最強の官庁“財務省”、罪は多々わかっていてもだれも罰することができない
財務省を解体しない限り国民は幸せになれない
恥ずかしながら、わたしは55歳過ぎごろまでまったくの経済(財政)音痴、政治音痴だった(いまもそれほど変わらない)。
「国の借金800兆円って、なんのことだ?」と思い、「国はいったいだれに借金してるんだ?」と思った。また「国民一人当たりの借金は数百万円になる」といわれ、ネットには「日本の借金時計」なるものがあって(今もある)、毎秒200万円ほど増え続けていて、このままだと国の財政はやがて破綻すると脅されていた。
その後、「国の借金」とは基本的に国債の発行残高のこと、正確には国の負債額だとわかったが(現在の額は約1230兆円)、考えてみれば、国の負債額と「国民一人当たりの借金」など、なんの関係もないのである。
国の借金だけをいい募り、その額を国民の頭数で割って、無意味に一人あたりの借金額を示して国民を不安にし、国家財政の危機を煽って増税の不可避性を植え付けたのは財務省である。
今年の10月から導入されるインボイス制度に関連して、ある友人がそれを推し進めているのは財務省であり、財務省はろくでもないことばかりやると憤慨した。わたしもインボイスは無関係ではないらしく、出版社から何通も通知がきていたが、めんどうだったのでほうっておいた。
しかしいよいよ期限が差し迫ってきたので、この際その制度についてすこし勉強してみようと思い、ついでだから財務省関係の本も読んでみようと思ったのである。
おあつらえ向きの読みやすそうな本があった。森永卓郎氏の『ザイム真理教』(フォレスト出版)である。
大蔵省と専売公社主計課は「隷属関係」
この本を読んで、官僚世界の支配構造の前近代性に驚いた。森永氏は、「私は大蔵省の『奴隷』だった」と衝撃的な告白をしていたのである。
森永卓郎氏は1957年生まれの66歳である。東京大学卒業後、氏は日本専売公社(現JT)に入社した。当時、大蔵省主計局と専売公社主計課の関係は「隷属関係」にあった。「大蔵省の言うことには、絶対服従」だったのだ。
予算編成の時期になると、森永氏は大蔵省主計局の前の廊下で「ずっと座っていること」が仕事だった。予算の査定をしている主査がなにかわからないことがあると、部屋のなかから「お~い、もりなが~」と叫ぶ。数秒以内に主査の前に駆け付けないと「怒鳴りつけられる」。専売公社は当時、大蔵省の“植民地”だったのである。
「自分の周りの人間が、誰しもひれ伏してくる。自分の命令には、みなが絶対服従だ。本当は、大蔵省の役人に頭を下げているのではなく、予算というお金に頭を下げているにすぎないのだが。それには気づかないのだ」
これはあらゆる権力の支配・被支配構造の本質である。だがそんな森永氏も、「大蔵省から予算を取った後、今度は工場や支社に予算を配分する立場に変わる」。すると今度は自分が「ミニ大蔵省」になって、下に威張り散らすのだ。これまたあらゆる権力の行使に共通する階段構造である。
関東支社の予算課員が入社一年目の森永氏に、忘年会をセットするから来ていただけないかと伺いを立てる。するとあの森永氏がこういったというのである。
「行ってもいいけどさ、女連れて来いよな」(そして当日、女性の予算課員がやってきた。それが現在の妻だという)。
ノーパンしゃぶしゃぶ接待花盛りだった時代のことである。「MOF担」というものがあるのを知ったのもこの時代。もし森永氏が大蔵省の役人だったら、自分は接待にずぶずぶになっただろうといっている。人間は弱いものだから、と正直である。
財務省に唯一洗脳されなかった財務官僚
高橋洋一氏の『さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別』(講談社+α文庫)と『財務省を解体せよ!』(宝島社新書)は、下手な小説を読むよりはるかに読み応えがあった。ほかにも同氏の『数字を読めない「文系バカ」が日本をダメにする』(ワック)を読んだ。
高橋氏は、森永氏に“財務省に唯一洗脳されなかった財務官僚”といわれた稀有な人である。アメリカ占領軍に、「従順ならざる唯一の日本人」といわれた白洲次郎みたいな人である。氏は1955年生まれの68歳。
