシュタール パラレルワールド ∞の未来
「自由になる権利がある」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
あなた達は自分は自由だと思っています。
自由に自分で決め、自由に生きていると思っています。
でも、あなた達が思っている自由は
許された範囲の中での自由なのです。
もちろん、昔の奴隷のように手足を繋がれ
命令通りにしなければあからさまに罰を受ける
という事はありません。
でも、思考の操作によって不自由な生活を
強いられているのです。
常識、倫理観、道徳観、宗教観などによって
あれをしてはいけない、これをしなければいけない
と刷り込まれ、その刷り込みに従って
その中だけで自由にすることを許されているのです。
生活で当たり前だと思っていることもそうです。
少しだけ考えてみてください。
どうして、朝起きて働きに行かなければ
いけないのでしょう?
その前にどうして働かなければいけないのでしょう?
どうして、みんな一斉に同じ時間に行動しなければ
いけないんでしょう?
その問いにどういう答えが返ってきますか?
みんながしていることだから・・
そういう決まり、ルールだから・・
そんなの常識でしょ・・
明確にあなたが納得する答えは返ってこないと思います。
それが思考の操作なのです。
あなたが本心から自分がしたいと
思ってしているのではなく
何となく従っているだけなのです。
常識やルールなどに逆らうと
とてもエネルギーを消耗します。
小さな頃からそれが当たり前だと刷り込まれて来たので
それに従う方が楽なのです。
考える必要もなく、楽に生きていける
と思っているからです。
でも、気がついてしまったら
もうその考え方はツラくなっていく一方です。
自分が檻に入れられ、思考の操作という綱に縛られ
自分がしたい事ではなく、しなければいけないと思い
みんなに合わせて生きていく生活がツラくなって来ます。
あなた達は気がつきはじめています。
何か分からないものに縛られ、自由ではないという事に
その状態がおかしいことだと!
でも、それに気がついてしまうと
どうしたらいいか分からず混乱してしまうので
気がつかない振りをしようとしているのです。
それに気がつく勇気が出ないのです。
みなかった事、気がつかなかったことにしておこう
と思っているのですが
気がついたらもうそれはできません。
気がついてしまったら
もう前のように無邪気にふるまう事が出来なくなるのです。
頭とこころがバラバラになってしまい
とてもツラい状況になります。
ならば、はっきりと目を開けてください。
向き合ってください。
見えない振り、気がつかない振りをしているよりも
よほどさっぱりします。
そして、身体の中からエネルギーが湧いてきます。
一歩踏み出す勇気が出てきます。
何かおかしいと思うことが出来れば
気がつくチャンスです。
疑問は気がつくチャンスになります。
何かおかしいという感覚を持ったならば
その何かを調べてください。
何がおかしいと感じるのかを
表面意識に持ってきてください。
そうすれば言語化出来ます。
言語化できれば、解決方法が分かります。
そこから離れることが出来ます。
縛られた目に見えない鎖を自分で外すことが出来ます。
まずは感覚を研ぎ澄ましてください。
感覚はいろいろな事を教えてくれます。
あなたの感覚を信じてください。
あなたには自由になる権利があるのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
まいこめんと
私たちが謳歌していると思っている自由は与えられた自由であり、多くの制限付きの自由です。
そのことに気付くことです。
なぜ、毎月の給料から税金や社会保険料が差し引かれるのでしょうか?
そして、その差し引かれた分が本当にそのまま私たちの生活するだけ十分戻ってきていると
言えるのでしょうか?
そのうちに約半分は戻ってきていないはずです。
それは徴収した官僚の無駄遣いや補助金などに消えているからです。
もし、本当に全額戻ってきているとしたら今よりもっと楽な暮らしが出来ているはずです。
年金も支払った分が正当に反映されておらず、その半分はどこかに消えています。
問題は私たちの働いた給与がその用に引かれていますが、もし何らかの事情で支払いが
遅れた場合には延滞金やひどい場合には給与の差し押さえが発生します。
これは私たちの罰であり自由の侵害です。
つまりは私たちはお金というもので縛られているのです。
そこに気付かないといけません。
お金だけでだけでなく多くの制限がこの世にあります。
そこに気付きさえすれば私たちの住む世界は自由でないことがわかります。
そして、その気づきから本来の自由を求め行動する意識が出てくるのです。
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