冒頭で触れた国の借金による財政破綻論のウソは、元大蔵(財務)官僚の高橋洋一氏によって突き崩されたのである。もう20年以上前になるか、テレビで高橋洋一氏が、次のように述べたのだ。
国の借金が何百兆円あろうと、それだけで国家財政が破綻することはない、なぜなら負債の反対側には国の充分な資産があるからだ。あたりまえのことじゃないか、という涼しい顔で高橋氏は語っていたものだ。
かれのこの説明は何回か聴いた。いつも早口でしゃべるあまり風采の上がらぬおじさん(失礼!)のようで、こんな正直な人が政府のなかにいるのかと不思議に思え、最初は、そういうものか、と半信半疑だった。
高橋氏がどういう人かはわからなかった。だがかれは自信満々だった。こんなことをはっきりいう人が政府内にいるのかと思った(かれは日本ではじめて国のバランスシートを作った)。
高橋氏もかつて大蔵省にいた。森永卓郎氏は東大経済学部卒だが、高橋氏はおなじ東大出身でも異色だった。理学部数学科卒である。
高橋氏の学生時代の将来の夢は数学者になることだった。理系の人間はふつう公務員試験をうけない。むしろ「理系にとっては公務員など眼中にない存在」だった。
「神童」なのか「変人」なのか
しかしたまたま試験を受けて合格した。「2年に1人は君のような人材がいてもいいんだ」と珍しがられ、「いわば変人枠」で大蔵省に勧誘されたという。上司たちは氏を最初は甘く見ていたのだろうが、高橋氏はただの「変人」ではなかったのだ。
わたしもあの早口おじさんが、まさか数学の神童だったとは知らなかった。中学のときは「主要教科の教科書は一日目で読み終わった」。暗記科目は「フォトメモリー」のように「読んだらほとんどが記憶に残った」。
なにより「数学はものすごくできて、中学生のときに東大等の大学入試の数学の問題は簡単に解けた。東大の数学問題なら百点はとれた」というのだ。中学生ですよ。「神童」ではないか。旺文社の全国模試は「常に数学は全国一位だった」。
この数学の才能が、財務省のなかで出る杭としても叩かれず、出過ぎた杭として引き抜かれもせず、だれからも一目も二目も置かれた秘密である。
ちなみにかれは「東大」などなんの評価もしない。「『東大がいい』という、くだらない価値観にごまかされないほうがいい」「東大に行こうが、三流大学といわれる大学に行こうが、ちょっとした差でしかない」と断言し、それどころか「大学に行く必要があるのかとすら思う」とまでいっている。
最高官庁といわれる財務省の官僚は日本最高のエリートだと思っているが、「それは完全に、東大法学部をはじめとする日本の文系社会におけるヒエラルキーの延長線上にあるイメージにすぎません」。だから「国際的に通用する人材、どこへ行っても他流試合ができる人は、財務官僚のなかの4分の1程度」しかいない。「東大など世界から見れば、お話にもなりません」
東大などはなから相手にしていない人だからいえる言葉ではあろうが、高橋氏はほんとうにそう思っている。
財務省はどうして「増税」にこだわるのか
高橋洋一氏は財務官僚についてこういっている。
財務省が「政治家やマスコミ、他省庁をひれ伏させ、“最強官庁”の名をほしいままにしてきた」のは「予算編成権と国税査察権」があるからだ。そのほかに、「天下り先のポストを差配する」人事権もある。財務省は「総理、官房長官、官房副長官のすべてに秘書官をだしている」)。
官僚にとって一番大事なのは国よりも省、とよくいわれる。要するに、「いかに多くの予算を確保し、OBを含めた自分たちの利益を確保できるか」という、いわゆる「省益第一主義」である。
しかし「財務官僚の場合、これに加えて『財政再建主義』という原則が加わります」。つまり「なるべく歳出を減らし、歳入を増やすことに固執する」。これを実現するための「最も有力な手段」が「消費増税」である。
財政再建主義は、財務省の絶対譲れない宗旨である。だから減税など決してしない。ガソリンがいくら高くなってもガソリン代の4割は税金だが、ガソリン減税はしない。財界には消費増税時に賛成してもらったので、企業の内部留保がいくら巨額になろうとも、「それへの課税は検討されることはありません」。日本新聞協会は消費税のとき、「租税特別措置」という餌を与えられて消費増税を免れたため、財務省批判ができない。
財務省はどうして「増税」にこだわるのか。「結局のところ、自らの権益を拡大するため」つまり「歳出権の拡大」だ、というのが高橋氏の見解だ。省の利益・権益のために国政を左右するのかと思うが、官僚たちならやりかねないのだ。
しかしそれでいて財務官僚たちは、自分たちは「国士」だと勘違いしているという。「国士とは身を投げうって国家を支える憂国の士ですが、悪者になってもいいから、あえて国民に不人気な増税という選択肢をわれわれは選ぶのだと思い込み、正当化している」
「予算編成」と「徴税」の組織を分けるべき
それだけではない。官僚は無謬説の上にたっているから、絶対に自分たちの政策の非を認めようとしないのである。
高橋氏は、文書改ざん、事務次官のセクハラ発言、平気でうそをつく不誠実な答弁、、財務官僚の傲慢さやおごりなど、最強がゆえにやりたい放題の財務省を改革するには「財務省解体」という荒業が必要だと主張する。財務省解体とはどういうことか。「歳入庁」の新設である。
「国税庁を財務省から切り離し、日本年金機構の徴収部門と合併させ」、「新たに税金と年金などの社会保険料の徴収を一括して行う『歳入庁』を新設すること。つまり、国税庁と日本年金機構の徴収部門を統合した組織をつくる」ことである。
現状は「他省庁は予算を求め、政治家は徴税を恐れ、マスコミはネタを求めて、財務省にひれ伏しています。世界を見渡しても『予算編成権』という企画部門と、『徴税』という執行部門が一体となっている財務省のような組織は例外的です」
財務省は税の入口と出口をがっちりと握って放さないのである。
現在、「年金保険料の徴収漏れは数兆円規模と推計」される。しかしこれは歳入庁を創設すれば減らすことができる、と高橋氏はいう。マイナンバー制度も「消費税インボイス」をやるのなら、歳入庁創設を前提にしなければ有効とはいいがたい。そうすれば「税・社会保険料で合計10兆円程度の増収になる可能性がある」
しかしできない。政治家は国税庁の上部組織の財務省主税局に頭があがらない。財務省も権力の源泉であり自分たちのポストでもある国税庁を死守する。国税庁長官は事務次官になれなかった人が最後につくポストで、東京・名古屋・大阪国税局長もキャリア官僚のポストだ。マスコミも国税庁の調査能力を怖れて議論をしない。
歳入庁の創設に財務省は徹底的に抵抗する。「国税庁は財務省の“植民地”になっており、国税権力を財務省が手放さないのです」
財務省の罪は多々わかっている。だがだれも罰することができないのだ。
財務省と戦った安倍元首相
わたしは安倍晋三首相をある意味、誤解していたところもある。
百億円単位の巨額を使って軽薄にアベノマスクを使った愚策や、伊藤詩織氏をレイプしたとされる元TBSワシントン支局長の山口敬之氏の不逮捕疑惑や、森友問題での国会答弁の曖昧さなどで、わたしは安倍首相が好きではなかった。国葬にも反対だった。
これらの点ではいまでも反省はないが、安倍首相が財務省と戦い、国民のための政治を本気でやろうとしていたとはじめて知ったのである。高橋氏は第一次安倍内閣のブレーンを務めた。財務省は財政再建・金融引き締めだが、安倍内閣は経済成長優先・金融緩和で対抗した。「増税ではなく経済成長による増収」を目指した。
安倍首相が財務省依存から脱して、消費増税の二度にわたる延期をし、財政出動ができたのも、日銀の副総裁に「金融緩和に積極的なリフレ派の岩田規久男氏を起用でき」、積極的な金融緩和に取り組めたからだという。
高橋洋一氏は第一次安倍政権で「旧社会保険庁を解体し、歳入庁を創設しようとした時」、財務省は「激しく抵抗」したという。理由は「国税庁を財務省の配下におけなくなると、財務省からの天下りに支障が出る」というばかばかしいものだった。
高橋洋一氏みたいな人に一回総理大臣をやらしてみたいと思う。近々『安倍晋三回顧録』も読むつもりだ。
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